本のメモ:「星座で読み解く日本神話 勝俣 隆 著(大修館書店)」
本のメモ:「『「山月記」はなぜ国民教材となったのか』 佐野幹 著(大修館書店)」
『「山月記」はなぜ国民教材となったのか』 https://t.co/wmufBltpJJ
— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2019年1月29日
これはよい参考文献を教えてくれてありがとう、というところ。
早速注文しました。
— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2019年1月29日
やっぱり「なぜ山月記なのだろう」という疑問を持った方が他にもいたんですね。
私も「国語教育の装置として選ばれた『山月記』という存在」にずっと疑問を持っていたので。
うんまあ、ここまでの問題提起はよいのだが
山月記への疑問として、まず(例えば芥川の羅生門や蜘蛛の糸に比べて)ディテールの圧倒的欠如を挙げたい。
— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2019年1月29日
どんな毛並みの虎なのか、どんな叢、どんな山道なのかさっぱり書いていない。
…いや突っ込むべきはそこじゃないだろ、という感が凄い。
別にそんなところは構わんのである。ヤン・ウェンリーの”色男ぶり”について述べられることがなくとも『銀河英雄伝説』は成立するのである。ラインハルトの美形ぶりを縷々のべなくても構わないのである。シュタインメッツについて語られることがあまりに少なくとも、まあ多少の描写から、シュタインメッツの武人ぶりはあまりにも明らかになるのである。
欠如の機能とそぎ落としの技法と、そうまでそぎ落とす著者の意図・度胸…そんなあたりを語るべきだろう。
次に、余白の欠如。李徴が、余白なく、経緯も理由も、あるべき反応も反論も、悉く自分で喋り尽くしてしまうこと。それが非常に一本調子であり、陰影に欠けるところ。(羅生門と比較するとわかる。)
— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2019年1月29日
ポイントはここだろう。夭折作家・中島敦の、まあ若書きとでもいうもので、まあ小説の技法等々の円熟度については賞賛するところ寧ろ少なし、とでも評価すべきところか。
しかしそれゆえに味がある、というわけなのだ。まあ羅生門とかと比べれば、という視点を、学生の水準にあわせて教えるといいかな、とも思うが。
けれど、筋書き自体は非常にわかりやすい「青春の蹉跌」話なので、種明かしをされればみんな読んだ気持ちになれる。
— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2019年1月29日
が、筋書きを知っている=読んだ、は実は文学の衰退を早めるのではなかろうか。
そして、極め付きが「なぜ、李徴の書いた詩はどこか微妙な点でかけているのか」に安易な答えが用意されているところ。
— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2019年1月29日
まあしゃあねえべ,おたくさんみたいな高級知識人になる高校生ばかりじゃないんだし,とまあ、そういう程度の話と思う。さらに言えば、高校の先生だってピンきりというわけで、まあ一応そこそこの品質管理をせねばならぬわけであり、そりゃまあそういう「教材ガイド」みたいなもんは一定の必要性があるのであるし。
…さほど気にしてませんでしたが、どこの先生ですかね。
私は国語で「山月記」を習い、ずっと違和感を感じていた。その違和感について、述べたら袋叩きに合うのって、マジですごくない?
— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2019年1月30日
びっくりしました。
ただ、ふつうに、びっくり。
若い頃に読めば李徴を愚かと読むフツーの読み方もできるし、いや我は李徴なりと思ってわが道を行く決意をすることもあり、その辺は青春の思い出とも重なり、まあ思い入れが深いひとも多かろう。なので、評価すべきところを評価せず、また、なぜこれが国民文学扱いになっていったのか、歴史的に資料的に明らかにしていくという本を紹介するところ、「そこじゃねえよ」という突っ込みどころから説き起こすあたり、まあ感情的に説き起こしたわけで、感情的に突っ込んでいくひとたちはまあ発生するかなあと。
専門家が、「せんもんがいのことをそぼくにつぶやいただけなのにー!みんながいじめる~」と言い出す仕草に名前がほしい。
— Diarium de Raccoon Canis (@Raccoon385203) 2019年1月30日
「山月記」に、どんな毛並みの虎なのか、どんな叢、どんな山道なのか書いてないと違和感を持つのは自由だが、そういう感覚から文学教育に提言するのは遠慮した方が良いのでは。
— ITO Toshikazu (@toshiitoh) 2019年1月30日
ぽそっと(ほぼ愚にもつかない)感想文を書くくらいのことは許されてしかるべきだ―と言う一方,まあその,結構な権威者は多少「綸言汗のごとし」という言葉を思い起こして我が身を律せよ,というところでしょうか。天皇のような立場の方ではありませんから,という突っ込みは無しで。
山月記は、なにか人と違う道を極めようと挑戦する人を冷笑する国民性と相性がいいので、愛されているのだと思います。でもそんなん読んでてもしゃーないから、ジョブズの伝記とか読んで欲しい。
— 南にゃ (@NekoAntarctica) 2019年1月25日
まあそういう読み方は割と多数発生するかとは。
「『「山月記」はなぜ国民教材となったのか』 佐野幹」
以上発注