本日、トルコから帰ってきました。
12月21日~30日までの10日間、トルコでの思い出を写真とともに綴っていきます。
21日の夜、イスタンブールに着き、翌日の朝早くトルコの国内線で首都アンカラへ。
飛行機の窓から見たイスタンブール市街です。
中央のマルマラ海からボスボラス海峡の入口が写っています。
下に盲腸のように延びるのは金角湾です。
アンカラに到着し、ツアー専用観光バスでの車窓からの写真。 ちなみにこのバスで約2000kmを移動しての観光でした。
トルコ中央のアナトリア高原にある首都アンカラ。 御覧のように、緑が少なく、乾いた岩、土の上に住宅ビルなどが建っています。
人口500万のトルコ第二の都市です。
最初に行ったのが、アタチュルク廟。
ケマル・アタチュルクは、トルコの初代大統領で、トルコ建国の父と呼ばれています。
1918年の第一次世界大戦で敗北したトルコが連合国の支配下にはいりますが、アタチュルクが、ここアンカラで会議を招集し、戦いを開始。 ギリシャ軍を西トルコから追い出し、連合国軍も撃退して、1923年に独立し共和国制の政府を樹立し初代大統領となり、さまざまな改革を断行していきますが、1938年、57歳で死去しています。 アタチュルクは「トルコの父」という称号なのです。
(ツアーの現地人ガイドの説明をそのままつかっています)
アンカラの丘の上に建つ、廟は、軍の警備が厳重、儀仗兵の服装をした門衛です。
廟の正面。
トルコ国内の子供達の修学旅行でしょうか、多くの子供と付添の先生がいました。
廟の内部です。 トルコは土葬で、祭壇の下38mのところにアタチュルクは埋葬されています。
廟をでたところで、子供達の一人が手を振ってくれました。
廟から広場を眺めた写真。 この左にアタチュルクゆかりのものを展示した博物館があり、見学しましたが撮影は禁止でした。
再び、バスの車窓から。 古くからの住居でしょうか。
アンカラから、ヒッタイトの遺跡などがあるボアズカレに向かう途中の、レストランで昼食。
果てしなく続く、乾いた草原(小麦畑とのこと)にポツンとあります。
前庭の池は氷が張っているのかと思いましたが、石灰で白く濁った水のようです。
その池の横の荷車と陶器の壺のオブジェ。 この後の観光地でも、古い荷車はよく飾られていました。
隣の家の屋根に鳩がいっぱいいました。 池の周りいましたので、水場にしているのだろうか?
レストランのテラス席。
出てきた料理はサチカブルマ。
食べ残しですみません。 これはわりと食べられましたが、以降、日本食が恋しい日々が続きます。
デザート。 名前は忘れましたが、とにかく甘い。 トルコの方は砂糖を多めに使うようです。
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