空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

ここに言う「沖縄人」とは誰か

2019-06-16 17:39:18 | ノート
琉球新報 基地の話「封じ」は差別 生存権に関わる問題 <寄稿・追い出された経験から>野村浩也広島修道大教授 2019年6月14日 16:15

日々、基地に命を脅かされている沖縄人は、最低限、基地の話をしないと命を守ることができない。これは、生存権にかかわる問題である」が「さらに、沖縄人A氏が県民投票に行かなかったことを自慢気に話したので、私が反論すると、A氏は逆ギレして「基地の話はするな!」と炎上した」となると、この沖縄人A氏は己の生存権を否定していることになるだろう。

 作文が下手だと言って構わないだろう。
 言葉の定義もなんというか特殊、個人的に過ぎてようわからん。

事件の経緯はこうだ。沖縄から広島旅行中の客3名(沖縄人1名、日本人2名)のうちの日本人1名が、まず、私に対して「沖縄大好きハラスメント」で絡んできた

 沖縄から広島に旅行にきたというなら、沖縄人が3人じゃないのか。広島県人が沖縄に行ってユーターンしただけなら「沖縄から広島旅行中」とはならない。さらに「私は「そんなに沖縄が好きなら基地を引き取ってください」と対応した」という対応。え、でも沖縄居住者なら、沖縄に基地を引き取った状態じゃないか。なのになんで広島の大学に奉職していている広島県人が「基地を引き取ってください」なのか―。

 これでようやく解った。
 この人は、沖縄生まれの沖縄人と、それ以外の生まれの日本人と、という区別をするのだ。だから、沖縄に生まれた自分は沖縄人として語り続けるが、しかし沖縄に住んでいようと、もとが「日本人」であれば、「基地を引き取」る場合、引き取り先は沖縄であってはならないことになる―決して沖縄を地元と思ってはならない、というわけだ。

 かなりきっつい地縁・血縁原理主義であるが、ならば己についてもそれを適用してはどうか、という疑念を欠片も持たないらしいあたり、文章を極めて読みづらくしている。

 つまりこういうことだ。
 彼は、広島に(長く)居住しており、つまりそのぶん、沖縄の基地負担を負担せずに済んでいるにも関わらず、現に沖縄の基地負担を負担している現沖縄居住者を、”もともと九州以北生まれである”がゆえに沖縄の負担を負担していない者とみなす。

 沖縄に住んでいないが沖縄の問題について沖縄在住者、さらには彼の定義による沖縄人に対してさえも特権的に断罪する―というのは、血縁による「沖縄人」定義にも地縁による「沖縄人」定義にもよらない、思想的な「沖縄人」定義が言語化されないままにうごめいているわけなのだ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「キモくて金のないおじさん... | トップ | ヴィーガン放生会がはじまるか »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ノート」カテゴリの最新記事