奥村天放 放言録

齢、古希に至る、半身を娑婆から抜け出して、娑婆の悦びを知る。

北海道置き去り事件に学ぶ

2016年06月29日 | 政治・社会
田野岡大和君事件は、なかなかに痛快であった。
大和君は、中々の腕白坊主である。

恐らく、父親を困らすために、山に隠れたのだろう。
同時に、最後まで親父が見つけに来るのを、信じていた。

病院でも2日目からは病室内を駆け回っていた。
退院時には報道陣に手を振り「早く学校に行きたい」と語った。

典型的な腕白坊主である。
子供に規律を教えるには、体罰に限る。

昔は木に縛り付け、押し入れに閉じ込めるのは当たり前。
腕白坊主は、近所のカミナリ爺の目を盗んで悪戯をした。

悪いことなど百も承知、悪いと言っても親の都合に対してである。
怒られるのと悪戯を天秤にかけて楽しんだ。

カミナリ爺も怒鳴りつけはしても、親の家に怒鳴り込むことはしない。
親の方もカミナリ爺に道であっても、「何時もご迷惑を」等と笑顔で挨拶をするのみ。

この悪戯を通じて餓鬼大将が生まれ。
弱い子も、社会を生きるすべを身に着けた。

子供に長々とお説教をすることは、子供の自主性をなくす。
怒る時には、お説教よりも体罰が良い。

子供たちには、子供たちの社会が育つ。
大和君は学校に行けば一躍ヒーローになる。

1週間孤独で暮らし、消耗しなかったのには、親父との間の絆の強さを感じる。
これまでにも、押し入れに一晩閉じ込められるぐらいはしているだろう。

腕白坊主は、悪をするにも、悪のレベルを覚える。
餓鬼大将は、子分を従わせるには、色々と苦労をする。

腕白坊主が長じて、年寄りに意外と優しく、弱い者を庇ったりする。
優秀な子のセコイ事例が最近新聞を騒がせた。

愚連隊上がりや暴走族上がりが、人間関係にたけている。
舛添要一のような男は、人間関係が読めない。

現代社会では、子供の教育方法をもう一度考え直す必要がある。
子供は、のびのびと逞しいのが良い。

主体性のある子は親の言うことを聞かない。
親の言うことを聞かないぐらいの子供が安心、老幼児教育者の言葉である。

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