Jazzを聴こうぜBLOG版

100の質問配布中。
カテゴリーの「100の質問」からどうぞ。

ながら聴き否定論(笑)

2006-06-05 00:11:40 | 音楽一般
記事を上げるのはずいぶんとひさびさ。
まだまだ身の回りのゴタゴタは落ち着いてないし、ネタのストックもできているとは言い難いんだけど、まあちょっと余裕がでてきたので、書ける時に書いておこうと思う。
今回は「ながら聴き」のお話ね。
ここを読んでくれている皆さんは、音楽を聴きながら何をしていることが多いですか?。ここで配布している100の質問に同じような設問があって、皆さんから頂いた回答を眺めていると「ネット、洗濯、風呂、読書、通勤」なんてところ。
僕の場合はだいたい聴いているだけというのが多いのね。ながら聴きをするとしたら食事か酒を飲むくらいかな。酒もあんまり飲んじゃうとだめだね。
音に集中しようとすると他のことが手につかなくなるし、音楽流しながら他のことをやってて、時折たまんないフレーズが耳に入ってきちゃうと手が止まって聴き入っちゃう。
僕はかなり「ながら聴き否定論者」なんだ(笑)。
でね、その理由っていうか、ながら聴きをしやすい音楽としにくい音楽ってどんなんなのか考えてみたんだ。

まず、僕が「ながら聴き」してて比較的平気な音楽の条件を、思いつくままに並べてみる。
「リズムの変化がない」「変拍子などを使っていない」「テンポがミディアム以下で一定」「Dim9などの不協和なコードがあまりない」「ダイナミクスの振り幅が狭い」「音色が丸い楽器を用いている」「転調が少ない」「リフレインを多用」「フェイドアウトで終わる」「きちんとトニックで終わる」・・・・・こんなとこかな。また、流す音量は耳障りにならないように絞ってあることが望ましいよね。
これがわかってしまえば、ながら聴きが向いてない音楽の条件はその反対をいけばいいんだから、もう簡単だよね。
「リズムが不規則もしくは変拍子だったりする」「テンポの変化が頻繁にある」「複雑なボイシング」「音量の変化が大きい」「尖った音を使う」「コード進行が煩雑でテンションや転調バリバリ」「同じフレーズの繰り返しがあまりない」「曲の終わりが明確」「トニックで終わってくれない」。
細かなところで異論はあるかもしれないけど、だいたいこんなところだと思う。
これ見てどう思う?。
ながら聴きに向いている音楽って「何々をしている」っていうポジティブな要素って少ないと思わない?。むしろ何々を「していない」「少ない」「小さい」といったネガティブなセンテンスばかり。逆にながら聴きしにくい音楽の条件は「何々がなされている」っていうような括りが多いように感じる。この「何々がなされている」っていうのはさ、それはそのまま音楽の面白さなんじゃないかと思うんだよね。
何が言いたいかっていうと、ながら聴きする音楽は「聴き手の感情を大きく動かしちゃいけない」んだってこと。
そりゃそうだよね。聴いててバリバリ感動したり、ノリノリだったり、ウットリしちゃったりしたら、ほかに何かやってられるわけないもんね。

じゃあさ、もうちょっと突っ込んで考えてみようか。
音楽を聴いて、その人が感情を大きく動かされない場合って、原因は何が考えられるかな?。
乱暴に括ってしまえば、それはふたつある。
ひとつは上記で述べたとおり、音楽そのものに感情を動かす要素があまりない・・・・・音楽そのものの質が低い、平たく言うと「面白くない」(笑)。
あともうひとつは、音楽じゃなくて聴き手側の問題。聴き手が「音楽をきちんと受け取っていない」場合ね。これはさらにふたつに分かれて、聴き手に「受け取るだけの能力がない」か、もしくは「受け取る姿勢がない」(陸すっぽ聴いてない)ってこと。
この「受け取る姿勢がない」ってのは、これはちょっと問題じゃないかな。
受け取るだけの能力がない(耳が肥えてない)のは仕方がないよね。もっと知識をつけて、もっと色々な音楽を聴き比べて、より良い耳を鍛えていけばいい。これは僕だってそうだよ。
でもこの後者「受け取る姿勢がない」ってのはさ・・・・・それなら何聴いたっておんなじなんじゃないかな?。いや、そもそも音楽なんて聴く意味ないじゃん。
強引だ暴論だって批判はあるかもしれないけど、あえて書くよ。強引な物言いがこのブログの持ち味だしね(笑)。
やっぱりね、音楽をちゃんと聴いて、聴き取って、感じ取ろうとするんなら、どうしたって「ながら聴き」はできないと思うよ。
もちろん人それぞれ色々な聴き方があっていいし、色々な楽しみ方があっていいんだから、人に聴き方を強制するつもりはサラサラない。その中には「ながら聴き」という聴き方もあり得るんでしょう。
でもね、ながら聴きしてるリスナーってのは、耳が肥えてないかちゃんと聴いてない、そのどっちか。これは間違いないと思うんだ。
もっとちゃんと聴こうぜ。

ウーム、かなり嫌がられる物言いだよね。読んだ人の大半はムッとするでしょう。これで読者が離れていくことも考えられる。
でもいいんだよ。暴論だって思われてもいい。
自分にとって筋が通ってる主張なら、それは遠慮せずにガンガン書いてく。
それがやりたくってブログやってんだから(笑)。
今回は文章自体はかなりまとまってない、拙いものになっちゃったんだけど、まあ久しぶりだしね。
リハビリも兼ねて、こんなもんでいいでしょう。

ではではー。


3 コメント

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確かに・・・ (penkou)
2006-06-21 18:19:03
その通りですね。

言われて改めて考えると、音楽に向かって対峙して聞いていないということでもないことに気がつきました。でも概して聴きながら・・ということなのですね。

確かにちゃんと聞いてみるといろいろなことが聞こえてくる、みえてきます。聴き流していたCDにトライしてみたのです。
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>penkouさん (TARO)
2006-06-18 18:11:54
こんにちは。

だんだん暑くなってきましたね。



ながら聴きですが、聴き方そのものは人それぞれで、それはそれで良いと思うんですね。

どんな聴き方をしても、その人が楽しんでいることが一番なんですから、BGMとして流すような聴き方も、もちろん「あり」です。

ただ、それって能率悪くないですか?。

ブログにしても、聴いている演奏で美味しいフレーズが耳に飛び込んできたりすると「オオッ!」って、手を止めて聴き入っちゃったりしませんか?。また他の作業に没頭してしまうと音楽聴こえなくなっちゃったりしませんか?。



音楽の細かなデティールを聴き取るには、やっぱりながら聴きでは無理だということなんですね。

聴き流しているのではなく、気になるところがあると聴きなおしたりとのことですが、ながら聴きをしていると、その「気になるところ」は一曲において相当な情報量を聴き流しちゃったりしているのではないでしょうか?。

演奏において前面に打ち出されてくる「メロディ」や「フレーズ」、根底に流れている和声の進行などはまだ聴き取れるとしても、単音、出された音そのものの質、音色や音量、コントロールの繊細さといった部分、またリズムの揺れや食い、モタり、溜めといった、微細なタイミングの違いなどですね。そういった音楽の表現の最奥の部分、一番美味しい部分ですね。そういった部分を、ながら聴きだとかなり無駄にしてしまっているのではないかと。



どんな聴き方もありなんですが、音楽の旨味をとことん感じ取ろうとすれば、やっぱり集中して聴くという姿勢は必要になるのではないかと。

僕の身の回りを鑑みても、そういう「ちゃんと聴いてないリスナー」って多いなと。

気になった一曲だけから始めるのでもいいんですよ。

まず全身全霊を傾けて「きちんと向かい合ってみる」ということ、それで確実に音楽観変わると思います。



ではではー。
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TAROさんに叱られる (penkou)
2006-06-17 18:11:55
困った問いかけですね!僕にとっては。

どうも考えても僕は典型的な聴きながら族です。家に帰るとまずTVのスイッチを入れるか,CDをプレイヤーに入れる。何か鳴っていないとどうもいけない、といってちゃんと聴いているのでもなく、必ずしも聞き流しているのでもない。気になるところがあると,CDだと聴きなおしたりします。そして何かやりだして、例えばブログなど書き始めると、音なんか聞こえなくなる、こういうのはどう考えるのでしょうかね。

JAZZ、キースのソロでも、アイレイをグラスに入れてちびちびやりながら聴き始めても、何故か、いつの間にか新聞に目を通したり、写真集を開いたり、どうしたものでしょう!

集中力がないんですよね。ぼくは・・あああ!(苦笑)

TAROさんに叱られそうです。
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