日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

琵琶湖は京都大阪の飲料水

2007-07-05 | 世界地理
琵琶湖周航の歌
われは湖の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
のぼる狭霧や さざなみの
志賀の都よ いざさらば

松は緑に 砂白き
雄松が里の 乙女子は
赤い椿の 森蔭に
はかない恋に 泣くとかや

浪のまにまに 漂えば
赤い泊火 なつかしみ
行方定めぬ 浪枕
今日は今津か 長浜か



その今津。2004年6月入梅直前の琵琶湖は日差しは真夏のような強さだが、海のような肌にまつわる潮風は吹かない。さらさらした微風が、肌に心地よい。
今津浜で、強烈な死臭が襲ってきた。体長30cmを越えるコイが死んで湖岸に打ち上げられていた。40~50m間隔でコイが死んでいて、湖岸をどこまで歩いても死臭が漂っていた。
琵琶湖には百瀬川・石田川・安曇川などのきれいな水が流れ込み、京都・大阪では琵琶湖の水を飲用水に利用している。しかし、コイヘルペスが琵琶湖のコイを大量に殺した。
コイヘルペスは、ブラックバスもネコも人間も、直接には殺さない。しかし、飲料水として利用される琵琶湖の水が、これで良いはずがない。

かつて琵琶湖の魚は水路をさかのぼり、湖畔の住宅の台所を訪れるケースがあった。ロバタ(炉端)にならって、カバタと呼んだ。しかし、今はアユもコイもさかのぼらず、ブラックバスがカバタにさかのぼる、とか。(2004.6)





老木と大木ばかり

2007-07-05 | 世界地理
兼六園は世界歴史遺産登録をめざして整備中
30年前に、兼六園にはじめて来た時、入園料は無料か10円か、とにかくタダ同然であった。近所の子どもがかくれんぼをしたり、池で魚釣りをして叱られていた。うるさかったが、活気はあった。前田公がわびの世界を追求した公園において、子どもの歓声があふれるのもおかしなことだが、単なる公園と考えれば、子どもがうるさくても、気にするほどのことではなかった。

この世にはありえない6つの美点が、この公園にはあるので、兼六園と呼ぶ。6つの美点つまり六勝とは、①宏大、②幽邃、③人力、④蒼古、⑤水泉、⑥眺望のことである。

現在、兼六園の入場料は大人一人300円。入場料収入がふんだんにあり、公園整備に十分なカネをつぎ込むことができる。しかし、整備が行き過ぎた結果、老大木ばかりのいびつな公園になった。六勝のうち、④蒼古とは全部が古いのではなく、古い樹木が若木の中で一際目立ち、名木とみなされる意味であろう。
支柱で支えられてやっと立っている老大木がやけに目立つ。雪の重さに枝が耐えられず、雪吊りが冬の名物になっている。そして、鯉がいる池では水が生臭く、茶室で風流を楽しむことは難しい。

2百年も前から、老大木ばかりの公園だったのではあるまい。茶室に池から生臭いにおいが漂っていたのでもないだろう。兼六園の隣には金沢城の再建が始まった。これらすべては、世界歴史遺産の登録にはプラスではあるまい。(2007.7)


カラス城

2007-07-05 | 世界地理
金沢城再建
国宝松本城は外壁が黒いので、カラス城といわれる。松本城内には築城当時の床・柱・階段が残っている。内部は粗雑な造りだが、外壁はカラス色の黒壁がみごとである。黒さゆえに国宝に指定されたのであろう。

金沢城から金沢大学が撤退開始が1978年、撤退完了が1995年である。その翌年1996年には石川県が金沢大学跡を買収して、金沢城の再建が始まった。
しかし金沢城は1546年の創建以来、1602年、1620年、1759年、1808年の4回、大火災にあい、全焼と再建をくり返してきた。さらに明治14年(1881年)に陸軍兵舎から出火し、二ノ丸を全焼した。

城の再建の時、どの城でも問題になるのは、いつの時代の城を復元するのか、という点である。金沢城は、帝国陸軍の失火直前の、つまり明治維新前後の復元をめざしている。それでも空地のある限り、別の時代の建物も復元しているので、最終的には、いくつもの時代の錯綜した城が復元されるであろう。



2007年6月29日午後6時、梅雨空に白くそびえる二ノ丸菱櫓には、城跡をねぐらとするカラスの大群が集まり、就寝前の遊戯の最中であった。松本城よりはカラスの数が多い。金沢城こそがカラス城と呼ぶのにふさわしい。
いつの時代の金沢城も火災と外敵に弱い設計であった。平成の再建途中の新金沢城は、カラスに乗っ取られたカラス城である。(2007.6)