興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」
2017年9月26日(火)~11月26日(日)
東京国立博物館 平成館
惹句:日本で最も著名な仏師 運慶
構成
第1章:運慶を生んだ系譜
康慶から運慶へ
第2章:運慶の彫刻
その独創性
第3章:運慶風の展開
運慶の息子と周辺の仏師
11月1日に、30分並んで平成館に入った。中は最初こそぎっしりだったが、奥に行くに従ってやや余裕があった。展示物自体が大きいのである程度離れて見てもよいし、時々隙間を狙って足元を見ることもでき、この素晴らしい展示会を堪能した。

ここでは、私の感想概要をまず(1)~(3)で書き、(4)で各章ごとに1点ずつ作品について書く。
(1)私の幸せな仏像等の拝観経験を実感
大学の頃から奈良(高野山を含む)や京都を良く歩き回ったが、ここで展示されている仏像の半分以上は、一度お会いしている。興福寺、東大寺、金剛峯寺や六波羅密寺等のもの。
それぞれちゃんと、その時のインパクト、行った経緯などを思い出すことかとができる。そして今回また新しい発見ができた。
(2)彫刻として勝負
今回の展示の素晴らしさは、360度あらゆる方向から仏像を見ることができることである。通常はほとんど真正面、まれにあっても側面からしか見ることはできないが、今回は背中からでも見ることができる。そして従来よりぐんと近くによることができる。だから新しい発見ができた。
運慶以前の仏像は前から見られることを前提に作られていて、横から見るとあれって思うことが多い(薄っぺらいことが多い)。 しかしここに展示された運慶一派の仏像は、あらゆる方向から見ても人間としての存在を感じることができる。これは欧州で広場等に飾られる彫刻と同じである。
これを企画した人は、徹底的に欧州のギリシャ・ローマからの彫刻としてみてもらいたいと意識したのだろう。
それに十分対抗しているだけでなく、加えて確かな宗教性を持っている。特に水晶で出来た玉眼は見る人の心を射抜き、ひれ伏さざるを得ない。
第2章の運慶との彫刻の場面の展示は素晴らしく、部屋の中に仏像が林立している間を歩き回ることができる。このような感覚はもしかするとお寺に安置されて以降は、誰れも経験することはなかったのかもしれない。そして運慶自身も製作年代の違う仏像群の中を歩くことはなかったであろう。
私はそれらの中を、彼らの視線を感じながら歩き回った。そして多くの仏像の視線の集まるところでは、本当に敬虔な気持ちになれた。こういった経験が得られる場所が得られたということは、展示会に行った私たちは本当に幸せである。
今後チャンスを見つけて、関東の運慶およびその系列のあるお寺を訪ねるつもりだが、この場所の集団で相乗効果を起こしている雰囲気とは全然違うだろう。
(3)変革について
今回の作品群を元に、変革というものを考えてみた。
運慶の起こした変革が成立した背景には、次のような状況が考えられる。
①康慶という父が起こした変革の芽の準備
②京都という煩い主流から離れた、奈良という場所
③新しい意識を持つ、武士というパトロン
④運慶という、強い改革の意志を持ち技術も持った存在
⑤弟子や子供など、スタッフの育成力と統率力
⑥大寺院等の火災後の復旧、また源平大戦乱後の寺院設立などの大きな市場
このうち、いろんなものにも書かれているとおり、⑥の市場拡大という場を与えられ、かつ③という従来の既成概念にとらわれない武士がスポンサーとして生まれたこともっとも大きいと思う。運慶が実力があったとしても仕事の場がなければしょうがない。運慶の跡継ぎたちの時代になると、作っているものがぐんと小さくなってくる。
確かにお寺から個人へと仏像所有者は広がったが、それが小ぶりになったことで運慶の流れが主張したいダイナミックさが消滅していったのではないか。
欧州の場合は、彫刻素材が木材ではなく石であった。そのため教会を出て屋外のいろいろな場所に進出でき、宗教とは違う市場が広がった。しかし木材では屋外へ出せず、石の利用もお地蔵さん程度であったため市場を得ることが出来なかった。結局変革はあっても、市場が拡大もしくは継続しなければ、圧倒的製品力を持つものも、時代の中に消えていってしまう。
結局は変革といっても市場規模に支配されてしまうということである。
(4)特記3点
どの作品についても書きたいことはあるが、ここでは3点にとどめる。
①大日如来座像(奈良・円成寺)(第1章)
奈良にあるもので、唯一見ていなかったもの。展覧会の入り口にありぎっしりの人が囲んでいる。ぱっと見た時、匂いたつ青年の若さにびっくりした。この印象は興福寺の阿修羅に似ている。真正面から見ても側面から見ても、凛としてがっちりと印を組んでいる。忍者の印のように、激しい動きの前の一瞬の静止のようである。
運慶の20歳代の最初の製作で、仏像で製作者の名前の入っている最初のものとのことだが、彼の変革者としての気負いがそのまま像に出ていると思う。

②無著菩薩・世親菩薩像(興福寺) (第2章)
この像を見るのは3度目である。これまでは静かで何事でも受け入れてくれそうな無著像に非常に魅力を感じ、やや若くて訴えようとしている世親像にはあまり共感を感じなかった。
今回いろんな位置から見ることができ、無著のやや斜めの下から仰いで、好きだった祖父の眼差しを発見した。静かに黙って朝から晩まで田畑で働き続けた人であり、かなり後になってどういった状況だったかを理解した。多分意識せずにそのことを無著像に重ねていたのかもしれない。そして一層好きになった。
そして今回世親像に強力に魅力を感じた。左側の近くによった時、横顔訴え続けることの苦しさとそれを乗り越えようとする純粋さを感じたからである。それを見た後正面に回り、無著像と世親像を並び見て、訴え掛ける若さと透き通った眼で心の奥層を見つめる老いの対比を美しいと思った。
この並び立つ2像の距離感も、この展覧会でないと得られないものである。

③子犬 (高山寺) (第3章)
これは、運慶の子供の製作。以前高山寺に行った時は鳥獣戯画図に関心がいってあまり意識していなかったもの。今回あって、そういえばと思いだした。
本当にかわいい。人物と同様にこういった動物に対しても写実的な見方が広がってきているということを示すもので、同様に展示の鹿像も見事である。
彫刻の対象が広がったということであり、宗教的制約はないので、市場を広げるチャンスだったはず。それがうまくいかずに慶派が消滅してしまったのは、やはり運慶のようなマネージメント能力に優れた人が続かなかったせいだろうか。

④その他
運慶展と同時に、本館の仏像を展示されている所もぜひ見ていただきたい。展示会と関連した慶派の仏像が多く展示されている。ほとんどが国宝や重要文化財クラスで、展示会内容と遜色がない。 なによりこちらは、ほとんどが写真撮影可能である。

慶派制作の童子の像
また、運慶の彫刻はギリシアの彫刻とよく比較されるが、私は西洋美術館の屋外展示のロダンの作品、考える人やカレーの市民と比較しようと見に行った。そして無著・世親像、そしてカレー市民像を比較して、求める方向は同じであるとおもった。

西洋美術館のカレー市民の像
グーグル検索にてヒットし、小一時間で読めます。
少し難解ですが歴史ミステリーとして面白いです。
てんちゃん、こんばんは。
「てんちゃんのビックリ箱」通り、びっくりしました。
いきなり、東京国立博物館、
あれっ、東京住まい?、東京まで行かれたんですね。
凄い行動力に感服です。
みんなの花図鑑 時代は花に一元化されてたから、独特な感性が出ていなかったけど、ブログになって独自の手腕が発揮されてる方を見ると、改めて感心します。
写真のほうは、ここでのあいさつに書いたように検索機能の優れたphotohitoを使っています。
今年の秋は美術展示がすごくって 本当は京都にも行きたいのですが・・・
私のブログへご訪問とコメント有難うございましたm(__)m
それにしてもてんちゃんの美術に対する造詣のの深さそして素晴らしい文筆力、ただただ敬服する次第です。私の美術に関する知識は精々中学や高校で習った程度のモノ、それも覚えているのは1/10程度、勿論写真の知識はそれなりに持っているつもりでは有りますが、やはり仕事柄技法的なモノに偏っております。やはり芸術は生涯学習ですね(^_^;)
素晴らしいお写真と解説を有難うございました。重ねてお礼申し上げます≦(._.)≧
私が美術に詳しくなったのは、大学が京都でいろんなお付き合いでかなり神社仏閣を訪問したこと、また妹が美術の先生で、その集団の見学旅行にも同行したことからです。
そこで、専門外ですが自分の言葉で美術を話すチャンスが得られたことが大きかったと思います。その後も仕事からの美術品の見方というものを考えていました。
最近は仕事の第一線を離れたので、美術展等に行くチャンスが増えてうれしいです。