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演奏のスタイルにオリジナリティなんて在り得ない

2004-10-24 01:41:53 | 音楽一般
演奏スタイルのオリジナリティと表現の深さは、必ずしも比例するものではない。
これが今日のテーマ。
日頃からお付き合いいただいてるmed-swingさんの「■■■ jazz地獄 ■■■」というブログで、この「演奏スタイルの独自性」の話が採りあげられていた。
凄く共感するところ、感じるところがあったので、僕の思っている事を書こうと思う。

色々なメディアでも「独自のスタイルを持った」とか「彼にしか出せない音が」とか、その演奏者が持っている演奏法の独自性を賞賛するような論調はあるよね。
僕はこれが鼻につく。
アーティストの側にも「自分のスタイルが見えてきた」とかって事を口にする人いるけれども、そりゃ違うでしょう。
なかなか難しいんだけど、「演奏スタイルのオリジナリティ」って、それ自体必ずしも「良し」とされるものではないと思うのね。
うがった見方だけど、独自のスタイルを打ちたてようと思えば、奇を衒った演奏をすればレベルの高低は別問題として誰だって出来ちゃうのさ。
「何のために演奏するのか」っていう基本的な動機づけの部分に立ち返ってみればそれは明白。
演奏って「その曲が持っているモチーフを表現するため」になされるものであって、スタイルも含めた「どう演奏するべきか」ってのは「モチーフを表現するためには何が必要か」で、概ね決まってくる。
「まず表現したいモチーフありき」であって「まずスタイルありき」では絶対にないんだよ。

例えばThelonious Monk(セロニアス・モンク、p)、手数が少なくてタイミングも独特。極めて独自のスタイルを持ったピアニストで、ジャズの歴史ではある意味の異端だよね。
Monkの事を「ヘタウマ」と言う人をたまに見かけるけども、この人の初期の演奏を聴くとOscar Peterson(オスカー・ピーターソン、p)ばりのテクニックで驚くそうだ。
当のOscar Petersonが「Monkは自分の音楽を表現するための必要にして十分なテクニックを持っている」って発言したのは有名な話だよね。
Monkの場合この人の作る曲をみれば一目瞭然、この曲のベストな表現を目指せばMonkのようなピアノスタイルになるのは至極自然であって、ね。
Monkのオリジナリティは演奏のスタイルにあるのではなくて「曲の発想」や「曲想の捉え方」にある。それが結果としてMonkのワン&オンリーのスタイルにつながっているというだけの話。
この辺はMal Waldron(マル・ウォルドロン、p)なんかもそうでしょ。

「スタイルのオリジナリティ」ってあるようでいて存在しない、霞のようなものだと思う。
「曲の解釈」や「作曲における独創性」にこそオリジナリティがあって、スタイルはその結果に過ぎない。
それが本質だよね。
僕が思っている結論を言ってしまえば、どんな楽器であれ歌であれ「確立されたオーソドックスな演奏法」を用いるスタイルが一番表現できる事が多いし、表現自体も深い。
これは多分間違いないと思うのね。
クラシックだと、新人がコンクールで凄く独自のスタイルで演奏したらそれは絶対に叩かれる。基本的にモチーフが確立された楽曲を忠実に演奏する事が美徳とされるジャンルだからね。
その新人がずば抜けたテクニックを持っていれば「斬新な解釈だ」なんて話にもなるだろうけど、「良し」とはされない。そこには必ず限界があるから。
独自の解釈をする事がいけないって言ってるんじゃないよ。「歴史を経て確立されてきた表現方法を無視してなされた表現(演奏)には限界がある」って言ってるのね。
ジャズだってそうでしょう。
Milesが延々と新しい音楽を模索し続けたのだって、スタイルを模索したのではなくて「より良い表現を模索した」んだよね。それは以前の音楽を「捨てた」のではなくて「踏まえた」んだ。
決して「1から新しい音楽を作り直した」んではないんだよ。
その音楽の歴史が長ければ長いほど表現する方法(演奏法)に関しては煮詰められてきているのは当たり前で、「オーソドックスな演奏法」というのはその上に確立してきたものなわけだ。
ただ「無意味な決まり事」として闇雲にあるものでは決してないんだよね。
演奏のオリジナリティってのはそれを踏まえた上で、さらにその先にあるべきものなんじゃないかと思う(その音楽の創成期の先駆者は別として、ね)。
この辺を認識してれば「独自のスタイルが重要」なんて言葉は演奏者側も評論家側も簡単に口にできるものではないと思うんだけどな・・・・・。

ううむ、触発されて書き始めたのはいいんだけど、小手先でパラパラ書いてきて上手くまとめられませんでした。
寝る。
本日の安眠盤、Curtis Fuller(カーティス・フラー、tb)の「Blues Ette」
ではでは。