てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

1965年のツタンカーメン展 およびそれからの美術とのおつきあい

2024-09-08 08:52:02 | 美術館・博物館 等
 私がかつて住んでいた郷里は、京都市へ出るのに約4時間かかる日本海側の片田舎だった。そんな所に住んでいて、小学校/中学校と教科書どおりのことをやりながらも、美術への関心は高かった。その理由は以前にも書いたかもしれないが、子供の頃父が集めた高価な美術全集、そして写真がたくさん掲載された月刊グラフ雑誌によるところが多い。

 中学生の頃にその月刊雑誌、そしてその頃家でとっていた朝日新聞から、京都までいってでも是非見てみたいと思ったのはツタンカーメン展だった。中学校に入る前からエジプトに興味を持ち、カーターさん王家の谷の物語もよく読んでいたこともあった。

 ツタンカーメン展は東京、京都、福岡で開催され、京都での開催期間は1965年の10月15日~11月28日、開催場所は京都市美術館。 多分父も見てみたいと思ったのだろう、なぜか私も行くことができた。これが初めての美術館経験。その後も多分大学まで行っていない。
 ツタンカーメン展自体、日本での動員数が延べ293万人、その頃の人口が9900万人だから、赤ちゃんや高齢者まで含めて一人1回としたら100人に3人が見に行ったという国民的行事だった。

ツタンカーメン搬入状況
(朝日新聞社小史 ストーリーズ (11) ツタンカーメン展 から)


1.行ったときの記憶について
 行った時のかすかに残っている記憶は以下の事柄。
(1)同行者の父の記憶がない。ただしかなり並んで美術館に入るとき、中が大変な人ごみなので「絶対離れない、もし間違って離れたら出口で待つこと。」と、横にいた人と話した記憶がある。多分日帰りでいったと思うが、往復の記憶もない。
(2)展示品はかなりたくさんあった。最初はあまり大したことがないものから始まり、奥のほうにいくにしたがって、煌びやかなもの、大きなものが現れた。椅子や犬の置物、豪華な何層もの棺があったと思う。その時は王家の谷の本のグラビアを思い出しながら観ていた。
(3)最後の部屋に黄金のマスクがあった。キラキラと光っているだけでなくその中に埋め込まれた輝石がきれいだと思った。若々しい均整の取れた顔立ちだった。この顔も印象に残っているが、それより周りにぎっしり詰めかけた人々の食い入るような眼や呆然とした顔が強く印象に残った。

ツタンカーメンの黄金のマスク

黄金に装飾された棺
(これも煌びやかさにびっくりした。)


アラバスターの像
(これもきれいだった)

 家に帰った後ツタンカーメン発掘の本を読み直し、ついでにシュリーマンのトロイアの本も読み直した。一時期は考古学の発掘に憧れたが、すぐ人里離れた地での生活の困難さに思い至り、頭から去ってしまった。


2.ツタンカーメン展の経験の影響
 最初に凄いものを見てしまったので、それが展覧会の開催状態、展示内容のスタンダードになってしまった。
 開催状態に関しては、人気のある展示会はずらっと並び、会場内もトコロテン式に動くのが当たり前と認識した。いい作品でもチラ見できれば満足(作品に出会ってきました)というのが展覧会だと思った。
 ツタンカーメン展の内容は物凄かった。具体的に価値が一目でわかった。展覧会というのはこんなにびっくりするものかと思った。その後の展覧会も「びっくり」を探した。そしてほぼいつもがっかりした。
 特にエジプト関連の展覧会ではそうだった。かなりのレベルのエジプト古代展覧会を見ても、そこにある作品の豪華さはいうに及ばず、形状や配色などにおいてもレベルが段違いに低いと感じてしまうことだ。ツタンカーメン展は通常ほぼ忘れているにも関わらず、エジプト展の作品に向き合うと、その時だけ思いだしてしまうことになる。


3.その後の美術へのお付き合い
 美術品へのお付き合いの仕方は、最初のツタンカーメン展の影響がすごかった。でも大学へ行っている過程でずいぶん変わった。それは下記による。
(1)京都の大学に入ったが、その大学が暇だったので、まず軽く京都のお寺などをまわり、その後奈良、特に明日香にかよった。その際に利用したユースホステルで、お会いした歴史大好きな人たちに同行させていただき、じっくりと史跡や考古品を鑑賞するそれぞれの人の喜びを教わった。

<明日香にかよっていた頃を書いた記事>
https://blog.goo.ne.jp/tenchan-ganbare/e/8768feefa15b9af2e7de68abffc476ec

(2)大学の頃お付き合いしていた女性の下宿が京都国立博物館の近くで、落ち合う場所がいい空間がある場所としてその中になった。多分その頃常設展の入場料は100円以下だったのだろう。二人で話すのはそこの芝生が主だったけれども、中の仏像の間も好きだった。ほとんど人がいない状況で、国宝が周りを囲んでいる楽しみを味わった。

<私の記事で、その頃の京都国立博物館が出てくるもの>
https://blog.goo.ne.jp/tenchan-ganbare/e/2f833fd8fe5728ee383e8d8d22a7acde

(3)梅原猛さんの「隠された十字架」をはじめとする著作を、そのユースの常連から紹介を受けて読みだしたら、推理小説集なみに面白かった。人とは違った視点を持ち、自分で傍証を探してその妥当性を実証したと自己陶酔する梅原さんには憧れた。

 それに加えて、京都国立近代美術館の面白さに気が付いたことで、近代以降の美術に興味を持った。どういうきっかけだったかわからない。多分京都岡崎でちょっと変わった展示をする美術館があるということに興味を持ったのだろう。そこで開催されたムンク展、マグリット展、ヘップワース展、ワイエス展は今でも思い出す。

<私の記事で、その頃の京都国立近代美術館が出てくるもの>
https://blog.goo.ne.jp/tenchan-ganbare/e/851cd2ad5297f4f481a4fc62ee48b8eb

 そういった感じで、近代/現代美術に視野を広げていった。

 美術とのおつきあいで、家にたくさんの美術書があったこと、最初の美術館での鑑賞がツタンカーメン展であったこと、そして京都・奈良で時間があり、いろいろ見分を広めることができたことは、とても幸せなことだったとおもう。あの頃の国立美術館は入場料が安かった。(米国や欧州と同様に、公立美術館は無料で、寄付を受け付けるようにすべきだと思う。)
コメント
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