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日本人に本物のジャズはできない?

2006-04-24 23:43:04 | 音楽一般
今週は忙しい。
今のうちに何か書いておかないと、ズルズルと間が空いてしまいそうなので、気合入れて書いてしまいましょう。
「日本人には本物のジャズはできない」っての。
これはBranford Marsalis(ブランフォード・マルサリス、ts,as,ss)だったかな、の言葉なんだけど、これどう思います?。日本人からしてみると、結構カチンと来る言葉だよね。
今回はこれについてね、ちょっと思ったことを書くことにする。

最近はね、音楽はなぜ生まれてきたのか、人はなぜ音楽という行為を行うのかというところに興味が向いていて、そういった趣旨の書籍を中心に読んでた。で、どの書籍を読んでても大抵共通している印象。
「音楽って生活」なんだよね。
どこの国の音楽でも、そこにある人の暮らしが根拠になって、その姿を持つようになるってこと。
例えばよく言われているのは、「騎馬民族には3拍子が多い」とか、対して「農耕民族(特に稲作文化)は2拍子系が多い」、「狩猟民族に合唱という演奏法はあまり見受けられない」、「日本人は内向的で、音楽を表現することに向いていない」、「日本人は骨格からして欧米の言語の発音は無理がある」なんてのね。
ひとつひとつ見てってみようか。

騎馬民族3拍子、農耕民族2拍子ってのは、これはまあ、そのまんまだね。
乗馬のリズムが3拍子に近い、田植えや畑に桑を入れていく動作のリズムがどんな民族でも大抵偶数であること。そしてその作業の現場で歌われる労働歌、それは鼻歌のようにして始まったものかもしれないし、狩猟のときに獲物の位置を知らせる合図だったり、農作業のときの掛け声だったのかもしれない。また、放牧や酪農など、緩やかな時間に身を任せるような生活を送っていく労働の場合は、例えばモンゴルのホーミー、アルプスのヨーデルのような、独特の倍音歌唱やのびやかな裏声を特徴とした歌唱になるのかもしれないよね。
もひとつ労働に深く関わった特徴として「狩猟民族に合唱はあまりない」ってやつ。
これも明確だよね。
規模が大きくて集団で行われる農作業に対して、狩猟ってのは基本的に1人もしくは少人数で獲物をしとめるのが基本。
つまり労働歌として合唱は生まれ得なかった。

日本人は内向的っての。
よく欧米のクラシック音楽の教職についている人たちが「日本人は勤勉で技術はよく鍛錬されているけれど、感情がないような演奏をする」なんて言ってるのを耳にすることがある。また「日本人は感情がないわけではなくて、それを出す術を知らないんだ。だからそれを教えてあげなくてはいけない」なんて話も聞いたことがあるね。
これって表現方法の違いなんだよね。
欧米人って比較的感情や自己主張を前面に出して生活してるよね。ひとつひとつの感情に対して反応が大きくて、僕らから見るとちょっと大袈裟に映るほど豊かなリアクションをする。言語もジェスチャーもね。人の主張を押しのけて自分の主張を押し出す、それが良しとされ、またそうでなくては埋もれてしまうほど個性を重んじる。それが欧米の社会。
対して日本人は、自己主張や感情を出さないことが美徳とされる慣習がある。表現するときは遠慮がちに小出しにする(笑)。「秘めること」で感情を深める、「秘められたものを汲み取って」美しさと感じる審美観。そこに奥ゆかしさだとか、華道や能楽には「秘するが花」なんて思想もあるらしい。「おかげさまで」なんて考え方も、日本の審美観でないと生まれ得ない。
これは日本が島国で、他国の侵略にたやすく晒されることがなかったから、成立した民族性なのかな。
嬉しい、悲しい、楽しい、愛しい・・・・・どんな感情でも、これでもかってほど外面に表現する欧米に対して、「ほのめかす」ことに美を感じる日本。どっちがいいというんでなくね、表現法や審美基準には確実に違いがあるってこと。
欧米の音楽文化の中で、ボサノバだけはかなり日本の「秘める」という審美観に近いところがあるように思う、ってこれは蛇足だな。

骨格や言語の違いね。
例えば日本人にとって言葉は「一音一音の重なったもの」であって、ひとつの音は子音が5種類の明確な母音によって印象付けられる。
つまり「音」は「最終的に母音に解決する」もしくは「母音を聴いて音を判断している」。対して英語は、言葉を単語という「ひとかたまり」として捉えていて、「一音一音に分解する」という考え方はあまりないように感じる。音の母音よりも単語の「イントネーション」に重きが置かれていて、子音が連続して畳み掛けられるようなこともざらにある。母音そのものも5種類にとどまらず、我々からすると曖昧に聴こえる複雑なものが数多くある。また「文字」は少ないけど「音」は日本の50音よりはるかに多いよね。
歌ものの楽譜なんか見るとこれは顕著で、日本の唱歌やポピュラーソングのほとんどすべてが「一音(音符)にひとつの文字が乗っている」のに対して、英語の歌は「一音にひとつの単語が乗っている」傾向が強い。最近の日本語の抑揚を無視した西洋かぶれJ-POPはまたちょっと別かも知れんけどね(笑)。
なんでこれだけ言葉の構造に違いがあるのかってのは、僕の半端な知識では窺い知ることができないんだけど、骨格や声帯の違いってのは、実は言葉や労働の違いから出てきたものなのかもしれないよね。
また、例えば日本語に似て母音が重要視されるフランス語圏の音楽は、そのこもったような発音に類似して、音楽もモヤモヤと霞がかかったような印象のものが多い。ピアニストも煌びやかで絢爛たる音色、音量を駆使することは少なくて、モコモコと曇りのある鬱屈した音を出す人が多い。
音楽って言葉とも密接だよね。
さらに骨格や筋量、体格に影響される部分も大きくて、例えば白人のジャズピアニストが、鍵盤に指を引っ掛けるようにして音を出すことが多いのに、黒人は手首から先を上からバシャンと振り下ろしちゃったりしてる。これはジャズピアニストの映像を見比べてみるとすぐにわかるよ。
民族ごとの身体的特徴よって発声から楽器の弾き方、さらには発生する楽器の形態までも違ってきてしまうわけだ。

長いね。
断っておくけど、上記は学問や統計として系統立てられた記述ではなく、僕が音を聴いて特徴を探ってみた印象に、聞きかじった半端な知識を加味したものにすぎないから、信憑性の面で「?」がつくことが多々ある(ウヒャヒャ)。だからこういったことを深く知りたい人は、自分で本を読んだり映像メディアを買って見比べる、またなによりも音を聴き比べるなどして、勉強してみてください。自分の目と耳で比べてみるのが一番だよ(笑)。
ええと、で、雑駁に例を挙げてきたけど結局何が言いたいかというと、音楽が生まれてくるということは「そこに暮らす人たちの有り様」これは生物学的にも民俗学的にもね、「そこに暮らしている人たちの姿」を不可分なくらい反映してしまうものだということ。
音楽で「何人に何々はできない」っていう言葉が発せられるときに、それは単なる人種的な偏見ということではなくて、結構根深い根拠を持っていたりすることが多いと、僕は感じるんだよ。むしろ、だからこそ各国独自の音楽性なんてもんが、否応なく存在するんだ。
特に島国で、大陸から見ると独自の文化や生活様式を育んできた日本という国に暮らす人種が、欧米の文化を吸収しようとして遅れをとるというのは、冷静に考えてみると当然のことなのかもしれないって、そう思いませんか?。
逆に欧米人に日本の伝統芸能はできないでしょ。そりゃねぇ・・・・・やっぱ無理は無理だよ。お互いに持っている文化的なバックボーンが全然違うんだもん。
「日本人に本物のジャズはできない」って、できなくて当然なんだよ。

たぁだ!、日本人が日本人の文化感なりに解釈したジャズがあっていけない理由はないし、また時代とともに文化や生活様式、また生物学的にも人類ってのはまじわっていくものなわけだから、今後どういった展開や発展があるかというのは、これはわからないよね。
どこの民族でもそれぞれにジャズを吸収消化するだろうし、ジャズの拡散の延長線上に「それぞれの民族なりのジャズ」が発展を続けていくことは誰にも止められない。
それが本物であるないに関わらず、ね。「本物であるかどうか」というのは音楽という「行為そのもの」にとっては、大した問題じゃないのかもしれないよね。
それでいいんじゃないかな。
リスナーとしては耳で選別するだけだかんね。単純な問題さね(笑)。

そんなところです。
ではでは。


5 コメント

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お久しぶりですw (楓子)
2006-05-01 15:10:02
たろさまたしてもお久しぶりです☆こんちわわー^^

今年で無事に大学3年生になった楓子です。

ついに自宅ネット開通しちゃいましたwわーいわーぃ



荒らしのごとく色んなbbsにカキコしまくってます。で、ここもその標的になってしまったと(笑)そして、全くジャズについて触れていない私をお許しください(土下座)



なにやら忙しそうですが、お体には気をつけてくださいねー。健康第一!!で、お暇があったらぜひまた事務所でお話しましょー♪♪♪



ではではーん
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本物のJAZZとは? (penkou)
2006-05-01 16:28:30
TAROさん

「本物のJAZZ」ってなんだろうということにもなるのですが、「日本人に本物のJAZZは出来ない」といわれると辛いですね。どうもそうは思えないのですが。例えば大西純子やNYで受け入れられた秋吉敏子の音楽はは、本物のJAZZではないけど評価された、ということになるのでしょうか。好き嫌いということで考えると、僕は大西純子のJAZZは好きなのですよ。ヴィレッジ・ヴァンガードで何故評価されたか、遠い果ての日本のJAZZピアニストだからとは思えない、やはり良い演奏、いいJAZZだからと言いたいのですが、駄目でしょうか!
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>デコちゃん (TARO)
2006-05-01 18:35:50
や、おひさです。

そうっすかー、大学3年生ですかー・・・・・オヂサンも歳をとるわけだ(トホホ)。



自宅ネット開通で、ネット上身軽にあちこち飛び回れるわけですな。

異文化コミュニケーションの時代ですからね、大いに活用しちゃってください。

荒らしだなんてとんでもないっす。

僕も自分で自分のブログを荒らしまわってるようなものですから(ニャハハ)。



あと2年の学生生活、大事にしてくださいねー。
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>penkouさん (TARO)
2006-05-01 18:38:11
こんにちは。

今日は暑かったですね。

なにか一気に夏が来てしまったような。



ええと、「日本人のジャズは偽物だ」を記事としてぶち上げたときに、penkouさんの言われているような主旨の書き込みがもっとあるかと思っていたのですが、普段の強引な物言いの賜物で、まったくないですね(笑)。



聴き手として「偽物本物」とはなにか、ということですね。

これ、僕にとってすごく面白い話題なので、新たな記事として書いて、レスとさせて頂きますね。

大西順子は僕も好きですよ。

別に彼女の音楽が劣っているということを書いているのではないんです。

それも含めて今日中に記事を上げますんで、御一読くださいませ。
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名前を間違えた (penkou)
2006-05-02 10:08:54
TAROさん

なんとなく変だなあと感じながら見直さず順子をなんと間違って書いてしまいました。恥ずかしきことです。大西順子の音楽が劣っているとTAROさんが考えているとは勿論思っているのではなくて、彼女の音楽をJAZZと言い切れるか、TAROさんはどう考えているのかという好奇心からの投げかけです。

次の論考興味深く拝読しましたが、この連休で考えて見ますね。WOW(これも違っているカナ?)を聴きながら。建築との関連も面白そうなので・・
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