これは 前回の続き 2日目
2日目は、まずバスに乗って全員で春日大社近くの駐車場まで移動後、3人以上数人までのグループに別れての自由行動。
ガイドさんが、こぼれ話と諸注意をしてくれたが耳に残ったのは下記の2つ
・正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は、その頃の子規の活動範囲から「東大寺」だった可能性が高い。
・鹿は可愛いが、野生で汚れているので絶対になでたりして触ってはいけない。触ったらすぐ手を拭くこと。また餌を買って食べさせる場合、配り終えたら掌を拡げてホールドアップのように手を挙げること。それをしないといつまでもつきまとわれる。
後者についてはバスを降りてすぐ例示を見た。ヨーロッパ系の女の子が10数匹の鹿に囲まれて、途方に暮れていた。
私は女性2人男性3人のグループに所属し、東大寺近辺を廻る事になった。朝の9時過ぎからスタートし、昼食をとって午後1時過ぎまでの活動。元気な女性にコースは任せて、ついて歩くことになった。
なお奈良公園に入ってからバス中で見かけた歩行者は、ほとんどが外国人。そしてバスを降りて、東大寺へ歩いていく道で前後を歩いていたのも中国人の団体だった。(上海に数年いた人がグループ内にいて、声を掛けて広東近くから来た事を確認)
この中国人のツアーの状況が日本人とはだいぶ違った。私達より若いメンバーだったが歩くスピードが30%早い。一瞬で私達を追い抜いていった。ツアーコンダクターは長い棒に人形のようなものをひっかけそれを掲げて先導しているだけで後ろを見ない。日本のツアコンが何度も後ろを見てついてきているかどうかを確認するのと大違い。後ろは雑然と集まっているけれども、ちゃんとツアコンを追っかけていた。
東大寺の近くまで降りてきて、やっと日本人の単独もしくは小集団と出合うようになり、確かに日本だと安心した。そしたら今度は、修学旅行の大集団が押しかけてきた。
全体として外国人のほうがなんでも見てやろうと逞しく、朝早くから動き出すようで、日本人の個人客はのんびりしてゆっくりと動き出すように感じた。でも修学旅行がいなければ、外国人のほうが多いかもとおもった。
女性メンバーが考えたコースは、東大寺大仏殿→東大寺ミュージアム→二月堂/三月堂→食事(予約済)→駐車場、お土産は駐車場近くにあるんじゃないの?ということだった。
<東大寺大仏殿>
ここが混むということで、まず最初に行くことになった。でも私達がついた時はまだちらほら。しかし回廊に入って大仏殿を見渡す中央の線香を立てる所でたむろしていると、修学旅行生がぞろぞろ入ってきて、一瞬にして混雑がはじまった。
なぜ線香を立てるところにたむろしていたかというと、そこで線香を立てたら、その横で係員がそれまで刺さっている線香を抜き出したから。彼の言うことでは、定期的に抜いて横にしておかないないと、さす場所がなくなるからということだった。
<大仏殿 および線香を倒す係員>
大仏殿に入ったのは、これが3度目。小学校の修学旅行、30歳前の弟たちが来た時で、前者は柱の穴くぐりの記憶のみが鮮明、後者は真夏でここに入って涼しいねと言い合った記憶がある。今回はやっとじっくりと、大仏および周りの仏様達をじっくり見た気がする。やっぱり大きく記憶通りなので安心する。そして大きいから包容力が大きくて、大仏殿の中で信心深くなくても、許容してくれる感じがする。中では他の団体のツアコンがベストポジションと叫んでいる所から仏様の写真を撮らせて頂いた。
<ツアコン曰く ベストポジションの大仏>
<脇侍の四天王の一体。これは私の選んだベストポジション>
<東大寺ミュージアム>
私が行った時は後半が良弁僧正の東大寺への貢献に関わる特集をしていた。入ったところに東大寺の歴史のビデオ展示があったが、その次の最初の展示の部屋が釈迦仏の立像はいいとして、その他が刀剣であるのにびっくりした。でもどれも国宝。煌びやかな装飾。神社では宝剣のイメージがあったので、後で調べてみるとお寺にも刀剣奉納の文化があったということ。そして私の好きな伎楽面もあった。
次の部屋は平安時代の仏像が多かったが、これらもほとんど国宝。それから良弁三に関わる資料。これらは墨書等が多く好きな人以外は多分退屈。通路のような部屋に奈良時代の瓦があり、私の知っている瓦好き(明日香に行ったら下ばっかり見ている)は喜ぶなとおもった。入場料は安くてお得。
<二月堂/三月堂>
ミュージアムをでて、修学旅行生と一緒に坂道を登っていくと二月堂と三月堂にでる。
修学旅行生はそのまま二月堂に向かう。彼らにとって三月堂は狭すぎる、でも私達なら少ないから中の素晴しい天平仏を鑑賞できると期待していたところ、あっさりとパスされて、修学旅行生と同様に、二月堂の舞台へと上がっていった。
この舞台は、確かにここまで森の中を歩いてきたのにもかかわらず、東大寺大仏殿などの寺域、そして奈良市街が一望できるという価値がある。それに加えてplanを作った女性にとっては、ここでおみくじを引くという重要な目的があったようだ。
<二月堂、この舞台に修学旅行生とともに登った>
<二月堂からの展望、手前が東大寺域、向こうに奈良市街>
<食事>
二月堂から鐘楼を経由して、また東大寺ミュージアムの近くまで下り、それから延々と春日山の山すそを巡るように歩いて、レストランへと歩いた。planを作った女性によると、近くのネットで評判の店は軒並み休みだったとのこと。
釜めしや、にゅう麺のセットがある店だった。私達がその店の最初の客。帰りの道を店の人に確認後、十分時間があるのなら時間がかかる釜めしを食べようということになった。それは、旅行最初の昼食のリベンジでもあった。出てくるのを待っている間に続々客が来て、満員になった。
出てきた釜めしは、とても美味しかった。途中志賀直哉の家もあったし、歩いて来た価値があった。なおその店を後で確認すると星4.5。
<食べた釜めし>
<囁きの小路を経て駐車場>
お店の人が教えてくれたのが囁きの小路、かつては春日大社の神官が通った道なのだそうだ。春にはアセビの花がずらっと咲くとのこと。
その道は周辺の見えない森の中で、その日は誰とも行き会わず鳥の鳴き声も聴こえなかった。道は苔むして足音もせず、何処へ行くのやらと不安がるメンバーもいた。私はスマホのマップソフトで確認しながら歩いていたけれど、そんなのを全然見ない人、手書きのメモ等しか見ない人など、いろいろいるんだなと思った。特に何も見ずただ人の後ろをひやひや想いながら歩いて来たという人もいて、それも案外楽しいかもとおもった。
<囁きの小路途中の風景>
駐車場の近くにはお土産物販売店はなかったが、ちょっとした軽食の店があって、メンバーで冬なのにアイスクリームを食べた。その日は10000歩を越えていた。
お土産は結局高速のサービスエリアで購入した。奈良のものはなかなか難しく、それこそ京都か三重のものを買おうかと思った。
奈良は大仏に会っておけば、だれとでもいった話ができる。三月堂の仏像は残念だけれども、もし法隆寺の仏像のように頑丈な金網の向こうなら幻滅したかもしれない。(前回見たときはそんなものなかったので、思い出は美しい。) それよりも囁きの小路が気に入った。春に行ってこの道を通って新薬師寺を訪問したい。
2023年中にこの記事を投稿しようと思っていましたが、わずかに間に合いませんでした。
2024年もよろしくお願いいします。
2日目は、まずバスに乗って全員で春日大社近くの駐車場まで移動後、3人以上数人までのグループに別れての自由行動。
ガイドさんが、こぼれ話と諸注意をしてくれたが耳に残ったのは下記の2つ
・正岡子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は、その頃の子規の活動範囲から「東大寺」だった可能性が高い。
・鹿は可愛いが、野生で汚れているので絶対になでたりして触ってはいけない。触ったらすぐ手を拭くこと。また餌を買って食べさせる場合、配り終えたら掌を拡げてホールドアップのように手を挙げること。それをしないといつまでもつきまとわれる。
後者についてはバスを降りてすぐ例示を見た。ヨーロッパ系の女の子が10数匹の鹿に囲まれて、途方に暮れていた。
私は女性2人男性3人のグループに所属し、東大寺近辺を廻る事になった。朝の9時過ぎからスタートし、昼食をとって午後1時過ぎまでの活動。元気な女性にコースは任せて、ついて歩くことになった。
なお奈良公園に入ってからバス中で見かけた歩行者は、ほとんどが外国人。そしてバスを降りて、東大寺へ歩いていく道で前後を歩いていたのも中国人の団体だった。(上海に数年いた人がグループ内にいて、声を掛けて広東近くから来た事を確認)
この中国人のツアーの状況が日本人とはだいぶ違った。私達より若いメンバーだったが歩くスピードが30%早い。一瞬で私達を追い抜いていった。ツアーコンダクターは長い棒に人形のようなものをひっかけそれを掲げて先導しているだけで後ろを見ない。日本のツアコンが何度も後ろを見てついてきているかどうかを確認するのと大違い。後ろは雑然と集まっているけれども、ちゃんとツアコンを追っかけていた。
東大寺の近くまで降りてきて、やっと日本人の単独もしくは小集団と出合うようになり、確かに日本だと安心した。そしたら今度は、修学旅行の大集団が押しかけてきた。
全体として外国人のほうがなんでも見てやろうと逞しく、朝早くから動き出すようで、日本人の個人客はのんびりしてゆっくりと動き出すように感じた。でも修学旅行がいなければ、外国人のほうが多いかもとおもった。
女性メンバーが考えたコースは、東大寺大仏殿→東大寺ミュージアム→二月堂/三月堂→食事(予約済)→駐車場、お土産は駐車場近くにあるんじゃないの?ということだった。
<東大寺大仏殿>
ここが混むということで、まず最初に行くことになった。でも私達がついた時はまだちらほら。しかし回廊に入って大仏殿を見渡す中央の線香を立てる所でたむろしていると、修学旅行生がぞろぞろ入ってきて、一瞬にして混雑がはじまった。
なぜ線香を立てるところにたむろしていたかというと、そこで線香を立てたら、その横で係員がそれまで刺さっている線香を抜き出したから。彼の言うことでは、定期的に抜いて横にしておかないないと、さす場所がなくなるからということだった。
<大仏殿 および線香を倒す係員>
大仏殿に入ったのは、これが3度目。小学校の修学旅行、30歳前の弟たちが来た時で、前者は柱の穴くぐりの記憶のみが鮮明、後者は真夏でここに入って涼しいねと言い合った記憶がある。今回はやっとじっくりと、大仏および周りの仏様達をじっくり見た気がする。やっぱり大きく記憶通りなので安心する。そして大きいから包容力が大きくて、大仏殿の中で信心深くなくても、許容してくれる感じがする。中では他の団体のツアコンがベストポジションと叫んでいる所から仏様の写真を撮らせて頂いた。
<ツアコン曰く ベストポジションの大仏>
<脇侍の四天王の一体。これは私の選んだベストポジション>
<東大寺ミュージアム>
私が行った時は後半が良弁僧正の東大寺への貢献に関わる特集をしていた。入ったところに東大寺の歴史のビデオ展示があったが、その次の最初の展示の部屋が釈迦仏の立像はいいとして、その他が刀剣であるのにびっくりした。でもどれも国宝。煌びやかな装飾。神社では宝剣のイメージがあったので、後で調べてみるとお寺にも刀剣奉納の文化があったということ。そして私の好きな伎楽面もあった。
次の部屋は平安時代の仏像が多かったが、これらもほとんど国宝。それから良弁三に関わる資料。これらは墨書等が多く好きな人以外は多分退屈。通路のような部屋に奈良時代の瓦があり、私の知っている瓦好き(明日香に行ったら下ばっかり見ている)は喜ぶなとおもった。入場料は安くてお得。
<二月堂/三月堂>
ミュージアムをでて、修学旅行生と一緒に坂道を登っていくと二月堂と三月堂にでる。
修学旅行生はそのまま二月堂に向かう。彼らにとって三月堂は狭すぎる、でも私達なら少ないから中の素晴しい天平仏を鑑賞できると期待していたところ、あっさりとパスされて、修学旅行生と同様に、二月堂の舞台へと上がっていった。
この舞台は、確かにここまで森の中を歩いてきたのにもかかわらず、東大寺大仏殿などの寺域、そして奈良市街が一望できるという価値がある。それに加えてplanを作った女性にとっては、ここでおみくじを引くという重要な目的があったようだ。
<二月堂、この舞台に修学旅行生とともに登った>
<二月堂からの展望、手前が東大寺域、向こうに奈良市街>
<食事>
二月堂から鐘楼を経由して、また東大寺ミュージアムの近くまで下り、それから延々と春日山の山すそを巡るように歩いて、レストランへと歩いた。planを作った女性によると、近くのネットで評判の店は軒並み休みだったとのこと。
釜めしや、にゅう麺のセットがある店だった。私達がその店の最初の客。帰りの道を店の人に確認後、十分時間があるのなら時間がかかる釜めしを食べようということになった。それは、旅行最初の昼食のリベンジでもあった。出てくるのを待っている間に続々客が来て、満員になった。
出てきた釜めしは、とても美味しかった。途中志賀直哉の家もあったし、歩いて来た価値があった。なおその店を後で確認すると星4.5。
<食べた釜めし>
<囁きの小路を経て駐車場>
お店の人が教えてくれたのが囁きの小路、かつては春日大社の神官が通った道なのだそうだ。春にはアセビの花がずらっと咲くとのこと。
その道は周辺の見えない森の中で、その日は誰とも行き会わず鳥の鳴き声も聴こえなかった。道は苔むして足音もせず、何処へ行くのやらと不安がるメンバーもいた。私はスマホのマップソフトで確認しながら歩いていたけれど、そんなのを全然見ない人、手書きのメモ等しか見ない人など、いろいろいるんだなと思った。特に何も見ずただ人の後ろをひやひや想いながら歩いて来たという人もいて、それも案外楽しいかもとおもった。
<囁きの小路途中の風景>
駐車場の近くにはお土産物販売店はなかったが、ちょっとした軽食の店があって、メンバーで冬なのにアイスクリームを食べた。その日は10000歩を越えていた。
お土産は結局高速のサービスエリアで購入した。奈良のものはなかなか難しく、それこそ京都か三重のものを買おうかと思った。
奈良は大仏に会っておけば、だれとでもいった話ができる。三月堂の仏像は残念だけれども、もし法隆寺の仏像のように頑丈な金網の向こうなら幻滅したかもしれない。(前回見たときはそんなものなかったので、思い出は美しい。) それよりも囁きの小路が気に入った。春に行ってこの道を通って新薬師寺を訪問したい。
2023年中にこの記事を投稿しようと思っていましたが、わずかに間に合いませんでした。
2024年もよろしくお願いいします。