枕崎駅からも見える小高い丘(片平山公園)にある 南溟館です。(11月19日15:30頃)
私が見終わって帰る途中、入れ替わりでバスから団体の方々が降りてきて、南溟館に向かっていきました。
バスのネームプレートを見ると、商工会議所の女性グループのようです。 島津家の家紋(丸に十の字)の
陣羽織が勇ましい。
私が南溟館で鑑賞したときは、他の客はゼロでしたので、タッチの差でした。
通路に置かれた立体作品。 2019年に、枕崎市制施行70周年を記念して制作された、アートストリート「青空美術館」の、立体作品100基目の作品とのこと。
※アートストリート「青空美術館」は後述。
立体作品が出迎えをしてくれます。
《響きのはじまり》 水田勢二(兵庫県) <第3回風の芸術展大賞作品>
《どれどれ》 宮薗広幸(鹿児島県)<第6回風の芸術展準大賞作品>
空から見ると、前方後円墳のような形をしている(と思う)南溟館、画面右がエントランスです。
玄関からの光景。
館の概要です。 企画展はなかったからでしょうか、入場料は無料!でした。
施設の名称について、私の感想です。
南溟は、南方の大海を指す言葉ですが、あまり使われない言葉。(横山大観の戦争協力画に「南溟の夜」というタイトルがありました)
また、文化資料センターという言葉には、アートの香りを感じない・・・そのため、”文化資料センター南溟館” って何?何をしているところ?
となってしまう。 観光で訪れた方にも、すぐイメージできる〇〇美術館、〇〇ミュージアムのほうがいいのに・・・思いました。
名称決定には、様々な経緯もあろうかと思うので、部外者の勝手な思いになりますが、展示内容がいいだけに、もったいないなーと思いました。
第1展示室です。 おー、 現代美術作品が並んでいる!
係りの方の説明によると、「風の芸術展」の作品,「枕崎国際芸術賞展」の作品、郷土関係作家の作品が展示されているとのこと。
枕崎市では、1989年に、第1回「風の芸術展」として公募展を行い、その後2017年からは、枕崎国際芸術賞展へと発展している。
それではいくつか作品を紹介します。 なお、フラッシュや三脚などを使わなければ、基本的には撮影OKでした。
第2回枕崎国際芸術賞展の大賞受賞作品
《雲隠れ1》(左側)、《雲隠れ2》(右側) 全 民玉(Minok Choun)<韓国/東京都出身・在住>
油彩/木製パネル、綿布、ジェッソ、油絵具
第1回枕崎国際芸術賞展の大賞受賞作品
《White Cube -12》 《 White Cube -18》 菅 亮平 < 東京都>
日本の作家の作品かと思ったら、千葉在住ですが、中国の方でした。
第1回枕崎国際芸術賞展の準大賞受賞作品(本作と「ガラスの部屋」の連作での受賞)
風の芸術展の受賞作品
こちらは、枕崎市出身の画家です。 シュールなイメージの絵と、温かなタイトル、面白いなーと思いました。
第2展示室です。 こちらは田代コレクションを展示しています。
藤田嗣治の1930年の作品。 パリの画壇で成功し、南米に旅行する1年前。
虚しそうな表情の美女、並んでいた作品、次の棟方志功の天女と対照的でした。
棟方志功の「花深処」、タイトルは彫られている文字のとおり、花深処無行跡(花深きところに行く跡なし)
=大自然の中では人の足跡などすぐに消されてしまう・・・という仏教に由来する言葉のようです。
同様なタイトルで天女?の大首絵の作品は他にもあり、好んだモチーフだった。
ふくよかで、凛とした美しさが独特で、素晴らしい。
平塚運一の版画。 ヘタウマ?的な面白さを感じました。 2年前、須坂版画美術館内の平塚運一版画美術館で見たときは、
つまらないと思ったのですが、この味、ようやくわかりました。
北川民次、米国とメキシコに22年間滞在した、反骨の画家と呼ばれている。
力強い描線が印象的です。
ブルーが奇麗だなと思い、略歴を調べると、鹿児島出身の画家。 名前は、時折、美術展で見かけるのですが、強い印象はなかったのです。
ウィキペディアを見ると、1923年(大正12年)に19歳で単身渡仏し、パリで創作活動をしていた藤田嗣治に師事。 1927年頃からフランドル絵画
に影響されて、青を基調とした雪景の連作を描きはじめる。・・・とあります。 この作品は、ヨーロッパの風景なんだ。
戦後、古民家を描き続けた向井潤吉、今までは、興味もなく絵をじっくり見たことはなかったのです。
一方、古民家には興味があり、写真展「二川幸夫・建築写真の原点 日本の民家 1955年」は、興味深く
見た記憶があります。
今回、この作品をじっくりと見て、自然と、そこで暮らす人々の家が、美しく響きあっているのを感じ
ました。
南溟館にきて、喰わず嫌いを卒業した画家(平塚運一、北川民次、海老原喜之助、向井潤吉)が多くあり
収穫でした。 西側の窓から見える、庭と枕崎市街です。
庭にある立体作品。
庭から西側のパノラマ。(今回の使用カメラは、パノラマ機能がないので、手で合成)
東側の眺め。
小高い丘にある南溟館から降りてくると、枕崎駅が見えてきます。
1日6本の列車、一度は乗ってみたいと思うのですが、観光で乗るのには、条件が厳しい。
駅前にある、かつお節行商の像
像の顔部分をアップで。 力強く生きる意志のなかに、切ない思いも感じられる。
観光だけではなく、芸術的な眼差しで見てほしい作品。
作者 田原迫 華 2013年
駅前の看板に、アートストリート「青空美術館」作品の案内があります。
南溟館にある立体作品など、市内の大通りにある立体作品が目を楽しませてくれます。
枕崎ステーションホテルの前にある作品。
《時間旅行者のために No.0218》 原透(神奈川県)
観光案内所前にある作品。
観光案内所に置かれてある”落書きノート”
いくつかのページを撮影。 枕崎駅から稚内駅まで鉄道旅(日本の鉄道の南北端)をする人、香港からの旅行者もいる。
台湾の旅行者の漢字、読める!
韓国からの旅行者、ハングルと日本語で書いています。 2018年の11月に日本に来て、8か月かけて枕崎に来ています。
その間、国同士の関係が悪化したので、仲良くなるようにという願い・・・叶ってほしいですね。
最後は、鹿児島空港です。
霧島の山並み、新燃岳あたりでは水蒸気が噴出しています。
離陸してすぐ、16時38分、右側の窓から桜島が見えました。(露出を下げて現像)
4日間の枕崎、用事や親戚との語らいも無事に済み、安堵して帰途に就きました。
さて、大晦日になりました。 皆様、今年も拙ブログを見ていただき有難うございました。
皆様にとって、来年が良い年でありますよう、お祈りいたします。
ます。ですが、この申し出、ご遠慮させていただき
たいと思います。
いろいろ考えたのですが、このブログは私的なもの
で、使う写真は、ほとんど自分で撮影したものです
し、他の図像を使う場合も、公開されたもので、ストーリー構成上、必要なものなどに限って使ってい
ます。 つまり、記事のすべてについて、私の意図を反映させたいと思っています。 この意味で、かつおビンタ様からの素材のご提供は、私にとっては、負担になるのです。
以上、せっかくのご好意を、誠に申し訳ないのですが、お気を悪くなさらず、ご理解いただきたいと思います。
情報また、鹿篭豚のお話、誠にありがとうございまし
た。
枕崎市の観光案内パンフレット”まくらざきまちあるき”https://www.city.makurazaki.lg.jp/book/list/book95.htmlなどを見ると、私の知らない情報がまだまだあり、次回、枕崎を訪れたときに歩いて、拙いブロ
グにアップしてみたいと思います。また、その時はよ
ろしくご教示をお願いいたします。
父と乗ったことです。 冬、伊集院から枕崎まで時
間がかかり、車内のたばこの匂いや、暑苦しさで吐
き気がしていて、父がいろいろと介抱してくれたこ
とを覚えています。
私も北九州・小倉の学校に、国鉄・日田彦山線で通
学していました。(昭和41年) 寮に入るまでの1
年間だけでしたが、当時は蒸気機関車も残っていて、トンネルでの窓閉めなど懐かしい思い出です。 そういえば、行商のオバサンの姿もたまに見
たものでしたが、ここ数十年、見かけなくなりまし
た。 なお、枕崎の「かつお節行商の像」の作者名
をブログに記入し忘れたので追記しておきました。
指宿市出身の女性塑像家で、南溟館 での公開制作の様子がユーチューブにも出ていました。
高校時代、今は無くなりましたが南薩鉄道で通学していました。毎朝6時発の始発列車はメンバーと座席がほぼ決まっていました。同じ学校に通う先輩3人と常連さんの中に鰹節行商のおばさん達が数人・・・。「枕崎っの、鰹節はヨシュごわんどかい・・・?」県北部から大隅半島、宮崎、熊本方面へ売りに行っていました。すぐ、顔見知りになり、乗り合わせるとオバサンたちのおやつのミカンや駄菓子をよく頂いたものです。S40年代初頭の話です。
そうなんですか。 私は、枕崎のグランドが使用されているのを一度も見たことがありません。
私は福岡の田舎の小学校でしたが、約3千人いました。 現在は、300人弱のようです。 町の中心産業
の衰退に伴う宿命ですね。
また、しばらくは枕崎から離れた話題の記事になりますが、今後ともよろしくお願いいたします。