89歳の日々

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マレーシアからの孫娘へ返事

2008-08-30 14:43:19 | マレーシヤ(孫娘)・海外旅行
 Yちゃん
 マレーシアの体験、愉快に拝見しました。無事に帰って良かったですね。
色々経験して楽しかった事でしょう。

 初めて飛行機から下りる国での空港タクシーは、Yちゃんが経験したように最もごまかされ易いので、私も空港の人とかに、幾ら位で行くのか、よくよく聞いてから乗っています。2000円くらいの事で済んだら、まだ良かったです。
パソコンをを失くしたお友達はどんなに困るでしょう。

 でも、私と妹が、タイの空港からのタクシーに乗った時、安い現地の値段に固執して途中で降ろされた事があります。有名なホテルまで乗ると言うのですから、相手も高く取りたかったでしょう。

 詳しく書くと、空港を出てクシーを待っていると、そばに立っている男性が英語で「何処まで行くか」と聞き、私共が「オリエンタルホテルまで・・ルピーで」というと「OK]といいながらその男性が助手席に乗り込んで、動いてから、何倍も高く云い始めました。私共が同意しなかったので10mほど行った処で結局「そんなに安くは行けない、降りてくれ!」と言われたのです。

歩いて戻ったタクシー乗り場に、西洋人を乗せたタクシーが来たので、同じ現地価格を云うと、運転手は「OK]と言い無事にホテルに着きました。 西洋人は余りボラレたりしないので、彼らを乗せたタクシーは適正値段で行くと思いました。

 でも、その後すぐに、同じバンコックで、タクシーに乗った新婚の日本人旅行者が殺害された事件がありました。私共も危ない所だったのですよ!!
金持の国から来ているので、少し位多く上げるても仕方が無いかも知れません。

 10年ほど前でしたか、私共は何日か前からスロヴェニアに居たのですが、其処に着いたばかりだったYちゃんのお父さんが、物価も知らなくて、Yちゃんの誕生祝の音楽に2000円位のチップをレストランで、上げた事がありました。

 数人の演奏家は私たちのテーブルで、私共が帰るまで、沢山のリクエストを演奏した事がありましたが、その時は「あれは安かったね」と話しましたよ。覚えていますか?

 ホステルに泊まったのでしたら、その手の旅行で有名な古典の本は、バスでロンドン迄行った沢木耕太郎の「深夜特急」です。
 文庫本で5冊くらいありますが、「book off」で安く買ったら面白く読めるでしょう。
 
 ホームステイはどうでしたか?どんな生活ですか?
 海の上の4星ホテルとは 素敵でしたでしょう。

 素敵なホテルは私も大好きですが、エジンバラから1週間くらいイギリスをYちゃん一家と私達が一緒に旅行した時は、ほとんど安いB&Bでしたが、あれも楽しかったですね。

 留学も、よくよく、情報を集めて悔いのないようにして下さい。
皆、志を持って留学するのですから、良い大学に入ったら、素晴らしい友人たちに
逢う機会になるでしょう。

 先日 私共の九谷美陶園に来られたお客様は、30年ほど前に一ツ橋大学の学生の時に、Yちゃんと同じアイサックのメンバーだったそうです。
「いま、何のお仕事ですか」と伺ったら、「東大の教授」のお仕事の方でした。

 先日上げた、林真理子の「読書案内?」は本の楽しさが易しく書かれているので、是非その中で面白そうなのを読んでください。

 本を読む人は、目の前の現象ばかりに捉われない見方が出来るのではないかと思います。今、大学生で時間がある時に、本を読む癖が出来ると一生の宝になります。
運転での合宿には、「深夜特急」を持参する事を、先ずお勧めです。祖母


孫娘の夏休み・・マレーシア

2008-08-29 14:48:02 | マレーシヤ(孫娘)・海外旅行
昨日マレーシアからかえってきましたー。
> かえったらおばあちゃんからの誕生日プレゼントがおいてありました。ありがとうございます。長い夏休みなのでおばあちゃんから頂いた本をじっくり読みたいと思います。

>(注・・大学1年になった孫娘はマレーシアで「アイセック」というフランスで出来た大学生のNPOに初参加しました。その様子のmailです。)


> 宿はなんと一泊一部屋1500円くらいのホステルにとまりました。笑最初いったときはきたなくて?設備がわるくて?というかなんともいえないかんじで唖然としてしまいました。

 しかも初日は夜に就いたからTAXIにのってホステルにいったんですけどまんまとやられました。50RMはらっちゃいました。ほんとうなら4RMくらいのところを。まあ日本円で2000円弱なんで・・金銭的には大丈夫だったんですけどすごい悔しい思いをしました。

 日本人大学生なんて絶好のかもちゃんでしたね笑 下調べ不足でしたーーでもまあお金があるひとをだますぶんにはいいと思います。彼等も生活が苦しいようなので。(しらないけど) あ、ちなみに初日に友達がPCをなくしてどうなることかとおもいました。結局みつかりませんでした。

> と、まあ3日目にはホステル生活にもなれてもうそこの住民みたいになってました。住めば都ってやつですねー! そのホステルは首都のクアラルンプールにあったんで移動は便利でした。

 しかもたくしーは初乗りがなんと80円!車がないと移動しにくいかんじだったんでタクシーを乗り回しました。日本じゃ考えられない!クアラルンプールには六日いて、アイセックメンバーのうちにホームステイさせてもらって最終日には・・・海の上にたつ「四つ星」ホテルに泊まりました☆笑

 ずっと劣環境にいたぶんホテルが天国のようでした。 マレーシアにいるあいだは現地のアイセックメンバーに毎日連れまわしてもらっていろんなところにいきました。企業に英語で渉外にいったりしてちょーーーーーいい経験になりました!

> 今回のスタディーツアーの目的は世界中にあるアイセックのネットワークを知ろうってことだったんで目的達成ってかんじです! とりあえず、ほかの班は先輩が引率してスタツアにいくなか、わたしたちはいろいろあって先輩なしで最初はどうなるだろうかとおもったけど全部いちから自分たちでやってすーーーーごいいい旅になりました!

> 去年までのバスケ&勉強以外の充実した夏休みをすごしています♪九月は運転免許合宿にいってきまーーーーす。 こんな毎日が新学期からも続くといいんですけど・・。

そして最近留学いきたいなっておもいはじめました!まあいくにしろいかないにしろ一回TOEFL受けて実力をはかろうとおもいまーす。いくならボンビーなうちは交換留学だから相当点数必要なきがします。
>
> わたしの大学1年の夏休みでしたーー!

フランスの安楽死  「母、美しい老いと死」

2008-08-12 13:32:41 | 読書
フランスでの安楽死は普通に行われて居るようです。

 「母、美しい老いと死」は 1984年に母親の最終の5日を記録した本である。
著者;アンヌ・フリップは1947年に外交官の夫とシルクロードを旅した記録「シルクロードキャラバン」の著者である。以前読んだが、その旅行は60年前の事なので、駱駝に乗ったり不潔な旅籠に泊まったりの旅であった。

 この本は、南仏に滞在していた彼女が、90歳の母が自宅のベッドの中で卒中を起こしたのを知らされ見舞うが、始めは少し話せたが、3日目にはいよいよ最後の状態かと思い 評判の良い近所の医者に診て貰う。

 医者は下記の3つの案を示す。
 (1)入院させるが、回復の余地はない。
 (2)此の侭にしておく。6日位は生きられるが苦しむ。
 (3)辛い死を避ける為に深く眠らせる。
     
 この方法を選択するのは貴女です。と医師に言われる。
「入院は駄目だわ。助かる見込みのないのに苦しませるのもだめ。
第(3)の方法にします。」という。

“以前から母は「苦しませたり、衰弱したままで置かないで。延命も、入院もいや。声を出して誓って!」と言っていたが、いざとなると流石に自分にとって非常に難しいことだった。

その夜、看護婦が来て注射を打ったが、その前に母親は意識もなくなんの反応もない人になっていた。次の日医者が来てもう一度注射を打ち、「おそらく今夜の内でしょう。苦しむ事などありません」という。

寝苦しい夜が明けて、何をしても気が紛れる事もなく、今起こっている事がどうしても現実とは思えない・・・タオルをもって寝室に入ると母親は息を引きとっていた。”

 さて、日本でこんな事が容易に出来るなら、私共シニアにとって、なんと素晴らしいことだろう。友人たちもそれには大賛成。沢山の老人が意識もなく何年もベッドで薬づけされて生きていると言う。私の親戚はそんな状態で10年位過ごされた。

 医療関係者が「最終医療は一番費用が高く取れるのです」と言うのは本当のことですか?そんなお金を、産科医や救急医、などに使って欲しい。

 著者は、後に往年の映画俳優ジュラール・フィリップと結婚した事でも有名になった人です。・・・長くなるのでこれで終わり。


餓死した兵士たち!

2008-08-04 21:35:59 | 読書
餓死した兵士たち! 8月15日・63回目の終戦記念日が近づきます。

第2次世界大戦で亡くなった兵士の内、外地で餓死された方は戦死された兵士より多いのではないかと聞ききました。日本の参謀達には兵站(後方から戦いの食料や必需品等を補充する機関)に対する考えがどうだったのでしょか。何という無能さが悲惨さを引き起こしたのでしょう。 

 今頃、私がこんな事を書くのは「項羽と劉邦」と「長安から北京へ」司馬遼太郎著を近頃、読んだからです。
“劉邦は食料に敏感な男だった。一群の将になった後も常に食糧を漁り歩き、兵を食わせる事を第一に置き、余力があれば作戦をやった” とまで司馬遼太郎書いています。

 結局、項羽に勝てたのは、“広武山の高地に巨大な大穴をいくつも穿ち、それぞれに屋根をかぶせて穴倉群をなしているのが,秦帝国の官営穀倉である”この巨大な穀倉群を抱えて離さなかった劉邦が、極言しますと、兵站に滞った項羽に勝利したと言う事です。

 秦の始皇帝がBC210年に亡くなり、その8年後に、いつも飢えていた農民出の劉邦がこの戦いに勝ち、BC202年偉大な漢王朝を開く事になりました。

 「項羽と劉邦」は1980年に出版されていますが、「長安から北京へ」によると、その5年ほど前に日本の作家のグループで中国旅行をした時に、司馬遼太郎は洛陽の郊外で、1969年に発見された隋唐時代の“直径11m、深さ7m官営穀倉の遺跡”を見学したと書いています。この後何と261個の官営穀倉が洛陽近くで発見されたそうです。
 
 毛沢東も延安で「史記」とか「水滸伝」などが愛読書だったとエドガースノーも書いていると思います・・・戦後はスノー「中国の赤い星」スメドレー「偉大なる道」などを私共、若者は皆々感激して読んだものです。時代は変わりましたが・・
 日本の歴史的な戦記物では 兵站について、どんな事が書かれているのか知らないのです。

ブログの字を大きくしましたが・・・

2008-08-03 13:56:48 | 日々
 何とか、ブログの字を大きくしましたが・・・

 ブログのスタイルを、変えられるテンプレートにしています。
前のはオレンジ系で明るい感じで気に入っていましたが、好きな色に変えるつもりで、今日トライしてみました。

 やり方が悪いのか、又は無料のでは出来ないのでしょうか?
まず文字を大きくしましたが、色を変えるの等は何度試しても出来ません。
 どなたか教えてくだされば幸せです。