奥村天放 放言録

齢、古希に至る、半身を娑婆から抜け出して、娑婆の悦びを知る。

戦争の語り部

2015年08月16日 | 政治・社会
最近第2次大戦の「語り部」が大活躍。
同時に、戦艦武蔵や潜水艦伊402等、懐古趣味の話題も目立つ。

図書館でも戦後の写真展が開かれていた。
平和主義者と自称する一団は、自分の利権しか考えぬ。

平和主義者は、貴方の子供が戦争で殺されることに「賛成」か「反対」か、と迫る。
エゴで武装した「平和主義者」は、ご都合主義。

イスラム団のテロにも、都合の悪い事には「頬かむり」を決め込む。
「話し合い」を提唱するが、武力を後ろ盾にしない「話し合い」は無力。

世界中に戦争の火種があり、戦争による殺戮は日常である。
戦時の凄惨は、「語り部」を必要としない。

自己の利権を守るための「話し合い」は、エゴの偽装にすぎぬ。
戦時のただ中におかれた時、自分は何をすべきかを考えておく必要がある。

戦前の状況で赤紙が来たら、自らはどうするのか
戦場で、敵兵と小銃を構えあった時、敵兵に対し何を思うのか

人の心は「自己の利権を守る」べく揺れ動く。
「自己の利権を守る」ためだけの「平和主義」は当てにならない。

我が少年時代は「西部劇」の全盛時代であった。
西部の草原を進む「幌馬車隊」に襲い掛かる「インデアン」の群。

絶体絶命の時、高らかな「ラッパの音」と共に、颯爽と現れる騎兵隊。
騎兵隊は、群がるインデアンを無造作に打ち殺し、絶体絶命の幌馬車隊を救出する。

だがその土地は、ほんの少し前には、インデアンの土地である。
インデアンを撃ち殺し、追っ払って、手に入れた土地である。

仲間を撃ち殺され、生活を破壊された、インデアンの気持ちをどのように解釈するのか。
第2次世界大戦を批判するには、明治時代からの流れを理解しなくてはならない。

戦前、欧米知識人の日本人観は、「東洋の黄色い猿」。
日本は、東洋で植民地にし損ねた、唯一の小国。

西部劇の殺す相手は「インデアン」がら「ベトコン」に変わり、「エイリアン」に変わった。
西部開拓時代、「インデアン」は「バッファロー」と同格。

明治維新以来、「黄色い猿」が、必死になって富国強兵に乗り出した。
第一次大戦当時、日本は世界3位の造船大国に上り詰めた。

繊維産業では、日本の安い製品に四苦八苦。
戦前の欧米人に取り、日本人は自らの生活を脅かす「東洋の小悪魔」である。

韓国の執拗な恨み語にはウンザリするが本質は何か
戦前戦後を語るならば、忘れてはならない事である。

日本人は戦前には中国人を「チャンコロ」と呼び
韓国人を「チョウセンジン」、「チョン」と呼んだ。

経済的産業力を後ろ盾にした、露骨な侮蔑語である。
戦前戦後の「進歩主義」を自称するマスコミは、競って彼らを馬鹿にした。

「チャンコロ」と言って中国人を踏みにじり。
「チョウセンジン」と言って韓国人を排斥した。

戦争で母親が撃ち殺された悲惨など、語っても何もならない。
戦争とはそういったものであり、現在も世界中で繰り広げられている。

武力に奢らず、弱者を愚弄しない精神を持たねばならぬ。
「平和主義」が自らの利権を守るエゴであってはならない。

社会システムが「制度疲労」を起こした時には、利権のバランスが崩れる。
持てるものを保護するシステムに、亀裂が走る。

エゴのぶつかり合いに、憎しみが絡めば、話し合いは無力。
大衆迎合主義は戦争への温床である。

大衆の利己心に付け込む、平和主義は
戦争への導火線となる。

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