致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。
(転載開始)
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/11/15】 致知出版社編集部 発行
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このメールマガジンでは、
月刊誌『致知(ちち)』より
皆さまの人間力を高めるエピソードを
厳選してご紹介しています。
* *
本日は『致知』2001年1月号より、
ロサンゼルス五輪金メダリストで、
現在、東海大学教授として後進の育成に
励んでおられる柔道家・山下泰裕氏のお話を
ご紹介いたします。
────────────────────────────────────
「人の痛みがわかる本当のチャンピオンになれ」
山下泰裕(東海大学体育学部教授、柔道部監督)
『致知』2001年1月号
特集「学び続ける」より
────────────────────────────────────
今回のシドニーオリンピックを振り返ってみて
非常に嬉しいことがあります、
一つは篠原(信一選手)が決勝戦で負けましたね。
誤審ではないかと私も抗議しましたが、篠原は
「あれは自分が弱かったから負けた」
「審判に不満はない」という発言をしました。
篠原は、たとえあれが自分の一本ではなくて
相手の有効になったとしても、
本当に自分に力があったら、残り時間は十分にあったし、
あの後で勝てたはずだ。
本当の力が自分になかったから、
それを取り戻せなかっただけで、
そういう意味で自分に絶対的な強さがなかった、と。
それから「審判に不満はない」というのは、
審判が間違えるような、そんな試合をした自分に責任がある。
だれが見ても納得するような柔道を
しなければいけなかったんだ、ということです。
他人を云々(うんぬん)するのではなく、それに対して
自分がどうすべきであったかと、自分自身を深く見つめる。
ああいうことが起きて、初めて彼が本当はどういう人間なのか、
どういうことを大事にしているのか、
それが明らかになったと思うんですね。
そこには人間として非常に大事なことが
含まれていると思うのです。
われわれは何か事が起こるとすぐに人を批判します。
だけど、人を批判しても何の解決にもならないんですね。
それに対して自分はどうあるべきか、自分は何ができるのか、
すべてを自分に置き換えて考えていかないと、
何も解決しないんです。
篠原は見た目は、無骨でぶっきらぼうな男ですけど、
今回のことで彼の人間性を見たような気がするんです。
もう一つは初日に野村忠宏が六十キロ級で優勝しました。
前の日に試合のあった人間は、次の日の人間が
力を出し切ることができるようそばに付き人として
付くということを、前もって決めていたんですね。
それで試合が終わった日は、野村は明け方の四時ごろまで
マスコミの対応をし、次の日も朝八時から対応して、
それが終わってお昼の十二時に試合会場に、
車の中でハンバーガーを食いながら駆け付けて、
中村行成の付き人をやったんですよ。
それで中村が負けた。負けて控え室に帰ってきて、
がっくと座り込んで着替え始めた。
そのとき、野村が中村の柔道着をものすごく大事に
大切に一所懸命畳んでいるんです。
付き人は試合に向かうまでですから、
そこまでやる必要はないんです。
それなのに負けた中村の柔道着をものすごく愛しそうに
丁寧に丁寧に折り畳んでいる。
その野村の姿を見たとき、われわれコーチも
ものすごく心打たれた。
ああ野村は人間的にもまた成長したな、
人の痛みがわかる本当のチャンピオンになったな、
と思ったものです。
……………………………………………………………………
●山下泰裕氏から『致知』にいただいたメッセージ
……………………………………………………………………
『致知』には各界のリーダーの生き方が紹介されています。
深い人生体験を積まれた方々の
勇気と力を与えてくれる言葉に満ちています。
『致知』は、前向きに挑戦して行く人間にぴったりです。
これこそ私が求めていたものです。
……………………………………………………………………
○人間力メルマガ読者の方からのご感想
……………………………………………………………………
ちょっとした時間にメールを開いて
心に残るお話や言葉を読ませていただいております。
中には感動して涙が止まらないことも多々あります。
私は、今回の東日本大震災で大きな被害を受けました
福島県郡山市に在住しております。
未だ先が見えない原発事故処理問題を抱えた福島県民は
今後長きに渡って重荷を背負うことになります。
こんな中、ちょっとしたお話や言葉に
勇気付けられ今日の元気を貰っております。
会社の部会等で社員に内容を紹介して
今回の震災で疲弊した心を
少しでも和まそうと心掛けております。
いつも感動をありがとうございます。
……………………………………………………………………………………
人間力メルマガのベスト記事26本を書籍化
『一流たちの金言』(藤尾秀昭・監修)
⇒ http://www.chichi.co.jp/book/7_news/book934.html
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(転載以上)
山下さんが、足に怪我をしながらもオリンピックで金メダルを決めた時のTVの姿、感動しました。
“人の痛みがわかる本当のチャンピオン”、その言葉の中に、山下さんが大切にするチャンピオン像が見えて来ます。
“「あれは自分が弱かったから負けた」”
“「審判に不満はない」”
敗れて、審判のせいにも、だれのせいにもしない篠原選手。
“ああいうことが起きて、初めて彼が本当はどういう人間なのか、
どういうことを大事にしているのか、
それが明らかになったと思うんですね。
そこには人間として非常に大事なことが
含まれていると思うのです。”
山下さんだって本当は、とても悔しいと思うのです。
でも、そんな中で、篠原さんの真の“人間性”が見られたことを評価されているのですね。
“無骨でぶっきらぼうな男ですけど、
今回のことで彼の人間性を見たような気がするんです。”
“われわれは何か事が起こるとすぐに人を批判します。
だけど、人を批判しても何の解決にもならないんですね。
それに対して自分はどうあるべきか、自分は何ができるのか、
すべてを自分に置き換えて考えていかないと、
何も解決しないんです。”
今、とても大切な言葉だと思います。
そして、野村選手。
念願の優勝を果たし、明け方までのマスコミの対応もこなし、ほとんど寝る時間もない中で、中村選手の付き人を務めます。
そして、試合に負けた中村選手が控え室で肩を落とす中・・・
“野村が中村の柔道着をものすごく大事に
大切に一所懸命畳んでいるんです。
付き人は試合に向かうまでですから、
そこまでやる必要はないんです。
それなのに負けた中村の柔道着をものすごく愛しそうに
丁寧に丁寧に折り畳んでいる。”
肩を落とす中村選手のそばで、その柔道着を丁寧に折り畳む野村選手・・・
その姿を想像するだけで、心打たれるシーンです。
この野村選手の姿こそ、“人の痛みがわかる本当のチャンピオン”なのですね。
致知出版社よりお送り頂く、「偉人たちの一日一言」よりです。
(転載開始)
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
「偉人たちの一日一言」
〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
発行 (株)致知出版社
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今日の言葉 2011年11月14日(月)
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【真実はいつか輝き出す】
世の中ほど正直なものはない。
ほんとうの真実というものは、
必ずいつかは輝き出すものだと思うのです。
ただそれがいつ現れ出すか、
三年、五年にして現れるか、
それとも十年、二十年たって初めて輝き出すか、
それとも生前において輝くか、
ないしは死後に至って
初めて輝くかの相違があるだけです。
人間も自分の肉体が白骨と化し去った後、
せめて多少でも生前の真実の余光の輝き出すことを
念じるくらいでなければ、
現在眼前の一言一行についても、
真に自己を磨こうという気持ちには
なりにくいものかと思うのです。
『修身教授録 一日一言』より(致知出版社刊)
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月刊『致知』最新12月号・特集テーマ「孔子の人間学」
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(転載以上)
森信三さんの『修身教授録』、少しずつ読ませて頂いています。
分かり易くも考えさせられる言葉がいたるところに散りばめられており、立ち止まりながら読んでいます。
“世の中ほど正直なものはない。”
“ほんとうの真実というものは、
必ずいつかは輝き出すものだと思うのです。”
素晴らしい言葉ですね。そして真実だと思います。
今、色々なところで起きていることは、真実が輝き出ていることの現われだと思いますし、これから輝き出ることの種になるものだと思っています。
前者の例は、世界的な民主化運動であり、企業の不祥事事件であり、後者の例は、福島原発やTPP等の関係者の方々の本音、であろうと思います。
そして、今、真実が輝き出すまでの時間が、どんどん早くなって来ているような気がします。
もはや、“自分の肉体が白骨と化し去った後”まで待つ必要はなくなって来ているのではないでしょうか。
むしろ、“現在眼前の一言一行についても、真に自己を磨こうという気持ち”になり易い環境が整って来ているとも言えるのかも知れません。
致知出版社よりお送り頂く「人間力メルマガ」よりです。
(転載開始)
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/11/12】 致知出版社編集部 発行
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このメールマガジンでは、
月刊誌『致知(ちち)』より
皆さまの人間力を高めるエピソードを
厳選してご紹介しています。
* *
海千山千の勝負師たちがひしめく麻雀代打ちの世界で、
20年間不敗の伝説をつくり上げ、雀鬼(じゃんき)の
異名をとった麻雀の達人・桜井章一氏。
現在発行中の『致知』12月号では、
好評連載「20代をどう生きるか」にご登場いただき、
若い世代に向けてのメッセージを送っていただきました。
http://www.chichi.co.jp/monthly/201112_pickup.html#pick8
本日はその記事から一部をご紹介いたします。
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「雀鬼の人生哲学」
桜井章一(雀鬼会会長)
『致知』2011年12月号
連載「20代をどう生きるか」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/201112_pickup.html#pick8
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世間ではよく「意志は固いほうがいい」と
思われているようだが、私の考えでは逆である。
意志が固いために、たった一つの箇所を
突かれただけで、コロンとひっくり返ってしまう。
そして自分のプライドを崩されたような気になり、
「こんな仕事は辞めてやる」と会社を飛び出し、
引きこもりになったり、街中で暴力を振るったりしてしまう。
「柔よく剛を制す」という言葉があるが、
人間は心身ともに柔らかくあるべきというのが私の持論である。
体や心を強固にして力ずくで相手に向かっていくと、
反射神経が鈍り、柔軟な対応を取ることなど到底できない。
建物を例にとってみても、
コンクリートは頑強にできてはいるが、
外部からの衝撃には非常に弱い。
反面、木造建築は当たりが柔らかく、
強い風がきても吸収して受け止めることができる。
人間は最終的に体が固くなって死ぬように、
若い子の体はお年寄りに比べるとずっと柔らかい。
その柔らかさを十分に活用し、
行動に移していってくれたなら、
いい世の中を取り戻してくれるように私は感じている。
また、心の柔らかさというものは、
教わったことが入りやすいタイプと、
入りにくいタイプとも関係している。
まずは心を開き、精神を柔らかくしなければ
教えは入ってこない。
一つのことに囚われると、その考えにつかまってしまう。
そうすると、その教えこそ絶対だと思い込み、
他の考えをすべて否定してしまうようなことになるのである。
…………………………………………………………………
■桜井章一氏の名言(過去のインタビューより)
…………………………………………………………………
心を開いていない人ってのは素直じゃない。
それと勇気がないですね。
やはり、人間には精神と肉体しかないわけですから、
精神的には、心を開くこと。
それから肉体的には行動を惜しまないこと。
それによって、教わったことが身に付きやすい
伝導体質になって、成長の根源になると思います。
『致知』2002年2月号
「雀鬼と呼ばれた男の行動哲学」より
(転載以上)
“世間ではよく「意志は固いほうがいい」と
思われているようだが、私の考えでは逆である。”
一芸に秀でていらっしゃる方は、何か共通するものを持っていらっしゃいますね。
その共通するものとは、生き方やその考え方にあるように思います。
桜井さんも実は意志が固い部分もあるのではないかと思うのです。
“肉体的には行動を惜しまないこと。”という言葉にそれが現れているような気がします。
やはりそうした面もなければ、一流になるのは難しいのではないでしょうか。
でも、桜井さん自身は、少なくともそれを意識されて来なかった。
“人間は心身ともに柔らかくあるべき”
素晴らしい言葉ですね。
心を開くことが出来るということは、素直さも持っているということ。
心を開くには勇気も必要ですね。
勇気とは、自分のプライドや今まで培って来た経験、それをさっぱりと捨てる覚悟でもあるのかも知れません。
時には勇気、そして素直に心を開くことによって初めて、大切なことを受け取ることが出来るのですね。
致知出版社よりお送り頂いている「偉人たちの一日一言」よりです。
(転載開始)
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「偉人たちの一日一言」
〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
発行 (株)致知出版社
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今日の言葉 2011年11月11日(金)
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【現代人の欠陥】
現代人の一般的欠陥(けっかん)は、
あまりに雑書を読み、雑学になって、
愛読書、座右の書、私淑(ししゅく)する人などを持たない。
一様に雑駁(ざっぱく)・横着(おうちゃく)になっている。
自由だ、民主だということを誤解して、
己(おのれ)をもって足れりとして、
人に心から学ぼうとしない。
これは大成するのに、もっとも禁物であります。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
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(転載以上)
“あまりに雑書を読み、雑学になって、
愛読書、座右の書、私淑(ししゅく)する人などを持たない”
手厳しい言葉ですね。でも、私の場合、それを認め反省するしかありません。
流行に乗って色々な本や雑誌を買って読んでいると、自分が時代の先端にいるような気になったりします。
でも、そうして得た知識は、実は枝葉の知識としてしか機能しないのですよね。
すぐに使えないものになってしまう。
決して、自分の太い幹とはならない。
自分の心の判断基準として、時を超えて普遍性を持つものが、本物の知識、そして知恵なのでしょうね。
“自由だ、民主だということを誤解して、
己(おのれ)をもって足れりとして、
人に心から学ぼうとしない。”
自由主義、民主主義とは、利己主義に陥りやすい性質も同時に持っているのでしょう。
今、話題になっているギリシャ、イタリアは、早くからこうした思想が生まれ育って来た国ですね。
そうした国々で、危機が起きているということは、その長い歴史が、安岡さんの言葉を裏付けているようにも思えます。
歴史は繰りかえすものだということを考えると、この現象は、日本を含めた他の国々にも波及していくと考えた方がいいのかも知れません。
致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。
(転載開始)
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/11/8】 致知出版社編集部 発行
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このメールマガジンでは、
人間学を学ぶ月刊誌『致知』より
そのエッセンスの一部をご紹介しています。
* *
本日は、事務用品ブランドとして
創業百年を超える老舗・コクヨを大企業へと飛躍させた
二代目・黒田しょう之助氏のお話をご紹介いたします。
(※「しょう」は、日偏に章と書きます。
メールソフトに対応していない文字のため、
平仮名とさせていただきます)
────────────────────────────────────
「信用は使ってはならない」
黒田しょう之助(コクヨ会長)
『致知』1999年11月号
特集「本物は続く、続けると本物になる」より
※肩書きは掲載当時です。
────────────────────────────────────
人の信を得るということ、
つまり信用を築き上げるということは
一朝一夕にできないことは皆さんよくご存じです。
創業して間もない企業や中小企業は、
何とかして信用のある企業といわれるようになりたいと、
トップから一般社員まで大変な努力を続けておられると思います。
こうして真剣な努力を続けていると
その成果が上がってきて、
信用のある会社だといわれるようになります。
間題はその後です。
ある程度信用ができてくると、それを使い始める。
会社や社員の姿勢がだんだん高くなってくるわけです。
つまり「君、それくらいのことは何とかできんのか」
ということで、無理を言うことが起こってくる。
こちらが無理を言わなくても、先方から
「支払いはそんなに早くしてもらわなくても」
と言ってくれるようになる。
納期が多少無理でも、
徹夜してでも間に合わせてくれるようになる。
しかしそれに甘えて信用を使い出すと、
長い年月をかけ、血のにじむような努力によって
蓄積してきた信用が取り崩されてしまう。
先代はこのことを戒めて、次のように言いました。
「信用は世間からもらった切符や。
十枚あっても、一枚使えば九枚になり、
また一枚使えば八枚、といった具合に減ってしまう。
気を許すと、あっという間に信用がなくなってしまう。
特に、“上が行えば下これを習う”で、
上に立つ者ほど注意しなければいけない」と。
金は使ったら減るのはわかるが、
信用というのは目に見えないだけに
減ることがわからない。
先代はさらに
「信用は使ってはならない、
使わなければどんどん増えていく」
とも言っていました。
(記者:使えば減るというのは当たり前ですが、
つい忘れてしまいがちなことですね)
そうなんです。当たり前のことなのにできない。
事業をやるからにはどなたも最初はわかっていると思います。
要はそれを続けるかどうかです。
創業者の時代は見事にできていたものが、
年を経てくると信用よりも銭金の方が大事、
あるいは建物が立派な方が大事、という具合に
価値そのものが変わってくる。
幸せなことに私どもは大事なことが変わらなかった。
なにも人様の前へ出て話すようなことではないんです。
もう本当に三度三度のおまんま食べるぐらいの
当たり前のことばっかりなんですが、
当たり前のことがなかなか続かないんですね。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
(転載以上)
“信用は使ってはならない”
不思議な言葉、なんのことだろう?と思いました。
“ある程度信用ができてくると、それを使い始める。
会社や社員の姿勢がだんだん高くなってくるわけです。
つまり「君、それくらいのことは何とかできんのか」
ということで、無理を言うことが起こってくる。”
なるほど、そういうことだったのか!と思います。
確かに、信用が出来てくると、取引関係等にもおいてその信用を利用しようとするという感覚、わかります。
“信用を使ってはならない”とは、そうした時の心構えについておっしゃっていたのですね。
しかし、それに直面した時のことを考えて見ると、実はその言葉がいかに奥深く、かつ 厳しいものであるのかということがわかります。
「実るほど 頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますね。
この言葉もきっと、信用という実りが出てきた時こそ、頭を垂れなさいという意味なのでしょう。
そして、信用があってもおごることなく、自然に頭を垂れることが出来るようになれば、
“「信用は使ってはならない、
使わなければどんどん増えていく」”
まさに、信用がどんどん厚みをましていく、という循環が生まれるのかも知れませんね。
三橋貴明さんよりお送り頂いている「<ウラ読み>経済レポート」よりです。
(転載開始)
■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□
今回のTPP騒動では、「情報戦争」の典型例として
後世の教科書に載ってもおかしくないほどの、
異様極まりない情報統制、印象操作、ミスリード、捏造報道、
既成事実化などが繰り返されています。
特に、新聞が酷いです。
代表的な事例を以下にご紹介致します。
◆2011年10月16日:
自民党の谷垣総裁がテレビにおいて、
「TPP、拙速判断いけない。協議が必要」
と述べた件について、産経新聞、日経新聞、毎日新聞の三紙が、
「交渉参加に前向き 自民・谷垣総裁が発言」
という見出し、主旨の記事を大々的に報じました。
◆2011年10月17日:
日本政府は
「TPP協定交渉の分野別状況」を公開し、
TPPが農業問題のみならず、
24もの分野に及ぶ非関税障壁の撤廃である事実を
明らかにしました。
日本のマスコミは「TPPは農業問題」という印象操作、
問題の矮小化を行っていたわけですが、
事実とは異なるということが政府資料で明らかにされたわけです。
◆2011年10月20日:
朝日新聞が、
「小沢氏、TPPに前向き「自由貿易は日本にメリット」」
という見出しで、小沢一郎衆院議員が
TPPに前向きであると一面で報じました。
直後、小沢事務所のツイッターにより、
完全な虚偽情報であることが暴露されてしまいます。
◆2011年10月27日:
内閣府が発表した
「TPP経済効果 10年で2.7兆円」について、
産経新聞、日経新聞、読売新聞、時事通信などが、
「10年で」という言葉を省いて報道しました。
◆2011年10月28日:
TPPにおいて公的医療サービスの「見直し」は
検討の対象になっていないと
政府やマスコミは説明していました。
ところが、アメリカのUSTRは堂々と
「TPPにおける医療分野の目標」として、
公的医療サービスの「見直し」を表明していることが
明らかにされました。
◆2011年10月29日:
TPP推進派は、
「交渉に参加し、条件が悪ければ批准しなければいい」
などと、外交常識を無視した言説を振りまいていましたが、
米国のワイゼル主席交渉官により、
離脱する可能性があるならば
「交渉に参加するな」と釘を刺されてしまいます。
◆2011年11月2日:
フジテレビや産経新聞などは、
「(政府関係者の話によると)野田首相が
鹿野農水相と先月だけでも数回極秘会談を行い、
鹿野大臣が最終的に交渉参加を容認する考えを示唆し、
野田総理がTPP交渉参加をAPECで表明する以降を固めた」
と繰り返し報道し、
TPP交渉参加を既成事実化しようと努力していました。
ところが、関西テレビのニュースアンカーにおいて、
鹿野道彦農水大臣が上記の報道について
「完全否定」したのです。
鹿野大臣「そういう事実(極秘会談)はありません。
それから私が交渉参加することを容認したということも、
そのような事実はございません」
上記の通り、TPP報道に際し、
国内マスコミ(及び政府)はひたすら
「ウソ」を振りまくことで、
交渉参加を既成事実化しようとしています。
何故、マスコミや政府は、
ここまでTPPに関してウソを
積み重ねなければならないのでしょうか。
理由は簡単です。
真実を言えば、
日本国民の大多数が「TPP交渉参加」に反対することが、
はじめから分かっているためです。
何しろ、TPPは
日本国民のためには全くなりません。
日本国民のためにならないTPPという「商品」を、
虚偽情報を振りまくことで売りつけようとしているわけで、
この種の行為を、法律用語で「詐欺」といいます。
□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■
(転載以上)
三橋さんは、事実を並べて説明されるので、とても説得力がありますね。
マスコミが一種ヒステリックとも思えるようなやり方でTPPを推進する様子、このようにすれば国民も言うことを聞くだろう、という感じが伝わって来るような気がします。
先週日曜日のNHK討論、TPP賛成、反対派に分かれての討論を見ていましたら、反対の方がTPPの項目が農業だけでなく、24もあるという話を始めると司会者の方がそれを遮って、「今は農業の話にしぼってお願いします。後から他のことにも触れます」とおっしゃっていたのですが、農業以外の話に進んだときに、またTPP全体の観点から反対という説明があったのに対して、今度は、「食ということに絞ってお願いします」と遮り、結局、全体論は、政府として留意する点として挙げている4点くらいにしか触れませんでした。
やはりごまかしはいけませんよね。
この記事なんかもそうだと思います。
「TPPに乗り遅れれば二度とチャンスは来ない」http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20111108/223699/?mlh1&rt=nocnt
国会では、党を超えて反対の声も上がっていますが、野田首相は、やはり米国のいう事をきかないと短命政権に終わってしまうからでしょうか、今日、交渉に加わると発表するようですね。
交渉に加わると退出は出来ないでしょうから、そのまま突き進むということになるのでしょう。
TPPを強力に推進する方々の中には、自社のビジネスに有利そうだから、という人と、米国追随の人の他に、日本の国益を損ねることを目的にしている人も混ざっているような気がしています。
致知出版社の「人間力メルマガ」よりです。
(転載開始)
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/11/6】 致知出版社編集部 発行
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本日は『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介します。
今回は2006年2月号の『致知』より
寿町勤労者福祉協会診療所長・
佐伯輝子氏の心温まる随想です。
ぜひ最後までお読みください。
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■「致知随想」ベストセレクション
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「自分を待ってくれている人たち」
佐伯輝子(寿町勤労者福祉協会診療所長、医学博士)
『致知』2006年2月号より
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「五年も前から先生を探してるんですが、
一向に決まらなくて困ってるんです」
自宅の医院と市内の診療所を掛け持ちし、
多忙な日々を送っていた私の元へ横浜市から
電話があったのは二十五年前。
五十歳を目前にした日のことでした。
現在、日本の三大ドヤ街の一つとして知られる
寿町(ことぶきちょう)も、当時は世間に知られておらず、
私自身もそこがどんな町であるか、見当もつきませんでした。
実際、それまでも何人かの先生に依頼したそうですが、
駅を降り、診療所に行き着くまでに誰もが引き返してしまう、
それほど異様な雰囲気の町だというのです。
夫は
「そんな危ない場所へ女が行くことはない」
と
断固として反対。それでも市と医師会からは
「何とか一年だけでもお願いします」
とたびたび電話がかかってきます。
そんな時、私たち夫婦の会話を
そばで聞いていた息子がこう言いました。
「ママを待ってくれている人がいる限り、
それを断っちゃいけないんじゃない?」
てっきり反対されるものと思っていた
息子の一言には驚きましたが、
あれだけ反対していた主人までが
「それじゃあやってみるか」と言い出したのです。
この時、女学校時代に担任の先生から聞いた
「いいかい、人間の意見は二人は複数じゃないの。
三人以上の意見があって
それがまとまった時にうまくいくのよ」
という言葉を何十年も経ってから実感しました。
初めての診察日、自動車で診療所前まで来ると、
木立ちで用を足している男性がいます。
仕方なく車の中で待っていると、
私の気配に気付いた彼が逆上し、
車におしっこを撒き散らしてきたのです。
木で車体を叩きつけられ、
怒鳴り散らしながら去っていった姿を見ながら、
これは大変な所へ来たと思いました。
診察に訪れる方は、泥だらけだったり、シラミがいたり、
下着も穿いていない、健康保険に入れない方など様々です。
しばらくすると、当初二十名程度の見込みだった患者数が
連日倍の数、多い時で九十名を超え、
待合室の廊下には人が溢れました。
「うるせぇ」「てめぇ、このヤロー」といった怒号が
わんわん飛び交い、落ち着いて診察もできません。
一度、待ち時間の長いことに腹を立てた男性が、
刃物を忍ばせて私に襲いかかってきたこともあり、
その後しばらくは恐怖心が拭えませんでした。
患者に首を絞められ、危うく死にそうになったこともあります。
入り口付近にいた男性が近づいてきて、
肩をつかまれたかと思うと「久々に女に触れた」という興奮からか、
私の首を絞めたまま痙攣状態になり、激しく震え出したのです。
専任のガードマンと職員が四人がかりで引き離してくれましたが、
腰が抜け、どっとその場にへたれ込んでしまいました。
私は寿町で死んでしまうかもしれない。
その思いはいまでもあります。
当時、診療所に訪れる人たちの中には、
逃亡中の身の上や、家を出て行方知らずになっている人も
珍しくありませんでした。
住人たちは寿町に身を潜めるように暮らしていましたが、
それでは悪の温床になってしまう、
なるべく明るみに出したほうがよいと思い、
講演活動などの際に、私はこの町の存在を
勇気を出して話してきました。
ただ、初めの頃は、皆のために
ここへ来たと思っていた私ですが、
いまになって、自分のためにここへ来たんだなと
思うことが少なくありません。
いまから十五年前、診療所での活動を評価され、
吉川英治文化賞の受賞が決まった前の晩のことです。
馴染みの患者から自宅に電話がかかってきました。
「先生、いつも賞を受ける時、私一人の力じゃありません。
スタッフ皆でいただいた賞です、って言うだろ。
分かんねぇのかよ。
俺たちもいままで“協力”してきたんだぜぇ」
確かに医者とスタッフだけいても仕事にならない。
患者さんも含めての受賞。
二十代からずっと医療に携わってきた私も
この言葉には目から鱗が落ちる思いでした。
診察をする上で、私は患者の方と目線を合わせる、
ということを常に心がけています。
だから「どこが悪いの」ではなしに、
「きょうはどうしたの」と尋ねる。
具合が悪いと聞けば、
「私は医者でたまたま治し方を知っている。
だから一緒に治してみる?」
と持ちかけます。そして時には、
一人の人間として声を荒げることもあります。
ある日、「ビール瓶で怪我をした」という男性が
診察室にやってきました。
巻かれてあったタオルを取ると、薬指はブラブラで、
皮一枚でついています。隣の小指はすでにありません。
すぐに手術をしようという私に、男性は
「指なんていらねぇから取ってくれ。
男の約束は、女には分かんねぇんだよ」
と言ってふてくされています。私はこう言いました。
「お母さんがあんたを産んだ時に、
この指がなくてもいいと思ったと思うの。
五体満足で生まれてくれて、あぁよかったと思うのが
女が赤ん坊を産んだ時の気持ちなんだよ。
それを尊重せずに自分だけの命だ、
指なんていらないなんて言ったら、
金輪際、女である私が許さないよ」
手術台のベッドで大泣きし始めた男性は、後日
「人に初めて怒ってもらえて、すごく嬉しかったんだ」
と教えてくれました。
休診の張り紙を出すと、いくら理由を言っても
「先生、やめるんじゃないだろうな」
「先生やめたら俺たち死んじゃうよ」と、
駄々っ子のようにごねる寿町の住人たち。
自分を待っている人がいる限り、
それを断ってはいけない――
二十五年前、息子から言われた言葉を噛み締めながら、
この生かされし命の使い道を考えるきょうこの頃です。
(転載終了)
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日本の三大ドヤ街の一つとして知られる寿町(そうなのですね)。
何人かの先生が駅を降り、診療所に行き着くまでに引き返してしまう、異様な雰囲気を持った町。
ご主人が断固反対するのも無理ないことでしょう。
自分ならどうしたのだろうか、と考えて見ても、その決断が全く容易なものではないということがわかります。
“そんな時、私たち夫婦の会話を
そばで聞いていた息子がこう言いました。
「ママを待ってくれている人がいる限り、
それを断っちゃいけないんじゃない?」”
この息子さんの一言は、まさに神様の声ですね。
思わず感動してしまいます。
だからこそ、
“あれだけ反対していた主人までが
「それじゃあやってみるか」と言い出した”のではないでしょうか。
そして、息子さんの言葉が家族全員の転換点になるということ、それは家族の絆が揺ぎ無いものでなければありえないことだと思います。
“「いいかい、人間の意見は二人は複数じゃないの。
三人以上の意見があって
それがまとまった時にうまくいくのよ」”
何十年も前に先生から聞いていた言葉が蘇ります。
しかし、実際に体験して見ると、それは想像を超えたことばかり。
そんな中でも、
“初めの頃は、皆のために
ここへ来たと思っていた私ですが、
いまになって、自分のためにここへ来たんだなと
思うことが少なくありません。”
と思えること、本当に素晴らしいことだと思います。
“自分を待っている人がいる限り、
それを断ってはいけない――”
佐伯さんの原点は、いつも二十五年前の息子さんの言葉にあるのですね。
ギリシャの国民投票の話題については、先日の日記でも触れました。
http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/1deac4c1f18bb81a411fdf382831838d
結局、国民投票はなくなり、パパンドレウ首相率いる内閣は、4日の内閣信任決議で辛うじて過半数を獲得して信任されることになりました 。
まだパパンドレウ首相の去就含めて不確定要素はありますが、取りあえずは、当初の予定通り、支援を受ける方向で動き出したことになります。
世界をひっかき回した人物として、マスコミでは相当ひんしゅくを買っているようですが、私は、パパンドレウさんはたいした政治家だと思っています。
欧州から支援を受けることは、もともとギリシャの議会でも可決されていたことです。
ですので、欧州首脳会議でせっかく形にした支援策を、よりによってその直後に水泡に帰する様な国民投票の発表は、本当はする必要がなかったのです。
でもあえてそれをやりました。
野党ND党は、前回ギリシャの議会で緊縮財政に反対しました。
それが議会を通過したのは、ひとえに与党が過半数を占めていたからに他なりません。
今回の騒動の中で、ND党は与党と連係して行くことで合意しました。
大連立とも言える体制になったのです。
メルケルさんやサルコジさんがいくら、国民投票を撤回する様にと迫ったにもかかわらず、まったく首を縦に振らなかったパパンドレウさんは、野党のその変化を見て、「国民投票にこだわる必要は無くなった」としてその案を撤回しました。
その代わり、自分の退陣を仄めかすことにもなりましたが、政治的には大きな勝利であったと思います。
それだけでなく、国民にも、本当にユーロに残りたいのかどうか、残りたい場合には、緊縮策を受け入れるしかないという強いメッセージを送ることになったと思います。
もともと、ギリシャの議会を通っていたと言っても、半分近い反対があったわけです。
国民も、反対の野党につく様になるでしょうし、これでは緊縮策も、実効性のない絵に書いた餅になってしまいます。
今回の騒動で、そこにメスを入れたのだと言えると思うのです。
もちろんこれからも問題は度々出て来るでしょう。
生活がまだまだ厳しくなって来る国民の不満はどんどん大きくなって行くでしょう。
私はもともと緊縮財政をやっても、税収が減るので、財政赤字軽減に大きく貢献することは難しいと思っています。
でも、一度物事を整理する必要があった。
それを実行したのがパパンドレウさんであり、そのタイミングは、救済策の枠組みがある程度合意された直後しかなかったと思うのです。
まだまだ今後色々起こると思いますが、今回のパパンドレウさんの行動は、政治家たるものだったと思います。
連立と引き換えにパパンドレウさんが辞めるという話も出ていますが、私はむしろその後が気になります。
気になると言えば、一体何を考えているのか、と言われる首相のいるイタリアは、次の発火点になるかも知れません。
その場合、スペインも当然大きな影響を受けることになるでしょう。
致知出版社より、「偉人たちの一日一言」です。
(転載開始)
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今日の言葉 2011年11月5日(土)
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【真の教育者】
真の教育者は、少なくとも
二十年、三十年先の国家のことを、
常にその眼中に思い浮かべていなくてはならぬ。
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(転載以上)
森信三さんの『修身教授録』、愛読しています。
そこでは、難しいことは全然おっしゃっていません。
人が生きていくにあたって基本的で大切なことを静かに説いていらっしゃいます。
しかし、その静かな語り口の中に、森さんの熱い思いが溢れ出ています。
まるで、教室の中で自分も一緒に講義を受けているかのような錯覚に陥ります。
この言葉にも思わずドキッとしますね。
確かに、教育者は、二十年、三十年先の中核を担っていく人たちを育てていくわけですから、それを意識することは本当は当たり前のことなのかも知れません。
でもそんなことは、今まで誰からも聞いたこともないし、自分でも考えてもいなかったというのが正直なところで、恥ずかしくも感じます。
1年、2年とか近い将来のことを考えると色々なことが起きていそうですが、20年、30年という年月で考えると、そこには大きな希望が見えて来るような気がします。
教育者とは、所謂、先生のことだけではありませんね。
人は例外なく、自分より後に生まれてくる方々の教育者なのだと思います。
致知出版社「偉人たちの一日一言」よりです。
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(転載開始)
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今日の言葉 2011年11月4日(金)
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【光と闇】
本当に
光を知るためには
本当に
闇を知らねばならぬ
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(転載以上)
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光と闇、坂村真民さんの言葉は先日も紹介させて頂きました。
http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/0c6f8238252230c5df6da75041da05a3
坂村さんは、詩人としての力を発揮するため、朝早く、というよりも夜中に起きて創作活動をされていたそうです。
その時間、魑魅魍魎の様々な気配や力を感じていらしたようです。
朝方、4時位だったでしょうか。
常に同じ時間に、突然、空気が変わる瞬間があるそうです。
それが、日の出に向けた新しい一日の始まり。
その変化を体験するためにそのような生活を毎日して行かれました。
だからでしょうか。
坂村さんの言葉には一切無駄がありませんし、とても厳しくもあります。
しかし、その短い言葉は常に本質をついています。
もと外交官であった天木直人さんのメールマガジンよりです。
(転載開始)
□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】
■□■
□■ 天木直人のメールマガジン2011年11月1日第765号
■
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パレスチナのユネスコ加盟を歓迎する
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11月最初のメルマガを明るいニュースで始めたい。
10月31日、ユネスコ(国連教育・科学・文化機関)総会はパレス
チナの正式加盟を賛成107、反対14、棄権52の賛成多数で承認
した。
いうまでもなくパレスチナが主要な国際機関で、正式な加盟国の地位
を得たのはこれが初めてである(11月1日読売)。
日本の報道はこの歴史的な出来事を大きく取り上げないが、国際政治
に与える影響ははかり知れないほど大きい。
もちろんこれによって中東和平が直ちに進展する保証はない。
それどころかイスラエルが硬化して短期的には中東和平は停滞する
おそれすらある。
しかし長い目で見ればこれはパレスチナ和平実現に向けての大きな
第一歩となるだろう。歴史を振り返った時、そう思い知らされることに
なるに違いない。
パレスチナ問題の真の解決は、パレスチナが国家として認められない
限りおぼつかない。
パレスチナが国家として認められない限りイスラエルとの対等な交渉
はあり得ない。
パレスチナとイスラエルが不平等な関係のままでは、決して正義の
実現は望めないのだ。
すなわち、パレスチナ問題の公正で持続的な解決の実現にとって、
パレスチナ国家の承認は不可欠なのである。
だからこそパレスチナ問題の公正で持続的な解決を望まない米国と
イスラエルは決してパレスチナを国家として認めないのだ。
国連安保理で拒否権を有する米国は、最後は拒否権を発動してパレス
チナの国連加盟を認めないのである。
しかし国連の専門機関であるユネスコでは拒否権の発動は認められて
いない。加盟国の賛成多数ですべてが決定される。
そのユネスコでパレスチナの加盟が圧倒的多数で認められたのだ。
国連安保理常任理事会が、米国の工作によりいつまでたっても結論を
出せない間に、ユネスコが先駆けてパレスチナ国家承認の先手を打った
のだ。
この国際的な流れはもはや誰も止められることはできないだろう。
そのことを、ユネスコのパレスチナ加盟を報じる11月1日の朝日
新聞が次のように見事に描写していた。
・・・投票結果が読み上げられると、パレスチナ自治政府のマルキ
外相は両手を高々と掲げ、会場から沸き起こった大きな拍手に応えた。
パレスチナが195番目の加盟国に承認された瞬間だった・・・
(それとは対照的に)米国代表が「NO」と表明すると会場がため息
が漏れ、イスラエル代表が「NO」の際は笑い声が上がった・・・
米国とイスラエルは世界からますます孤立しつつあるということだ。
私はパレスチナのユネスコ加盟承認を歓迎する。
一日も早い中東和平の実現を期待する。
了
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購読・配信・課金などのお問合せやトラブルは、
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────────────────────────────────
編集・発行:天木直人
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登録/配信中止はこちら:https://foomii.com/mypage/
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(転載以上)
現在、パレスチナが国連加盟を申請しています。
現状を見ると多くの国々がそれを支持しているようです。
しかし、国連安保理で拒否権を有する米国は、パレスチナの国連加盟を認めようとしません。
するといくら多くの国々が賛成しても、パレスチナは国連に入れません。
もともと、パレスチナはもっと大きな国土に住んでいたのに、イスラエルに加担する大国の思惑によって、どんどん領土が狭くなり、難民化せざるをえなくなった方々です。
パレスチナを国際社会で認めることが国際平和への第一歩だと思います。
日本は、米国に遠慮しているのか、パレスチナの国連加盟問題についてはなにもコメントしていないようです。
しかし、平和国家を自認するのであれば、日本の立場をきちんと示すべきだと思います。
それによって日米同盟にひびが入るのであれば、結局その程度の結び付きであったということなのだと思います。
TPPの問題しかり、最近になってようやく大企業賛成派対農業反対派という単純な図式から、より本質的な議論が進み始めて来たように思いますが、まだまだマスコミも政府よりの報道を崩していないようです。
やはり米国に対する配慮ということなのでしょう。
しかし、農業だけでなく、様々な分野、全部で24あるわけですから、それぞれについて一つ一つメリット、デメリットを積み上げ、包括的な議論にしていくことは不可欠だと思います。
今後の日本のあり方に関する大切な事柄です。
米国の拒否権がない為に通った、パレスチナのユネスコ加盟承認、歓迎します。
ここから良くなるにしろ、イスラエルが力を行使して緊張が高まるにしろ、大きな歴史的な転換点になるのではないでしょうか。
私は前者であると信じます。
致知出版社からお送り頂いている「人間力メルマガ」よりです。
(転載開始)
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致知出版社の「人間力メルマガ」
【2011/10/30】 致知出版社編集部 発行
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本日は『致知』の人気連載コーナー「致知随想」の中から、
特に反響の多かった記事をセレクトしてご紹介しています。
今回は、現在発行中の『致知』11月号より
SMAPのCDジャケットなどを手掛けたことで知られる
佐藤可士和(かしわ)氏がデザインした
「ふじようちえん」園長の加藤積一氏の随想です。
ぜひ最後までお読みください。
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■「致知随想」ベストセレクション
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「幼児教育こそ国をつくる力」
加藤積一(学校法人みんなのひろば・ふじようちえん園長)
『致知』2011年11月号より
http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20111030.html
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「遊びと学びと建物が一体となった
世界的にユニークな建物」
このような評価をいただき、昨年、
私が園長を務めるふじようちえんは
OECD(経済協力開発機構)が主催する
学校施設の好事例最優秀賞に選ばれました。
二〇〇七年に園舎全体をリニューアルした当園は、
広い芝生の園庭を囲むように建てられた
ドーナツ型の平屋の園舎に、約六百名の園児たちが
思い思いに遊んでいます。
一九七一年に父が始めた幼稚園を私が引き継いだのは
一九九四年のこと。園舎は次第に老朽化し、
築三十年を経過した頃から雨漏りもしてきました。
そのような状況下で、二〇〇四年に
新潟県中越地震が発生しました。
そのニュースをテレビで見ていた時、
「子どもたちに万が一のことがあったら……」
という不安が私の危機感を煽り、園舎改築を決めたのです。
さっそく知り合いの建築関係者に設計を依頼したのですが、
私にはどうしてもしっくりきませんでした。
私の考えていた「素朴で本物」
「自然を感じ、自然とともに成長する」という
コンセプトが感じられなかったのです。
結局、折り合いがつかず断念しました。
旧園舎は、武蔵野の面影を色濃く残す豊かな自然に包まれ、
どことなく懐かしい、あたたかな空気が流れていました。
そんな雰囲気を気に入ってくださって、
入園を決める親御さんも多かったのです。
だからこそ、目に見えない大切な空気を残しつつ、
これからの時代に子どもたちが育つ環境へ
より良く変化していきたいという思いが胸の内にありました。
そんな時、偶然出会ったのが
ホンダ・ステップワゴンのCMや
SMAPのCDジャケット等のデザインを手掛けた
アートディレクターの佐藤可士和さんでした。
可士和さんの、
「幼稚園や病院という“デザイン”の概念が
まだ入っていない世界をデザインしたい」
との言葉に、私たちはすぐに意気投合。
建築家の手塚貴晴・由比ご夫妻の協力もいただき、
改築プロジェクトは始まりました。
「子どもは遊びが仕事、遊びが学び」という観点で、
私が溢れんばかりの想いを伝える。
それを可士和さんが整理して必要な情報を抽出し、
手塚さんが形にしていく。
そのように三位一体で進めていった結果、
「園舎そのものが巨大な遊具」という
ユニークな園舎が完成しました。
園舎には子どもが育つための様々な仕掛けが
施されていますが、中でも皆さんが注目されるのは、
園舎の屋根の上が円形の運動場になっていることです。
ある時、可士和さんが旧園舎を眺めながら、
「あの屋根の上を子どもたちが走ったら気持ちいいでしょうね」
と言いました。
「いや、危なくてそんなことはさせられませんよ」
と私はすぐに否定したものの、
よく考えてみると自分の小さな頃は、
しょっちゅう木登りをしたり、
近所の家の屋根で遊んだりしたものでした。
手塚さんは当園のコンセプトを
「ノスタルジックフューチャー(懐かしい未来)」と
表現していますが、私が育ってきた昭和四十年代の
古きよき日本の姿を、安全性を確保した形で
現代流にアレンジした一例が、「走れる屋根の上」です。
子どもたちは、この屋根の上で全力疾走をしたり、
鬼ごっこをするなど、とにかく元気いっぱいに走り回ります。
一周は約百八十メートル、円形なので行き止まりがありません。
そこを一日に三十周したという園児もいるほどで、
三十周では五キロ以上にもなります。
ある大学生が、サッカー教室も行っている
都内の幼稚園児と当園の子どもたちとの
一日の運動量・歩数を比較したところ、
驚くことに当園のほうが三倍も多かったという
報告もなされています。
大人からの強制も特別な遊具もなく、
子どもたちが自分の意思で
これほど走り回りたくなる環境は、
いまの都会の生活には存在しないのではないでしょうか。
私たちは高度経済成長期以降、便利さを追求し
オートマティックな社会を築いてきました。
手を出せば水が流れ、部屋に入れば電気がつく。
自ら身体を動かし筋肉を使わなくとも、
自動で何でもしてくれる世の中です。
果たしてそれは本当に便利な社会といえるのか――。
よく考えてみると、いまの社会は子どもが育つには
とても「不自由」な環境だと思うのです。
自然の中に身を置き、本物の土や木、水や空気、
一面に広がる空や風を感じながら、
石に躓(つまづ)き転んだり、カブトムシを触って噛まれたりする。
そうした実体験を通して、子どもは育っていくものだと
私は考えています。
私たちのミッションは「幸せな未来をつくること」です。
いまここに通っている子どもたちには
将来、新しい世界を築いていってほしい。
幼児教育はそのための土台づくりの場です。
私は常日頃から、
「“How to”で生きるより
“To do”で生きる子どもを育てよう」
と話しています。
子どもには、処世の術を教えるよりも、
自分は何をしたいのかという意志を持たせることが
大切だと思うのです。
私は幼児教育には国をつくる力があり、
世界を形成する力もあると考えています。
いまはまだ小さな力でしかないかもしれませんが、
ゆくゆくは社会を変革する大きなエネルギーになると信じて、
子どもたちの育ちに役立つ「道具」のような存在として
生きていきたいと思います。
■「ふじようちえん」の園舎の様子を
写真をたくさん交えてご紹介しています。
ぜひアクセスしてみてください。
⇒ http://ameblo.jp/otegami-fan/day-20111030.html
(転載以上)
「ふじようちえん」のことは、以前の日記でも触れさせて頂きました。http://blog.goo.ne.jp/tera-3/e/00a879f198c217561b62b7bd50750f49
2004年の新潟県中越地震がきっかけとなって、園舎改築を決められたのですね。
ただ、その改築は、子供たちの安全だけを考えたものではありませんでした。
「素朴で本物」
「自然を感じ、自然とともに成長する」という コンセプト、素晴らしいと思います。
“目に見えない大切な空気を残しつつ、
これからの時代に子どもたちが育つ環境へ
より良く変化していきたいという思い”
その考え方に、佐藤可士和さんの
「幼稚園や病院という“デザイン”の概念が
まだ入っていない世界をデザインしたい」
というコンセプトがぴったりとはまって動き始まったのですね。
新しいことをするには、コンセプトをしっかり持つことと、だれと一緒にするのか、だれがやるのか、ということが本当に大切なことなのだな、と思います。
“「子どもは遊びが仕事、遊びが学び」”
“「園舎そのものが巨大な遊具」”
“「あの屋根の上を子どもたちが走ったら気持ちいいでしょうね」 ”
佐藤さんのアイデアに対する、加藤さんの、
“「いや、危なくてそんなことはさせられませんよ」”
このやりとり、臨場感があってなんだかこちらもドキドキします。
もともと地震から子供たちを守りたいという発想から始まった幼稚園の改築ですから、加藤さんの言葉はとてもよく理解出来ます。
しかし、そこから加藤さんは、自分の子供時代を思い出して、考え方を変えられるのですね。
その上で、きちんと安全性を確保した幼稚園をつくることなったわけですね。
「“How to”で生きるより
“To do”で生きる子どもを育てよう」
“子どもには、処世の術を教えるよりも、
自分は何をしたいのかという意志を持たせることが
大切だと思うのです。”
“私は幼児教育には国をつくる力があり、
世界を形成する力もあると考えています。”
私は、幼児教育に限らず、あらゆる仕事には世界を形成する力があると思っています。
”いまはまだ小さな力でしかないかもしれませんが、
ゆくゆくは社会を変革する大きなエネルギーになると信じて、
子どもたちの育ちに役立つ「道具」のような存在として
生きていきたいと思います。”
子供たちの役立つ「道具」のような存在として生きていきたい、という言葉、
自分を「道具」と言い切ってしまうところに、加藤さんのとてつもない勇気と覚悟を見る思いがします。
致知出版社よりお送り頂く「偉人たちの一日一言」 よりです。
(転載開始)
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「偉人たちの一日一言」
〜致知出版社が贈る人生を養う言葉〜
発行 (株)致知出版社
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今日の言葉 2011年10月29日(土)
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【光と闇】
光だ
光だ
という人には
いつか光が射してくるし
闇だ
闇だ
という人には
いつまでも闇が続く
『坂村真民一日一言』より
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⇒ http://shop.chichi.co.jp/item_list.command?category_cd=ITINITIITIGEN
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
月刊『致知』最新11月号
特集テーマ「人生は心一つの置きどころ」
⇒ http://www.chichi.co.jp/monthly/201111_index.html
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
(転載以上)
光と闇、なかなか深淵なテーマですね。
確かに、闇ばかりにに焦点を当ててしまうとそれが続くという感じもしますし、光を見つめる人には光が射してくる、という感覚はわかるような気がします。
ただ、闇を無視することは難しいと思うのです。
闇はたいがいの人の心にあると思います。
なので、それをなきものにして見ないようにするのではなく、その存在をちゃんと見つめて、認めるということは大切なことなのではないかと思います。
光だけの所にいる人には、自分が光だけの場所にいるとはわからないでしょう。
反対に、闇だけの所にいる人には、自分が闇だけの場所にいるとはわからないでしょう。
闇も光も知っているから、光の喜びを知ること、感じることが出来る。
もし、神様がいるとすれば、神様は、光と闇の両方が必要だと考えて、両方を創られたのだと思います。
そこに生きていくことの深みや、面白さがあるのではないでしょうか。