空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

かみあってねぇなと

2010-10-07 23:15:29 | Weblog
おおやにき 岡崎市中央図書館事件 2010年10月 2日のWilfrem さんのコメント (2010年10月 5日 14:40):
この記事のままでは先生が「ソフト納入業者」や「図書館」の責任がLibraHack氏の問題と比べて無視できるほど非常小さいと思っているように取れます

 おそらくそうは取りにくい。おおや氏は図書館側・ベンダー側については他の方に任せて「逮捕されてしまった開発者の行動にも「問題」(ベストプラクティスではないという意味でのね)はなかったかという」問いを設定し,それに答えているのである。しかもこの問いかけ方自体,『当該の開発者さんは完璧超人じゃないよね』,だから当然「問題」は見出し得るわけだよね…というわけで―おおや氏が開発者に対して,『ちょっと想像力とか足りなかったかなあ』程度は思うであろうが,『コイツ悪人です逮捕されてしまえ』とはとても思いはしないらしいことが示唆されよう。

 おおや氏に,君は図書館側・ベンダー側についてどう考えているかと問うことは可能ではあるが,彼は『だって他の人が話したよ?』との旨,既に言及している。そこは上掲稿の課題ではないのである。

 にも拘らず,その点の「不備」を「突いて」いる人々は,おおや氏,任意の個人に如何にしても誤解のひとかけらもなく論点の省略・他者への委任も存在ない弁論を発しなければならないと―超強力な個人たるべきことを要求するに等しいことになるだろう。
 とすると任意の個人,当該の開発者氏にも当然超強力な個人であることを要求していいわけで,彼は図書館がどう思うか,ベンダー側がどう処理するか,それらの訴えに対して警察がどのように動くか(自分に非はなくとも)当然完全に理解しつつ行動せねばならなかった―ってことになりかねない。

 …おおや氏には誤解されうる行為を許さず,当該開発者には誤解されうる行為を許す理由はどこにあるかと,すげぇ単純化していえばそんな感じ。

 いや,表現方法を変えて見れば―「当該専門家は見事な仕事をしたにも関わらず,半可通に斜め上の評価を下された」場合,誰が非難されるべきなのか?

 もちろん”おまえは官の専門家だろう,だから民衆に奉仕しろ”という意見もありだが,その場合おおや氏としては『でも僕,専門家の責任は果たしてるよ?』と答えるだけだろう。だって彼は法哲学の人間なんであって刑法の専門家じゃない。個人とシステムについての話はしているわけで。まあ「かみあってねぇな」と。かみ合わない責任は誰にあるのかと問うてみるのは興味あることだと思う。
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