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<私の故郷の自転車道:私鉄が廃線になった後を自転車道に整備した。>
かなり昔の話である。
私は、いろんな事情で京都市内の高校に入学し、日本海側の田舎を離れた。
もちろん一人で下宿である。
こんなにも歳をとってしまったが、今でもかなり世間知らずだし、周りが私をその世間知らずと思ってくれていることに甘えて、自由に動いたりしている。
けれどもその時は若く、狭い地縁血縁の世界の中でしか生きてきていなかったため、本当の世間知らずだった。
高校には、当然友達がいないし、やはり田舎とは全然授業のレベルが違っていて戸惑うばかりだった。
また下宿では、そこのおばあさんがいろいろと指導(お小言)してくる。
私はその頃、自分でやることに対しては、まるっきり無神経だった。だけど周辺の反応に対する感受性は高くって、何かやるたびに戻ってくるドスンドスンとしたものを、受け止め切れなかった。
家へ帰るのには、急行で約4時間、ただし1日3本くらい。
そんなに入っていない貯金通帳、絶対に無駄使いは出来ない。そして、ままならない電話。 (今の携帯を持っている人は幸せ)
我慢強い子供だったけれども、どうすればいいのかわからなくなった。そして、5月の連休が近づいてきたのだけれども、家へ帰るという発想すら出なかった。
連休の1週間前、父から電話が入った。
「ともかく帰って来い。」
なにが起こったのだろうと大慌てで、荷造りをして田舎へと直行した。
家へつくと、ぼそっと父が言った。
「今日から春祭りだ。ご馳走を作ったからな。」
母がたんたんと、田舎風の散らし寿司を作っている。妹や弟たちは祭りに出かけていた。
春祭りといっても、小さな町の中を神輿が奔り、小さな子供が引く山車が動く程度でたいしたことはないと思っていた。これまでは家でも特に行事めいたものをやるでもなく、山車は小学校までだから卒業していた。
「そんなことで・・・・」 勉強を追いつかなければならないから、時間がないのにと少し腹が立った。
「挨拶がてら、町を一回りしてこよう。」 父がいった。数軒の親戚、また地域の有力者。
親しく話したりできる人や、ちゃんと挨拶が必要な人もあった。
ただちゃんと座敷で正対して話すのは、ほとんどが初めてだった。道端で立ち話するのとは全然違った。
そしてみんな優しかった。
「次は、神社に行ってみよう。」
ちょうど神社から御輿が出発する直前だった。集まった人たちの何人かに、順に父に引き合わされた。
そして中学の同級生たちが法被を着て、高齢者の指示をうけながら動きまわっている。そして声をかけてくる。「やあやあ」と答える。
彼らはまだお手伝いだが、1~2年後には、神輿を担ぐことになるのだろう。
30人ぐらいが声をかけあいながら担ぐ神輿が、注意深く急な石段を降りていくのを見ながら、父が残念そうに言った。
「おまえは、これには参加できないな。」
この町を離れたことはそういうことなのだと、実感した。同級生たちは、祭りの際に周辺や有力者に挨拶に回る。また祭りの中で高齢者から指示を受け、この街の社会とつながっていく。でも私にはそれがなくなった。この街が好きな父は、そのつながりがなくなることを危惧して、紹介して回ったのだ。
帰ると、妹や弟も帰っていた。そして食卓いっぱいにドカンと散らし寿司、周りにもいろんなご馳走が囲んでいた。
母が言った
「これは、あんたが帰ってくると聞いて、お隣さんが持ってきたんだよ。そちらはおばさんが持ってきた。この刺身は、活きがよさそうだから買ったのよ。魚屋さんが、あんたが帰ってくるということを聞いてまけてくれたよ。」
家族6人で、いっせいに食べ始めた。こちらは海の近くだから、刺身がおいしくて、子供たちで競争になった。
小学生だった2人の弟が、今日の山車引きでどこまでまわったとか話しながら、「お兄ちゃんが帰ってくるとご馳走になるのなら、何度も帰ってきてね」って言った。
中学生の妹が後片付けをやったので、母ともゆっくり話すことが出来た。
その日は、以前と同じ部屋、同じ布団、同じ静寂の中で静かに寝た。
そして昼前、弟たちが山車を引く横を通って、駅に行き、また都会へと旅立った。
列車に揺られながら、自分の周りのいろんな人の気持ちを感じるとともに、少し大人になり、より我慢できるようになったなとおもった。
あのタイミングで帰ってこいといった両親に、本当に感謝している。もしパンクしかけた状態で、5月の連休まで後1週間待ったとしたら・・・・・・。
田舎は過疎化が進んでいる。向こうからの年賀状は、今は誰からもこない。
今年はコロナ禍だったが、もし普通の状態だったとしても神輿を担ぐ人を、集めることが出来るのだろうか。それを聞く相手もいない。
父母と妹は、もう遠くの世界へいってしまった。
(今はないSNSからの再掲載)
随筆のような・・
てんちゃんのタイトルの如くビックリ箱!
てんちゃんの内面を垣間見えた感じがしました。
妹や弟たちは高校まで故郷にいて、それから表日本に出ました。
それに対して私は中学までです。高校の時期に新しい大人として地域社会に関わる儀式が、祭りなどに関連していくつかあるので、結局私はそこに根を下ろせなかったのだと思います。
そして、その後もいろいろ動いた結果、根無し草になっているなと思っています。