ウハハハハ、金曜の夜に書き込みをして、数時間後朝になって、その投稿の内容があまりに恥ずかしいだったのでソッコー消しました。
確か「愛は時を越えるか」とかなんとか・・・・・何というか、プライベートを暴露するようなないようだったような・・・・・酒って怖いね。
まぁいいか、消したんだし(笑)。
で今日は、音楽の中でのボーカルの特殊性をチョロチョロッと触れてみようと思う。
ジャズだけで見ても使われる楽器って色々あるよね。それぞれの楽器がそれぞれに特色を持っていて、それぞれに適した役割を担ってひとつの演奏になる。
その中でボーカルって、もうホントとびっきり特殊な位置にいるパートなんだよね。
各楽器が、音楽の中で「こういう役割を担うために、こういう音が欲しい」といった前提に生まれてきたのとは逆に、ボーカルの場合は「声はこういう事ができるから、こういう役割を担おう」というのが前提にある。つまりボーカルだけが、すべての楽器が「まず音楽ありき」だったのに対して、ボーカルだけは「まず声ありき」だった。音楽がなくても声は存在し得たものなのね。
出自の特殊性ゆえか、音楽の中でボーカルだけが許された特権があるよね。それがあるからこそ、幾多の楽器が淘汰されてきた音楽の歴史の中で、ボーカルだけは消える事がなかった・・・・・というより消える事はありえなかった。
そのボーカルだけが許された特権・・・・・そうね、「言葉を乗せる事」。
ほかのどんな楽器でもこれは無理。ボーカルにしか「言葉を乗せる事」ってできないんだ。
僕も大好きだけど、Bobby Mcferrin(ボビー・マクファーリン)とかAl Jarreau(アル・ジャロウ)とか、「声を楽器として用いる」って言われてるボーカリストたちね。
ジャズでは古くからある、ワードレスの「スキャット」という歌唱法や、さらにはボイスパーカッションとかね、ああいう「声で他のパートの代用とする」やり方。僕は上記の2人は大好きなのさ。聴いててね「スゲェ、確かに声を楽器として用いてるよ」って、いっつもほれぼれする。
でもね、ほれぼれするんだけど、たまーに「だから何?」って思う時があるのさ。「別に無理して声でやらんでも楽器でやれば?」ってね(笑)。
いや、この2人を貶してるんじゃないよ。そうでなくて、「やっぱりボーカルの本分は言葉を伝えることだよな」って思いが僕には強くあるって事。
言葉を排した、声そのものの音色を演奏の中に取り込みたいと考えたなら、それはそれで必然性があるし自然だと思う。Pat Metheny(パット・メセニー、g)なんかはそういった「声」の使い方をするよね。あの人はなんの楽器の真似でもない、「それ自体の自然な音色としての声」を上手く使う。
そうでない、何かの模倣や代用としてのボーカルって、やっぱりどこか不自然な気がする。
例えばさ、ピアノトリオの演奏でドラマーの代わりにマイク持った人が出てきて、延々ボイパでブーツクブーツクやってたらどう思う?。
まぁ演奏は成り立つだろうけど・・・・・打楽器のオーケストレーションを担うために生まれてきたドラムセットという楽器にかなうわけはないよね。
そういう事。
逆にね、他の楽器にできてボーカルにできない事ってのもあるよね。
まず逆立ちしても無理なのが「和音を出す事」。モンゴルのホーミーとかって和音出せるんだけ?。まぁあれにしても2声でしょう。ピアノのようなオーケストレーションは単独では絶対に望めない。
出せる音域も限られる。まあこれは他の楽器もそうだけどね。
あと、やっぱり速いパッセージは他の楽器全般に比べると苦手だと思う。そりゃそうだよね。指をパラパラ動かすのと声帯をパラパラ動かすのじゃ、大抵の人は年季が違う(笑)。オペラでは「コロラトゥーラ」っていう、転がるようなとんでもなく速いパッセージを歌う歌唱法があるけどあれも超絶技巧であって、当たり前ではないよね。
また広い音程を飛ぶ事もそうだよね。ピアノで12度上の音に飛べって言われたらそれだけ上の鍵盤叩けばいいけど、声で12度上に一気に行けって言われたら、やっぱちょっと戸惑うでしょ。「ド~レ~ミ~ファ~ソ~ラ~」って指折り数えて歌ってみればわかるけど、それだって正確な音程かどうかは怪しいもんだ。
いや、そりゃ訓練してる歌い手はできるよ。できるけど、他にそれがもっと容易な楽器はたくさんあるって事。
要するにさ、各楽器、各パートごとに得意な事や持ち味があるんだから、それを生かすのが自然だよねって事。
別に感覚的に自由に歌うのはいい事だと思うけど、ボーカルには言葉を大切にする事は忘れて欲しくないな。
まぁそんなとこです。
本日の安眠版は、ワードレスの声の音色をすごく自然に生かしていると思う、Pat Methenyの84年の名盤、「First Circle」。
ではおやすみなさい。
確か「愛は時を越えるか」とかなんとか・・・・・何というか、プライベートを暴露するようなないようだったような・・・・・酒って怖いね。
まぁいいか、消したんだし(笑)。
で今日は、音楽の中でのボーカルの特殊性をチョロチョロッと触れてみようと思う。
ジャズだけで見ても使われる楽器って色々あるよね。それぞれの楽器がそれぞれに特色を持っていて、それぞれに適した役割を担ってひとつの演奏になる。
その中でボーカルって、もうホントとびっきり特殊な位置にいるパートなんだよね。
各楽器が、音楽の中で「こういう役割を担うために、こういう音が欲しい」といった前提に生まれてきたのとは逆に、ボーカルの場合は「声はこういう事ができるから、こういう役割を担おう」というのが前提にある。つまりボーカルだけが、すべての楽器が「まず音楽ありき」だったのに対して、ボーカルだけは「まず声ありき」だった。音楽がなくても声は存在し得たものなのね。
出自の特殊性ゆえか、音楽の中でボーカルだけが許された特権があるよね。それがあるからこそ、幾多の楽器が淘汰されてきた音楽の歴史の中で、ボーカルだけは消える事がなかった・・・・・というより消える事はありえなかった。
そのボーカルだけが許された特権・・・・・そうね、「言葉を乗せる事」。
ほかのどんな楽器でもこれは無理。ボーカルにしか「言葉を乗せる事」ってできないんだ。
僕も大好きだけど、Bobby Mcferrin(ボビー・マクファーリン)とかAl Jarreau(アル・ジャロウ)とか、「声を楽器として用いる」って言われてるボーカリストたちね。
ジャズでは古くからある、ワードレスの「スキャット」という歌唱法や、さらにはボイスパーカッションとかね、ああいう「声で他のパートの代用とする」やり方。僕は上記の2人は大好きなのさ。聴いててね「スゲェ、確かに声を楽器として用いてるよ」って、いっつもほれぼれする。
でもね、ほれぼれするんだけど、たまーに「だから何?」って思う時があるのさ。「別に無理して声でやらんでも楽器でやれば?」ってね(笑)。
いや、この2人を貶してるんじゃないよ。そうでなくて、「やっぱりボーカルの本分は言葉を伝えることだよな」って思いが僕には強くあるって事。
言葉を排した、声そのものの音色を演奏の中に取り込みたいと考えたなら、それはそれで必然性があるし自然だと思う。Pat Metheny(パット・メセニー、g)なんかはそういった「声」の使い方をするよね。あの人はなんの楽器の真似でもない、「それ自体の自然な音色としての声」を上手く使う。
そうでない、何かの模倣や代用としてのボーカルって、やっぱりどこか不自然な気がする。
例えばさ、ピアノトリオの演奏でドラマーの代わりにマイク持った人が出てきて、延々ボイパでブーツクブーツクやってたらどう思う?。
まぁ演奏は成り立つだろうけど・・・・・打楽器のオーケストレーションを担うために生まれてきたドラムセットという楽器にかなうわけはないよね。
そういう事。
逆にね、他の楽器にできてボーカルにできない事ってのもあるよね。
まず逆立ちしても無理なのが「和音を出す事」。モンゴルのホーミーとかって和音出せるんだけ?。まぁあれにしても2声でしょう。ピアノのようなオーケストレーションは単独では絶対に望めない。
出せる音域も限られる。まあこれは他の楽器もそうだけどね。
あと、やっぱり速いパッセージは他の楽器全般に比べると苦手だと思う。そりゃそうだよね。指をパラパラ動かすのと声帯をパラパラ動かすのじゃ、大抵の人は年季が違う(笑)。オペラでは「コロラトゥーラ」っていう、転がるようなとんでもなく速いパッセージを歌う歌唱法があるけどあれも超絶技巧であって、当たり前ではないよね。
また広い音程を飛ぶ事もそうだよね。ピアノで12度上の音に飛べって言われたらそれだけ上の鍵盤叩けばいいけど、声で12度上に一気に行けって言われたら、やっぱちょっと戸惑うでしょ。「ド~レ~ミ~ファ~ソ~ラ~」って指折り数えて歌ってみればわかるけど、それだって正確な音程かどうかは怪しいもんだ。
いや、そりゃ訓練してる歌い手はできるよ。できるけど、他にそれがもっと容易な楽器はたくさんあるって事。
要するにさ、各楽器、各パートごとに得意な事や持ち味があるんだから、それを生かすのが自然だよねって事。
別に感覚的に自由に歌うのはいい事だと思うけど、ボーカルには言葉を大切にする事は忘れて欲しくないな。
まぁそんなとこです。
本日の安眠版は、ワードレスの声の音色をすごく自然に生かしていると思う、Pat Methenyの84年の名盤、「First Circle」。
ではおやすみなさい。
>ヴォカリーゼ
ラヴェルとかにもありましたっけ・・・・・何語かによって綴りが違うので良くわからないんですが、これってクラシックでは母音で歌う事を指すんですよね?。手元の音楽辞典で調べたところ、Vocalise(仏)、vocalization(英)、vokalise(独)、vocalizzo(伊)と綴るそうです。
これってどこの言葉が語源なんですかね?。というより、ヴォカリーゼとして書かれた1番古い曲って誰の曲なんでしょうか。
ジャズでは「ヴォーカライズ」と「ヴォーカリーズ」という言葉があります。
前者はヴォカリーゼと同じ母音歌唱の事で、ヴォカリーゼの英語表記「vocalization→vocalize」でしょう。
後者は、音源としてすでに吹き込まれたインストの演奏(アドリブパートやアンサンブルフレーズも含めて)に歌詞をつけて歌う事で、「vocalese」と綴ります。
これも語源はヴォカリーゼにある事は間違いないですよね。
このヴォーカリーズはジャズボーカルでは高度な技法とされていて、The Manhattan Transferというコーラスグループに同名の「vocalese」というアルバムがあります。ジャズの超有名な演奏に全編歌詞をつけて歌っていて、僕も大好きで一時期狂ったように聴きました。
これを考えると、ジャズもいくらアメリカで生まれたといってもクラシックの影響ってのは色濃いんだなぁって思いますね。
>アジリタのやり方
面白いですねぇ。かなり納得いきましたよ。
力みをなくすために音量や息を抑えて余裕を作ってやる、と。
「ハ」にするというのは、曖昧になりがちな音符には音を立てて、速くても意識して確実にヒットするという事ですね。
スゲェ勉強になるなぁ。
前に進むというのは僕も歌の先生にしばしば言われる事なんですよ。「いつまでも同じ位置にいないで。声は前に出て行くものだから」とかって。
低い音程のフレーズやピアニシモで歌う時に、音量を絞っていても聴き手側に音がぼやけたて聴こえないようにするというのは「それって結構テクニックだよ」なんて言われたりします。
で、「どうやるんですか?」なんて聞くと、「年季が必要だね・・・・・歌う時にいつも声が前に出ていく事をイメージして歌ってないと身につかない。あと口の開く方向も前に向けるように意識しないとね」とかって言われます。
音が高くなるほど線対称の下側を意識するというのもなんとなくわかるかな・・・・・僕は逆に「低い音でもポジションを下げないで、高い声を出す時と同じイメージで歌ってくれないと音が篭っちゃうよ」って言われます。
僕らの場合はハンドマイクの使い方というのも大きなテクニックとしてあるので同次元では語れないですが、naruru21stさんも僕の師匠と結構同じ事を言っているのかなぁと。
クラシックの発声ほど緻密ではないのでしょうが、共通するところはたくさんありそうですね。
いやいや、今回はすごく勉強になりました。また色々と教えてくださいね。
ありがとうございました。
方法ないんですねー(T_T)
再放送の猛チェックに励みます。
>ワードレスであっても必然性
読んでて思い出したのが、
まあ、クラシックの曲なんですけど、
ラフマニノフのヴォカリーゼです。
ご存知だとは思いますが。
よくバイオリンなんかでもやりますけど、
この曲は声に敵わないと思う。
まあ、もともと「ヴォカリーゼ」ですしね^^;
>アジリタのやり方
私が教えて欲しいくらいです(@_@)
まあ、私の練習法としては、
まずはきちんと息を通してゆっくりレガートで一音一音なぞってから、
少しすつ早くしていきます。
音が滑っちゃうところはHを入れて(アをハにして)練習します。
あんまり息が厚いとスピードが出ないので、
私は息を薄く当てるようにします。
あと音量を割とPにするかも。
私は音をかなり体感でとらえるのですが、
常に軟口蓋から前に一本線(A線としましょう)を引いておきます。
アジリタの時もその他の時も
楽譜を一段につなげたもの(これは立てておきます)を、
背中側から前へ、A線を中心に送っていく感じがイメージされます。
楽譜を送ったときに出来る音符の波型が、
A線を中心に上下に線対称を描いて進む感じです。
アジリタの時は音に角を作りがちになるので、
特に気をつけてこの「進む感じ」を意識して、
音が高くなるほど、線対称の下側の波型を意識します。
・・・という感じですが。。。
そして何より「何度も練習する」ことですね。
・・・これがなによりも辛いけど。。。
それにしても。
TAROさんは説明はホント、うまいですよね。
私は今「アジリタの練習法」を書くだけでも、もう大変でした。
ちょっと、尊敬。
>一音出しただけで、他の楽器とはインパクトが全く違う
それはありますよね。
というか、楽器それぞれにその楽器でしか出せない音色があるわけで、その意味では「声でベースをやる」とか「声でドラムをやる」といった模倣ではなく、声そのものの音色を生かした使い方をして欲しいなというのがあります。
そういった使い方であればワードレスであっても必然性はあるということですね。
>アジリタ
イタリア語で「速い」でしたっけ?。コロラトゥーラを売りにするオペラ歌手には必須のテクニックだと聞いています。
僕ね、なんの曲だったか覚えてないんですが、コロラトゥーラの演奏をはじめてビデオで聴いた時に、そのフレーズを譜に起こして真似してみようとしたんですよ。自分の音域に納まっているフレーズなら、まぁ音程の正確さや音量とかは別にしてね、ハミングみたいな感じでもいいから真似してみようと・・・・・。
無理(笑)。
鍵盤で何度も音を確かめて覚えこんでから、メトロノームに合わせて歌ってみたんですが、どうしてもフレーズが追えない・・・・・「ああ、やろうとしても歌えないフレーズってあるんだ!」って、その「無理だった」「できなかった」という事に衝撃を受けましたね。あれってどうやってるんですかね?。「一音一音、次の音を追っていく」という考え方で歌っているうちは無理なんでしょうか(笑)。
オペラの人たちってやっぱスゲェ事やってんだなぁって。
声そのものをコントロールする技術だけに的を絞ってみれば、他のどんなジャンルの歌い手もあの人たちには及ばないでしょう。
これは掛け値なしにそう思いますね。
>モントリオールジャズフェスティバル
はい、僕はこれ見てないんですよ。
DVDなどのメディアで発売されるという話も耳にしないし、再放送を期待するぐらいしか手はなさそうですね。
再放送希望のメールをバンバン出すとか(笑)。
お力になれずにすいません。
Bobby Mcferrinのスキャットについて
書こうと思っていたからなのです。
確かにそこまで、声を楽器にしなくても・・・
と思うこともありますが、
当たり前だけど、音楽って人間が聴いていることが多いわけで、
そうするとやっぱり、声っていうのは
「一音出しただけで、他の楽器とはインパクトが全く違う」
ということもあると思うんです。
たとえソコに言葉の意味がなくても。
でも、私は家族中が俳句をやってることもあって、
言葉の持つ美しさにはけっこう敏感です。
だからこそ、人間の声の持つインパクトに
耐えうる聞いても読んでも美しい歌詞を
求めて求めてやまないのです!!
あと、完璧なコロラトゥーラをやってる人は割合少ないかもしれませんが、
アジリタと呼ばれるモーツァルトやロッシーニの曲によく見られるモノや、
カデンツァ(それこそ声ではコードを出せないので声でアルペッジョでします)では
けっこう誰でも転がるパッセージをするかもしれません。
(この辺の知識ホントかな・・・(-_-;)
↑やってるくせに自信ナシ)
私もまさに今やってる曲もアジリタいっぱいありますね。
もう・・・大変ですよ・・。
で、私が書こうと思っていたBobby Mcferrinの話。
先月TVを見ていたら、モントリオールジャズフェスティバルのBobby Mcferrinのライブがやっていたのですが、
もうもうもうもう素晴らしい!!
私が常々考えて(そして失敗している(-_-;))音楽の伝えたい部分というものを、
そのまんま、もっともっと完璧に現実に
観ることができて、もうもう感動でした。
スキャットも素晴らしかったけど、
一人全役「オズの魔法使い」もさいこー(T_T)
そこで、TAROさんに教えて頂きたいんですが、これはBSHiでの放送だったんですが、
全部見ることができなかったんです(T_T)
どうしてももう一回観たいんです。
どうやったら、ライブ映像を手に入れることが
できるんでしょうか・・・?