空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

自認と自任

2007-05-18 21:59:14 | 国語
 旺文社『国語辞典 改訂新版』(1986年+),520上の「使い分け」囲み記事によれば,自任は「自分はそのことを行うのに適した能力・資格などをもっていると思うことの意」,自認は「事実であるかどうかを自分で認める意」。

「自認」は,自己に関する,自己が如何なる者であるかという認識を言う:

「以来わたしは,自分が天才であると自認している」(木地雅映子『氷の海のガレオン』18頁)
「この態度は,そういうものとして自認されることはめったになかったけれども,ネップへの直接的挑戦であった」(塩川伸明訳,E.H.カー『ロシア革命』岩波現代文庫版,p.160)
「様々な文芸流派―前衛派やら,フォルマリストやら,プロレタリア派を自認する者やら―の隆盛は,革命後の数年間の特徴であった」(塩川伸明訳,E.H.カー『ロシア革命』岩波現代文庫版,p.172)

 態度や主義は認めるものであって,任ずるものではないだろう。地位,役割などであれば「任」の字に合うものと思われる:

「そして労働組合の幹部をふくむ労働党の頭の固い労働者政治家たちは,苛だちと不信の念をもって,かれらにたいする知的指導者をもって自任する人物からはなれ去った」(鈴木博信訳,E.H.カー『ナポレオンからスターリンへ』228上)

 旺文社『国語辞典 改訂新版』は自任の語義に「ある事を自分の任務と思うこと」とも挙げている。

 鈴木博信訳『ナポレオンからスターリンへ』(岩波現代選書,1984年)は上掲例のほか,一貫して「自任」のみを使うように見受けられる:

「…進歩的と自任する思想は…」(E.H.カー,『ナポレオンからスターリンへ』p.15);「…一方ホームズのほうもアメリカの文脈からいえば進歩派であり,みずからも進歩派の一人と自任していたのである」(226上);「フランス革命は啓蒙思想の自任していた普遍主義を打ちこわし…」(236上)。

 進歩派であること,進歩的であることは任務だろうか。それは人類史に対する任務であるかもしれない。しかしまずは自己認識の問題ではなかろうか。
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