一部で人気らしい記事だが
Wedge 「年収160万円」からの脱出、還暦を機に大学教授を目指してみた 連戦連敗、60歳からのハローワーク 2019年5月26日 風樹茂 (作家、国際コンサルタント)
「現実の一例として筆者の恥ずかしい体験の数々を読者だけにこっそりと教える。求職者、企業経営者、政策に携わる人々はそれぞれの立場でぜひ参考にしてもらいたい」
かっちりと「筆者の恥ずかしい体験」と言っているので、舐められた側としては気分が悪いにせよ:
これ自体は、そうまで悪くいうこともあるまいといったところか。しかし
世間(有権者一般)の認識がこうなら、まあ…という点は困ったものかとは。
まあ、読むべきところはほかにもある。
流石に文章を売っているだけあって自虐ギャグもなかなか。こうまで口の上手い文章の立つヒトでさえ、遂に大学ポストに手は届きもしないしかすりもしない。もって他山の石とせよ、こうまでの経歴であって経験であっても採用どころか面接にもいけない。これより見劣りするならば―だぞという、そういう文章だ。
「妻と違い優しい政府は「高齢者の経験知を大切にする社会を目指しているのだろう」と善意に解釈した。そこで少しぐらい収入が減っても社会に役立てばと、珍しく真摯な気持ちになり」「これぞと思う企業に応募しはじめたのだが……」
「派遣労働でさえ勤労の扉はどこもかしこもぴっしりと閉まっている。あるいは搾取の名に値するスズメの涙の賃金。流行りの顧問職も何ら声がかからない」
そこで、そうまでの浅知恵(なのだ! 解るだろう、一応仮にも長く寄り添ってくれた妻より、税金を取る一方とみえる政府のほうが優しいと思えるのは、明らかに愚劣ではないか!)で―
「大学の先生を目指してみた
給与がそれなりで高齢者でも受け入れてくれる職といえば、大学の教授や准教授のポストぐらいしかない。一芸に秀でている人は可能性がある。私の周辺では企業から、あるいは執筆の世界から准教授クラスの席に納まっている人間も多々いる。
「彼らにできて私にできないわけはない」と裏付けのない自信に駆られて、人材派遣会社からのメールをクリックしてみると、相応しいポストがあるではないか」なにしろあちこちの現地でトラブルシューターやってたわけだ、そりゃあ実務家教員、いけそうじゃないか!
「たちまち私の耳奥で勝利を確約するリチャード・ワグナーのワルキューレの騎行が景気よく鳴り響いた」
落ちはこうである(2ページ目)
「教育活動と研究活動にあたる著書11冊(論文ではなく一般書)、新聞、雑誌、ネットマガジンにのった最近の記事50本ほどのタイトル、国の各機関に提出した援助や投資に関する共著のレポート10、講演活動やテレビラジオの出演歴、わずかな教育活動などを記載し、著作の中の5つを選んで、大学に送った」が、「冷静な妻は、「博士でも修士でもないし、むずかしいじゃないの。それに公募なんていっても最初から決まっているのよ」と懐疑的だった」
そして「数カ月後に妻の予言とおり「貴殿の場所はありませんよ」との冷酷なメールが私の無謀な試みに結末をつけた。ワグナーの「ワルキューレの騎行」は、耳の奥からあとかたもなく消え去ってしまったのである」
ちゃんと(ほぼ読めたような)落ちまでついて、なるほどこれは流石に文章を売っている人の技といわざるをえまい。
「募集要項の書類を用意するまで少なくとも1カ月は時間がかかった。必要経費もかなりのものだ。近々の世界の経済史、政治史など数冊を読み込み、応募要項にそった書類を用意し、拙著(無料だ!)とともに郵送したのだ」という、まさしく身の程知らずもいいところの主張も直後の
「「自己認識はすごく高いけど、社会の認識はずっと低いんです。その落差がホームレスになった一番の理由です」」という、ホームレス哲学者の言葉できちんと自己批判できている。
なおも
「もう大学教授を目指すのは止めよう。これほどぴったりの経歴でも、修士・博士の称号や論文が必要か、あるいは本が売れて著名人になっていないと大学側にはうまみがないのだろう」
と書くのは、負け惜しみじみて、なかなかに見事なピエロだ。半ばは計算して書いてあるものだろう。流石の腕というべきで―つまりこれを見て、普通のおじさんたちは「…あー、やっぱり無理か」と思うことになる。見事な文章だ。この腕は見習うべきだろう。いや見習ってもどこで使うかは微妙だが。
だいたい、韓国問題でかなり読まれ、支持された鈴置氏だってジャーナリズムで生きているんだ。もちはモチ屋。まずはその道でいくべきだろう。この記事の筆者の経験はかなーりジャーナリズムよりではないかと思われ―
「友人たち数人が海外に移住し、知人女性はコカイン密売容疑で刑務所に移住し(収監され)」
「友人たちは、国内にとどまれば、食べ物も薬もない、みじめな生活が続くか、犯罪の餌食になるのが関の山だった。懇意にしていた同僚の女性はエストニアに移民する一週間前に、夫とともにコンクリートで固められた地中の中から、無残な姿で発見された」
…うん。大学での話にはちと。かな、とか。
あと
「国際化、臨床化。これもぴったりだはないか」
という誤字はよくない。
まあそんな感じ。僕の授業のひとつでは、僕の状況を説明すると言う意味では自分語りをするのだが、それはちゃんと教科書相当の本の理論にあわせて分析するようにしている。
Wedge 「年収160万円」からの脱出、還暦を機に大学教授を目指してみた 連戦連敗、60歳からのハローワーク 2019年5月26日 風樹茂 (作家、国際コンサルタント)
「現実の一例として筆者の恥ずかしい体験の数々を読者だけにこっそりと教える。求職者、企業経営者、政策に携わる人々はそれぞれの立場でぜひ参考にしてもらいたい」
かっちりと「筆者の恥ずかしい体験」と言っているので、舐められた側としては気分が悪いにせよ:
世の中の若手研究者、大学教員はこれ読んでどう思うのか。「舐めてる」以外の感想がない…
— サイレントマジョリティだった大学職員 (@silentmajoruniv) 2019年5月25日
「年収160万円」からの脱出、還暦を機に大学教授を目指してみた 連戦連敗、60歳からのハローワーク https://t.co/x8AABnWRdw @WEDGE_Infinityより
これ自体は、そうまで悪くいうこともあるまいといったところか。しかし
世間一般の認識がこの程度のものであるが故、霞ヶ関も強気。
— 増田の准教授 (@ProfMasuda) 2019年5月26日
「給与がそれなりで高齢者でも受け入れてくれる職といえば、大学の教授や准教授のポストぐらいしかない。」
「年収160万円」からの脱出、還暦を機に大学教授を目指してみた 連戦連敗、60歳からのハローワーク https://t.co/zWfZZrLnG0
世間(有権者一般)の認識がこうなら、まあ…という点は困ったものかとは。
まあ、読むべきところはほかにもある。
流石に文章を売っているだけあって自虐ギャグもなかなか。こうまで口の上手い文章の立つヒトでさえ、遂に大学ポストに手は届きもしないしかすりもしない。もって他山の石とせよ、こうまでの経歴であって経験であっても採用どころか面接にもいけない。これより見劣りするならば―だぞという、そういう文章だ。
「妻と違い優しい政府は「高齢者の経験知を大切にする社会を目指しているのだろう」と善意に解釈した。そこで少しぐらい収入が減っても社会に役立てばと、珍しく真摯な気持ちになり」「これぞと思う企業に応募しはじめたのだが……」
「派遣労働でさえ勤労の扉はどこもかしこもぴっしりと閉まっている。あるいは搾取の名に値するスズメの涙の賃金。流行りの顧問職も何ら声がかからない」
そこで、そうまでの浅知恵(なのだ! 解るだろう、一応仮にも長く寄り添ってくれた妻より、税金を取る一方とみえる政府のほうが優しいと思えるのは、明らかに愚劣ではないか!)で―
「大学の先生を目指してみた
給与がそれなりで高齢者でも受け入れてくれる職といえば、大学の教授や准教授のポストぐらいしかない。一芸に秀でている人は可能性がある。私の周辺では企業から、あるいは執筆の世界から准教授クラスの席に納まっている人間も多々いる。
「彼らにできて私にできないわけはない」と裏付けのない自信に駆られて、人材派遣会社からのメールをクリックしてみると、相応しいポストがあるではないか」なにしろあちこちの現地でトラブルシューターやってたわけだ、そりゃあ実務家教員、いけそうじゃないか!
「たちまち私の耳奥で勝利を確約するリチャード・ワグナーのワルキューレの騎行が景気よく鳴り響いた」
落ちはこうである(2ページ目)
「教育活動と研究活動にあたる著書11冊(論文ではなく一般書)、新聞、雑誌、ネットマガジンにのった最近の記事50本ほどのタイトル、国の各機関に提出した援助や投資に関する共著のレポート10、講演活動やテレビラジオの出演歴、わずかな教育活動などを記載し、著作の中の5つを選んで、大学に送った」が、「冷静な妻は、「博士でも修士でもないし、むずかしいじゃないの。それに公募なんていっても最初から決まっているのよ」と懐疑的だった」
そして「数カ月後に妻の予言とおり「貴殿の場所はありませんよ」との冷酷なメールが私の無謀な試みに結末をつけた。ワグナーの「ワルキューレの騎行」は、耳の奥からあとかたもなく消え去ってしまったのである」
ちゃんと(ほぼ読めたような)落ちまでついて、なるほどこれは流石に文章を売っている人の技といわざるをえまい。
「募集要項の書類を用意するまで少なくとも1カ月は時間がかかった。必要経費もかなりのものだ。近々の世界の経済史、政治史など数冊を読み込み、応募要項にそった書類を用意し、拙著(無料だ!)とともに郵送したのだ」という、まさしく身の程知らずもいいところの主張も直後の
「「自己認識はすごく高いけど、社会の認識はずっと低いんです。その落差がホームレスになった一番の理由です」」という、ホームレス哲学者の言葉できちんと自己批判できている。
なおも
「もう大学教授を目指すのは止めよう。これほどぴったりの経歴でも、修士・博士の称号や論文が必要か、あるいは本が売れて著名人になっていないと大学側にはうまみがないのだろう」
と書くのは、負け惜しみじみて、なかなかに見事なピエロだ。半ばは計算して書いてあるものだろう。流石の腕というべきで―つまりこれを見て、普通のおじさんたちは「…あー、やっぱり無理か」と思うことになる。見事な文章だ。この腕は見習うべきだろう。いや見習ってもどこで使うかは微妙だが。
だいたい、韓国問題でかなり読まれ、支持された鈴置氏だってジャーナリズムで生きているんだ。もちはモチ屋。まずはその道でいくべきだろう。この記事の筆者の経験はかなーりジャーナリズムよりではないかと思われ―
「友人たち数人が海外に移住し、知人女性はコカイン密売容疑で刑務所に移住し(収監され)」
「友人たちは、国内にとどまれば、食べ物も薬もない、みじめな生活が続くか、犯罪の餌食になるのが関の山だった。懇意にしていた同僚の女性はエストニアに移民する一週間前に、夫とともにコンクリートで固められた地中の中から、無残な姿で発見された」
…うん。大学での話にはちと。かな、とか。
あと
「国際化、臨床化。これもぴったりだはないか」
という誤字はよくない。
これはホントでしてね、四方山話にしたって学術的見地に基づいていないと単なる自分語りにしかなりませんからね。アカデミックなトレーニングを受けているか否かの決定的な差はそこで、博士号取得者であれば関連分野の本を数冊読めば専門外でも入門的な講義が一応できるのとは対照的。 https://t.co/BC56v09HvN
— 関大岩本ゼミのアドミン (@iwasemi_kuuu) 2019年5月26日
この時の「数冊」はシラバスの骨格を構成するための初学者向け入門書や海外のスタンダードなテキストのことで、さらに各トピックの専門書などが加わると、結局は10冊以上(&必要に応じて論文数篇)にはなるでしょうね。
— 関大岩本ゼミのアドミン (@iwasemi_kuuu) 2019年5月26日
まあそんな感じ。僕の授業のひとつでは、僕の状況を説明すると言う意味では自分語りをするのだが、それはちゃんと教科書相当の本の理論にあわせて分析するようにしている。
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