武田邦彦を使い続けるメディアが全面的に悪い。アイツが二度とメディアに出て来ないことを心から願う。
— 林 智裕 (@NonbeeKaerucci) 2019年8月31日
でも、それだけではダメだ。
原発事故に便乗して詐欺的言説で多くの人達を陥れた責任も追及されますように、とも願う。しかし…
何故福島への暴言は、今回のように問題視してくれなかったのか。
「武田邦彦を使い続けるメディアが全面的に悪い」完全に同意する。抽象的な言葉で纏めれば「機会主義者」とでもいったあたりであり、「世間の空気」にしたがって発言してくれるという意味では非常に使いやすいものの、その水準を超えるヒトではないように思う。
今更武田邦彦をやっと引き摺り下ろそうとしている社会は、ヤツが福島への暴言を繰り返してきたときには動いてくれなかった。
— 林 智裕 (@NonbeeKaerucci) 2019年8月31日
武田邦彦のせいで離別した家族もいた。
絶望しながら死んでいった農家もいた。
なぜ、社会は今までアイツをのさばらせていたの?
なぜ、対福島はスルーで対韓国では動くの?
「ヤツが福島への暴言を繰り返してきたときには動いてくれなかった」とはいえ、だってそのときには彼は、福島を「放射能汚染の死の大地だイエー」といたぶって楽しみたいという空気に奉仕していたわけであり、まあ、だから、その手の類の水準の「論説」を真面目に受け取っちゃうのはダメだよねえ、という。
まあ、その、『中央の権力者どもの意見を丸呑みになんかしない俺たち知的!』って感じのグルーヴ感に身を任せるためのリズム刻み役であるわけで。
まあその、ちょろっと愉しんだらゴミ捨て場行きなのではある。『恋のマイアヒ』をCDチェンジャーに常備したままのひととか、いる? むしろジャムったCDプレイヤーごと、捨ててない? まあそういうものでしょう、時々稀に神棚にあがめているひととかいるだろうけど、「あれこそ神曲だ!」と主張する人とかいるだろうけど、人口比的にはゼロに等しい。
でまあ。賞味期限切れなのに延々使い続けてるのはマズイよねーという。
今更遅すぎる。
— 林 智裕 (@NonbeeKaerucci) 2019年8月31日
福島への暴言を乱発していたときや、ヤツが「日本に住めなくなる日」だとか宣言した期日が過ぎたのを以って、責任が追及されるべきだった。
それが、何だ。、
左派は福島への暴言や人権侵害はスルーだわ、ちょっと都合良いこと言えば右派はホイホイ持ち上げるわ、どいつもこいつも…
武田邦彦は、仇敵と言っていい。
— 林 智裕 (@NonbeeKaerucci) 2019年8月31日
願わくば、もしもヤツを法的に追及できる点があったならば、法的に可能な最大限の責任追及がなされますように。
取り返しなんてつかないけれど、せめて、出来る限りの落とし前がつけられますように。
とまあ、怨嗟の声があり、正直なところ感情的には同意する。
…あとまあ、「引き際を誤ったよねえ」と思うくらいは人間的であると思う。が。
武田邦彦、彼もまた「フラジリスタ」のたぐいであり、やはり、言論の商売人として道を外した外道であると断じなければならぬ。ニッチな層の需要もあることで、そういう層の快楽のためにも存在すること自体はまあ許容されるべきだが、やはり商売の仕方は考えるべきだ。
原発事故後、社会の動揺は長く続いた。だからその動揺をタネに商売しようとする向きが現れること自体はしかたない。だが、その動揺を不当に長期化させたりするのは、やはり倫理的にはマズイのだと思う。
…やっぱりねえ、やるならやるで、さっと書いてさっと売ってさっと逃げるべきだったんだよ。無駄に小銭を稼ごうと執着しすぎて、被害担当艦まで自発的に担当するはめになってる。倫理的にマズイだけじゃなく、社会的プレスティージの獲得維持にも効果が怪しいし、経済合理性にも反することになろう。
…引き際、誤ったよねえ…。