大野威研究室ブログ

おもにアメリカの自動車産業、雇用問題、労働問題、労使関係、経済状況について、最近気になったことを不定期で書いています。

アメリカの大学生は本当によく勉強しているか?

2013年01月02日 | 日記
 しばらく前に、日本の大学生はアメリカの大学生に比べて一日の勉強時間が少ないという調査結果が出て話題になった。
 本当にアメリカの大学生はよく勉強するのか? いろいろなアメリカ人に話を聞いて得た私の結論は、少人数で相互コミュニケーションを重視する授業についてはよく勉強するが、一般の大講義では日本と同じであまり勉強する人はいないというものである。
 日本と反対で、アメリカの私立大学は、少人数教育を基本としている。科目にもよるが、数人から多くても20-30人程度の授業が多い。授業は、日本のゼミのようなものを考えてもらえばいいと思う。毎回、本の数章あるいは論文が課題(アサイメント)に指定され、授業では教員が学生にいろいろ質問したり意見を聞いたりしながら説明を進めていく。興味のあるテーマであれば、学生は与えられた論文をじっくり時間をかけて読んでくるし、あまり関心のないテーマ(あるいは授業)であれば、さっとひととおり目を通して終了ということが多いようだ。ただ、さっと目を通すにしても、それなりの勉強時間は必要だろう。またアメリカの大学教員は、課題については厳しい人が多いようで、課題をまったく読んでいない学生を見つけると、「授業に出ても意味がない」と退出を促す人も少なくないようだ。アメリカの大学教育の特徴は、この少人数教育にこそある。
 一方、アメリカでも大講義はある。科目にもよるが、アメリカでは5-60人を超えると大講義とみなす人が多いようだ。そして、アメリカでも何百人という授業がある。サンデル先生の熱血講義のようなものは珍しく、やはり大講義では教員の説明が主となる。私がいろいろ聞いたかぎり、こうした大講義で予習、復習をしっかりしている人はあまりいない。日本と同じで、試験前の詰め込みだけである。勉強しているかどうか誰もわからないから、誰も勉強しない。実にあたりまえのことである。ただ、アメリカではこうした大講義の場合、少人数の準備クラスが別に設けられる。ふつうは大学院生が講師になり、授業内容にかんする補足や意見交換などがおこなわれる。アメリカでは大講義であっても、一方的に教員の話を聞いて済ますということはできないようになっている。
 まとめ。アメリカの大学は、少人数の授業が基本であるので、学生はよく勉強する(せざるを得ない)。一方、日本の大学は一部の学部を除き、アメリカの基準で言えば大講義が基本なので、学生は勉強しなくてもわからず、試験前を除けばあまり予習、復習に時間をかけない。こうした事情を無視して、ただ学生に勉強しろといってもうまくいかないだろう。

 日本の大学教育は、アメリカで低い評価を受けている。その最大の理由は、(大講義のため)教員が一方的に説明する授業が中心になっているからである。同じ理由で、たとえばインドの大学教育も低い評価を受けている(日本では英語が話せる、理系が優れているということでインドの教育や大学が高く評価されているが、アメリカではこうしたこと自体は大学教育の核心とは理解されていない)。アメリカ人の考えはこうである。日本やインドの大学のように、学生が一方的に話を吸収するだけでは、学生(卒業生)の中から新しいものは生み出されない。これが変わらないかぎり、日本やインドの大学は、アメリカにとってまったく「脅威」でもなければ「ライバル」でもない。
 今日本では、学生に勉強させるため(有益な専門知識をもっともっと吸収させるため)、卒業資格試験の新設などが議論されているが、改革の方向がまったくずれているとしか言いようがない。そんなことしても学生の中から革新的なもの(ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ)は生まれない。それどころか、かえってその芽を摘んでしまうのではないか。双方向的な少人数教育への転換こそが進むべき方向だろう。本来なら、欧米にキャッチアップした70年代、遅くても80年代にはこうした方向への転換がなされるべきだった。そうする余裕も社会に存在した。そうしていたら、そろそろその実がみのる時期になっていただろうにと考えるのは私だけか。