livedoor 池袋で車を暴走させた87歳の男性 大けがにより現行犯逮捕はできず 2019年4月24日 22時51分 テレ朝news
「警視庁担当の中條雄喜記者の解説です。
通常の交通死亡事故では事故直後に現行犯逮捕するのが一般的です。しかし、今回、車を暴走させた旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長は事故で胸の骨を折る大けがをして病院に運ばれていて、現行犯逮捕できるような状況ではありませんでした。警視庁はすでに飯塚元院長の車やドライブレコーダーなど証拠品を押収していて、今のところは捜査に支障はないとしていますが、今後は身柄の拘束を伴う逮捕が必要かどうかが焦点になるとみられます」
ねえこの人本当どこ見てモノ言ってるの?私のフォローしてるフェミニストはみんな山口真帆さんの事件に腹立ててるけど…。こんなクソデマがバズるんだね。「目的はどうあれデマはダメ」とか誰も言わないんだね。
— コニア (@conia617) 2019年4月23日
フェミ叩きさえできれば事実なんてどうでもいいんだ。嘘しか吐かないやつらだな。 https://t.co/3mlatxnHgi
運動家フェミ界隈を見てたんでしょ、ということだろう。
それぞれが分衆化しすぎたんだよ、とでも言ってもいいのかも。
乙武氏のときもそんなもんだったでしょ、と云えば感覚はつかめるのでは。
また、
「男性弁護士から『法律の現場を知らない女性たちが深く考えずに怒っている』と揶揄(やゆ)する意見が出るところに、この社会の根深いジェンダーバイアスが現れている」は違う。彼らは池袋の事故の運転者をバッシングする者にも意見する。彼らは弁護人なだけだ(口は悪い)。https://t.co/fK0meZrYeX
— 佐藤倫子 (@sato__michiko) 2019年4月25日
こうした低水準の見解、あるいはためにする無理筋議論をみれば、よほどのアレとかありゃパーフェクトじゃないかという例が専門職の人間にも見られることは想像できよう。
…なにを見てそう思ったかとか、なにを対象としてそう思うかとか、多少言語化するといいんじゃないかな。「「男性弁護士から『法律の現場を知らない女性たちが深く考えずに怒っている』と揶揄(やゆ)する意見が出るところに、この社会の根深いジェンダーバイアスが現れている」」といわれたら、うんまあ、そりゃそういうところにバイアスが現れてるよねえ、じゃあどう分析しようかとおもったら、「ということで男のお前はジェンダーバイアスばりばりなので、女のオレ様がバイアスばりばりの低能男であるお前にモノをおしえてやろう、オレ様の見解をまるのまんまうけいれろ、何しろこっちはお前如き男なんざよりジェンダーの勉強が進んでるんだからな」とかいう態度にでられると、まあ、協力する気も話をする気も減退しますわな。
最近の私は頑張った(状況を伝えるメモ)。私がベース作ったものを共著論文に仕立てるところまでいけるかも。
ともあれ
「彼らは池袋の事故の運転者をバッシングする者にも意見する。彼らは弁護人なだけだ(口は悪い)」
逃亡云々の話しではなくて
— s_a_c (@satoshi197468) 2019年4月25日
じゃあ、被害者は二人も殺されて逮捕もされないなんて納得行くんですかね?
入院中なら別として、バスの運転手やトラックの運転手の場合なら、逮捕ですよ?
それだけの事をやって逮捕されないのは、おかしくないですか?
いやだから、自由な行動が抑制されていれば―入院加療中とかなら逮捕はしない(それでもなお逃げれば厳罰にする)という常識的な対応が今回もなされているだけだという、非常に常識的な―新聞読んでりゃわかる程度の話なのに『処罰の一環として逮捕しろ』と唸る人たちがいる、これは「弁護人なだけだ(口は悪い)」におさまる範囲だろうか、というわけなのだ。
逮捕と無関係に加害者はこれから司法の場で裁かれ、またあなたのような方から社会的制裁を受けながる生きて行くことになるでしょう。 https://t.co/Ut6VR9XFfp
— 宇佐美典也 (@usaminoriya) 2019年4月25日
その「あなたのような方」って何ですかね?
— s_a_c (@satoshi197468) 2019年4月25日
自分が被害者なら、逮捕もされないのは納得行かないって思っただけですけどね
死亡事故を起こして無罪なんて思ってないですよ
当然、司法の場で判断される事は知ってます
その加害者を個人的に攻撃しようなんて思ってません
このやり取りが実によく現在の、そして将来の状況を描き出しているといえるだろう。「加害者を個人的に攻撃」するために逮捕しろといっているわけではない、「社会的制裁」の一部として逮捕しろと言っているだけだ、という。そして、いわゆる”全員一致の暴力”として加害者をシバキあげる。これは石打死刑と同様の構造であって、”加害者が死ぬ”のは誰かの投げた石が致命傷になるわけではなく(まあ実際は窒息死かねえ、あれ)、民衆の意思、天の意志だ、というわけなのだ。
しかし、我々の明文化された社会契約では、逮捕は民衆裁判の一環としては設定されていないだろう、ということだと思うが:
①あなたは「被害者ではないただの第三者」だし、被害者の家族は会見であなたが仰るようなことを言っていない
— 宇佐美典也 (@usaminoriya) 2019年4月25日
②糖尿病持ち、骨折した87歳を逮捕して留置場に置いたら普通に死にかねない
③逃亡の恐れもない病人の老人を「逮捕しろ」とか言ってる時点で加害者に対する個人攻撃以外の何物でもない https://t.co/O9eKjQaKga
逮捕しないなんて国民感情が許さないとか○○の量刑は国民が納得しないとか言われても「逮捕や量刑が国民感情で決まる国なんぞに住みたくないわ」だわな。
— もへもへ (@gerogeroR) 2019年4月25日
…新しい犠牲者として選定されたら、大人しく慫慂として死を受け入れろ、誰が犠牲者になるかはわからない―という契約はコワいわな。。
「上級国民は逮捕されない」の件、どちらかと言えば「一般庶民は弁護士と疎遠なのでいざというときに助けを求められず警察のいいように扱われてしまう」という問題なのだと思う。
— きや (@kiya__na) 2019年4月23日
まあ、こんなとこよね、上級様たちと我々との違いって。