89歳の日々

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餓死した兵士たち!

2008-08-04 21:35:59 | 読書
餓死した兵士たち! 8月15日・63回目の終戦記念日が近づきます。

第2次世界大戦で亡くなった兵士の内、外地で餓死された方は戦死された兵士より多いのではないかと聞ききました。日本の参謀達には兵站(後方から戦いの食料や必需品等を補充する機関)に対する考えがどうだったのでしょか。何という無能さが悲惨さを引き起こしたのでしょう。 

 今頃、私がこんな事を書くのは「項羽と劉邦」と「長安から北京へ」司馬遼太郎著を近頃、読んだからです。
“劉邦は食料に敏感な男だった。一群の将になった後も常に食糧を漁り歩き、兵を食わせる事を第一に置き、余力があれば作戦をやった” とまで司馬遼太郎書いています。

 結局、項羽に勝てたのは、“広武山の高地に巨大な大穴をいくつも穿ち、それぞれに屋根をかぶせて穴倉群をなしているのが,秦帝国の官営穀倉である”この巨大な穀倉群を抱えて離さなかった劉邦が、極言しますと、兵站に滞った項羽に勝利したと言う事です。

 秦の始皇帝がBC210年に亡くなり、その8年後に、いつも飢えていた農民出の劉邦がこの戦いに勝ち、BC202年偉大な漢王朝を開く事になりました。

 「項羽と劉邦」は1980年に出版されていますが、「長安から北京へ」によると、その5年ほど前に日本の作家のグループで中国旅行をした時に、司馬遼太郎は洛陽の郊外で、1969年に発見された隋唐時代の“直径11m、深さ7m官営穀倉の遺跡”を見学したと書いています。この後何と261個の官営穀倉が洛陽近くで発見されたそうです。
 
 毛沢東も延安で「史記」とか「水滸伝」などが愛読書だったとエドガースノーも書いていると思います・・・戦後はスノー「中国の赤い星」スメドレー「偉大なる道」などを私共、若者は皆々感激して読んだものです。時代は変わりましたが・・
 日本の歴史的な戦記物では 兵站について、どんな事が書かれているのか知らないのです。