
ポスター 横山大観の生々流転
展覧会名 再興第110回院展記念展 同人たちの出世作といま―無窮をめざして―
会場 松坂屋美術館
期間 2025年7月5日~27日
1.経緯
私の友人であまり美術に興味を持っていそうもない人が、松坂屋の株主優待で上記の美術展にいって、いいものを見たと感心していた。この展覧会は日本美術院の同人たちのもので、癖がありそうと少し迷っていたが、彼の評判で鑑賞に行くこととした。
今回の展示の目的は、下記の様に非常に意欲的である。
「日本画の革新を目指した岡倉の薫陶を受けた大観らがその理想を受け継いだ。要綱では「日本美術院は芸術の自由研究を主とす、故に教師なし先輩あり、教習なし研究あり」と宣言し、官展に対する自由主義を謳い、在野精神を尊んだ。
それから110年、日本美術院は今もなお創立の精神を軸に研鑽を重ね、自由研究に基づく旺盛な活動を続けている。本展では大観と日本美術院理事長を務めた5名の遺作に加え、現同人37名の出世作と新作又は近作を併せて紹介。それぞれの転機となる同人推挙前の意欲溢れる出世作と新作(近作)を並べて展観することで、現代にふさわしい日本画を模索すべく、日々邁進する日本美術院の「今」を紹介する。」
現在、私の知人の話では権威主義的であり在野精神とはとてもいえないとのことだったが、従来の理事長の作品をならべ、それから現在存命の同人の、初入選の頃の作品と最近の作品を並べている。
同人は発足以来117名いて、現在存命中の人は37名だが、そのすべての人が作品を展示している。
お亡くなりになった同人の年齢を見てみると、理事長になった人を含め90歳以上の人が多い。
2.展示状況
(写真は撮れなかったので、ポスターおよびチラシの絵のみ使用)
まず入ってすぐに展示されているのは横山大観の作品数点。ポスターに使用の生々流転の習作も含め、すごすぎる作品ばかり。
続いて安田靫彦、奥村土牛、小倉遊亀と伝説の名作家の作品が並ぶ。

奥村土牛氏の若いころの作品 「朝顔」
高齢の作品の富士は重々しくなったが、背景の色はこの作品と同系色の色。
そしてしばらく前のボス、平山郁夫。そして松尾敏男。
平山さんの出世作と呼ばれるものは、彼の名前でイメージする砂漠の環境の作品とは違う、若さに迷いジタバタとしている作品。多分作品の変遷を経験している人が、多くの弟子を育て、その後の同人のほとんどが平山さんの弟子になったのかもしれない。
現理事長 田淵さんの作品は、みんなと一緒にでている。
平山さんの出世作と呼ばれるものは、彼の名前でイメージする砂漠の環境の作品とは違う、若さに迷いジタバタとしている作品。多分作品の変遷を経験している人が、多くの弟子を育て、その後の同人のほとんどが平山さんの弟子になったのかもしれない。
現理事長 田淵さんの作品は、みんなと一緒にでている。

田淵俊夫氏の最近の作品 「運河」
出世作「宿昔譜」は、色調、モチーフともかなり違う。
一般の同人たちの絵は、出世作と最近の絵がセットになって並んで置かれている。出世作はほとんどが最初の入選作などでちゃんと評価をうけている作品だし、最近の絵は本人が自信をもって出してきている作品だから、とてもいい作品が並んでいる。
これから一般の同人の作品だが、次のパターンに分けられると思う。
① 画風もテーマも変わらずに、その純化を図っていく。
② 画風はあまり変わらず、別のテーマを描く。
③ 画風もテーマも まるっきり変えてしまう
⓷は少なく、ほぼ作風はずっと維持されていることがわかった。
そしてそれぞれが、一生懸命それぞれの美を求めて研鑽していることがわかる。こんな美術展のテーマを設定する人も大変だし、それに自信をもって作品を展示する人たちもすごい。

松村公嗣氏の出世作 「午后」
最近の作品「どんど」はやや抽象的で、タッチも違う。

西田俊英氏の最近の作品「樹の変容あるいは獣」
出世作「ミニアチュールの画家」は色調もモチーフも全然違う。ただし部分的要素は似ている。
最近の作品「どんど」はやや抽象的で、タッチも違う。

西田俊英氏の最近の作品「樹の変容あるいは獣」
出世作「ミニアチュールの画家」は色調もモチーフも全然違う。ただし部分的要素は似ている。
3.おわりに
なかなか素敵な展示会だった。久しぶりに絵画の展示会の画集を買った。今後同人クラスの人が展示会を開く場合の事前勉強のためにもなる。
この美術展が名古屋のみというのは、ほんとうに他の地域の人には申しわけない。
なかなか素敵な展示会だった。久しぶりに絵画の展示会の画集を買った。今後同人クラスの人が展示会を開く場合の事前勉強のためにもなる。
この美術展が名古屋のみというのは、ほんとうに他の地域の人には申しわけない。