てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

今はなき多武峰ユースホステルで出会った人々 (その2)

2019-03-10 15:09:38 | 昔話・思い出

(その1)の続きです。 



・3人目 最も忘れられない人

 40歳前後の人が、(その1)で書いた「俯いて歩く人」に、一生懸命話していた。
「多武峰の南東の宇陀に、薄幸の中将姫ゆかりの日張山青蓮寺というお寺があり、そこが最高だ。」
 当然私も、くっついていくこととした。

 この人は横浜から来た和文タイプの職人さんで、ホステルでも文字配列のパターンをずっと見ていた。しかしワープロの勃興期であり、実直そうだけど今後大丈夫かなと心配に思った。(今は影も形もない・・・とおもったら、まだ特殊な拘りの印刷に使っているとのこと)
 
 時刻表ではぽつんぽつんとしか走っていないバスを降りた後、1時間ばかり歩くというなかなか不便なところにあった。
 ただ、一緒の2人がこの土地ゆかりの話をいろいろしてくれたのと、万葉の人が遊び多くの歌を詠った場所を歩いているという実感が持てて、楽しかった。
 それとともに、私の生まれ故郷の、田舎の小さい頃の雰囲気にそっくりであり、既視感を持って歩いた。
 
 無常橋という小さな橋を渡ると、小鳥と風の音だけが聴こえる、滴るような緑の別天地となった。暫く登るとお寺に到達する。緑の中に花で飾られ、ひっそりと佇んでいる。花は山桜とつつじではなかったか。そこにいるのは我々3人だけだった。

 一緒に来た2人は感極まったかのように、いいでしょ、いいねと言い合っている。
 私自身は、確かにきれいだけれども、田舎で裏山から降りてきたときの近くのお寺の雰囲気にそっくりだし、特に重要文化財の建物や仏像があるわけでもなくがっかりという気持ちで、彼等の様子を見ていた。
 
 結局都会の人は、静けさに包まれた、緑の中にある普通の花の寺を喜ぶということで、田舎出身とは価値観が違うんだなと自分の中で納得した。
 帰る道のりは、2人は喜んで言い合っているけれども、私自身は1日棒に振ったかもしれないと気が重かった。

 次の日に別れるとき、彼は純真さそのものの眼で、話しかけてきた。 「良かったでしょ、私自身もあんなにいろんな花が咲いているのは初めてでした。」
 「はい、本当にありがとうございました。」
 私は儀礼的に答えた。
 「また、御一緒しましょう」
 「はい。」

 彼は、子供っぽい笑顔を浮かべて、帰っていった。彼とはこれっきり会わなかった。(その1)に挙げた他の2名は、3度位は会っているのに。
 

 ずっとこの白々しい対話、および橋のところの風景が頭に残っていた。

 父が亡くなり田舎との関係がほぼ切れてしまったちょうどその頃、雑誌にあの橋の写真が掲載された。橋の向こうに緑の結界が存在しているようだった。
 
 それを見たとき、私の子供の頃は偶然ながらこの結界の中で遊んだりすることができる幸せな環境だったのだ、そしてその経験を持たない人は求めて当然なのだと、瞬時に理解した。

 今は都会の人になったせいもあるが、あの無常橋を渡って、自然の中に佇んでいる青蓮寺を再訪するのを希求している。もしそこで彼と会えたら「本当にこの場所を教えてもらってありがとう」と心から言うだろう。

 彼は、私の自然との関わりの原点を認識させた人として、もっとも忘れられない人となった。彼は生きていればかなりの年になっているが、まだ中将の姫の伝承について熱っぽく語ってくれるだろうか。



Cafestaからの転載
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今はなき多武峰ユースホステ... | トップ | 東京国立近代美術館 MOMATコ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

昔話・思い出」カテゴリの最新記事