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完全なる創造なんて在り得ない?①

2006-01-19 18:24:57 | 音楽一般
「私は『芸術』を信奉しない男だ。その意味で私はアーティストではない。私は私が生まれる前に存在した音楽はある程度信ずる。その意味でたぶん私自身はミュージシャンとはいえない。私は人生を信じない。しかし、この問題を本当に深く考えた人なら同じ結論に達するであろう。私は自分で創造できる男だとは思わない。しかし、創造への道は目指しているつもりである。私は創造の神を信ずる。事実このアルバムは、私という媒体を通じて、創造の神から届けられたものである。なし得る限り純粋度を保ったつもりである。 こうした作業をした私は何と呼ばれるべきであろうか。創造の神が何と呼んだか、私はおぼえていないのである」

ドアタマから長い引用になったね。
これ、以前にもどっかで使ったかな・・・・・Keith Jarrett(キース・ジャレット、p)の「Solo Concerts」のライナーに載ってる、Keith当人の弁ね。
わかるこれ?・・・・・難解だよね。今回はこの弁について、僕の感じる所を書こうと思う。

「Solo Concerts」、これはKeithの一連のピアノソロコンサートの最初のアルバムね。既製の曲を題材とするのではなくて、その日その場に於いて興の赴くままにピアノを弾くという「完全な即興」というのが、この活動のコンセプトらしい。
上記の引用を読むと、その意味がよくわかるよね。
「創造の神から届けられた」「なしうる限りの純粋度を保った」、つまり過去において存在したあらゆる音楽や事象の影響を排して、今までに創造されたことのない音楽を演ろうという試み。
言ってみれば「完全なるオリジナル」もしくは「完全なる創造」ってことかな。
Keithのソロコンサートのシリーズを1作でも聴いたことある人、どう思いますか?。彼のピアノソロは「何者にも影響を受けていない純粋な創造」を成し遂げていると思いますか?。
僕は・・・・・僕はねぇ・・・・・やっぱ無理だよねぇって、思う。
聴いた人はわかると思うんだけど、確かにあの音楽はジャズ臭が希薄で、ジャズピアノとしては飛びぬけてオリジナルな音楽だよね。だけど、その分フォークやカントリー、ゴスペルやクラシックなんかの、彼が接してきた音楽の影響が抑えようもなく見え隠れしてしまっている。聴いてて「お、カントリーっぽいねぇ」とかって瞬間が頻々とある。
やっぱあの音楽は「創造の神」から届けられたのではなくて、Keithのそれまでの音楽的背景や経験、そして「作意」から生まれてきたものだよね。

この「完全なる創造」って考え方は面白いよね。
あるアーティストが自身のオリジナルとして曲を作るとするよね。で、まぁそれ自体はいいんだけど、その曲は本当にその人自身のみから生み出されたものかっていうと、そんなことはほぼありえない。
だってさ、作曲をした時点で、それに用いられた楽典、原理っていうのは大抵クラシック音楽のものなわけだし、その人が生まれてから通ってきた事柄、郷土や風土の文化的背景や出合った他者との交感、湯水のように聴いてきた音楽から背景にある人生経験まで、そういったものの影響と示唆の上に成り立っているものなわけだし・・・・・逆にそういった背景を排除して、まったくの個人、まったくの「個」の主体のみで何かを生み出すなんてことは、実はありえないんだよ。
わかるかな・・・・・これは例えばリスナー側から見ても事情は同じ。
このアーティストが好ましい、もしくはこの曲が好ましいでもいいや、そうやって自身の嗜好で音楽を聴くじゃない。
じゃあそれは、本当にあなたのみの主体によって選択されたものなの?、何の影響も受けずにあなただけでその音楽を聴きたいと思ったの?、って問われたときに、YESと答えられる人はいないんじゃないかな。
もしこれにYESと答えられる人はあまりに知性がない(笑)。
わかるかな、人間ってさ、生まれてすぐに親の加護と影響を受ける。そして様々な事柄や他者と出会って、常に影響を受けながら自身の主体を形成する。音楽や映像、文章だったり景色だったり、他者の思想だったり、生まれた国や育った国の風習や文化、ものの考え方、そういったものに常に晒されながら、人間は人間になるわけだ。
それを考えるとさ、「俺は俺の考えで」とか「俺にしかない云々」なんて、チャンチャラ可笑しいと思わない?。
音楽でもそう。
「俺のオリジナルだ」なんて・・・・・お前さ、本当にそれがお前のオリジナルだと思ってるの?。そもそもお前自身が他者の影響の上に成り立ってるんだぜ。お前がお前のみの考えや動機によって行動したり、お前のみの主体で何かを生み出したりなんて、そんなんあるわけないんだよって・・・・・僕はそんな風に思うのね。
これはもうさ、人間って生き物の特質っていうか・・・・・人間ってのは「他者との関係性においてしか主体を築けない生き物」なの。もうね、人間が進化の過程で「知性」とか「理性」、さらには「社会性」なんてもんを獲得してしまった時点で、もう「完全なる創造」なんてもんはハナから在り得ないんだよ。

引用を読んでもわかるとおり、Keithってのは知的な人だよね。
「創造の神」がホントはいないんだってこと、そして人間の行動ってのは、実は「個人では在り得ない」ものなんだってことがわかってるんだよ。だから「私は私が生まれる前に存在した音楽はある程度信ずる」とか「私は人生を信じない」、「私は自分で創造できる男だとは思わない」なんて言ってる。
それでも「創造への道は目指しているつもりである」なんて・・・・・矛盾してるよね。そうせざるを得ないのが、音楽家が音楽家たる業の部分ってことなんでしょうか?(笑)。
音楽においてもし本当に「完全なる創造」をしようと思ったら、偶然性によって音を選択していくしかないでしょう。なんかそんな曲あったよね。サイコロ振って音符とその長さを決めてったとかってヤツ。
現代音楽にも「偶然性の音楽」とか、コンピューターによってある一定の確率を置いて、ランダムに音を選択させて作曲されるような音楽・・・・・まあそれでも人為的な機器や楽理を用いてる時点で、本当に「完全なる創造」とは言えないと思うけど(笑)。
そういった試みが秩序だった音楽になるかというとかなり難しい。少なくとも僕の知識の範囲にはそんな音楽は存在しない。

で、じゃあ音楽家は音楽を創造する作業において、どこにアイデンティティを求めていくべきか・・・・・って話をしようと思ったんだけど、長いね。
続きは次回。
あまりお待たせせずに書けると思います。

ではまた。


3 コメント

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インプロビゼーションから・・・ (penkou)
2006-01-21 17:16:39
思わずTAROさんに一言伝えたくなってしまいました。

と言うのは箱入りの3枚のBREMEN LSUSANNEのソロコンサートのレコードを持っていて、嘗て擦り切れるほど聴いた記憶があるからです。



ECM RECODS1973と書いてあるので33年前と言うことになるのでしょうか。聴いてみようと取り出してみたのですが、部屋を改装したときにプレイヤーとアンプなどが接続していなくてすぐにとは行きませんので、残念ながら聴きなおししていません。



ライナーを読むと確かにそう書かれているし、イルハン・マイマログりーという人の評では、失ったクラシックのインプロビゼーションを復活させるために現れたミュージシャンだとチョット大げさに言っていますね。



それらをTARO流に取り出しTAROさんの投げかける問題意識はとても興味深いものがあります。と言うのはこの問題は音楽の世界だけでなく、僕の関わっている建築の世界、つまり`ものづくり`の根幹に関わる課題でもあるからです。



まあ言われるように人間は、人だけでなく社会や環境とのかかわりの中でしか生きていけないので、キースのように明快に言われてしまうとハテサテ?と言うことになってしまいますが、それでも彼がそう言ったことは大変なことだと思います。

それはそう言った人間の創った(この字でいいのか)音楽が決して己を奢っていないからです。どうもそう思うのですがいかがなものでしょうか。



それから天才ってのがありますよね。それはどう考えればいいのでしょうか。



問題意識が違っていたらごめんなさい。
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>penkouさん (TARO)
2006-01-21 20:56:29
こんにちは、外は大雪で寒くてしょうがないこんな日にも、僕らはジャズについてあーでもないこーでもないと語り合ってるんですね(笑)。

いやー、ジャズっていいですねぇ。熱い音楽だなぁ(笑)。

しっかし・・・・・penkouさんのこの書き込みのテーマは難しいですよぉ(笑)。結構シビアな問いですね。

簡単に語れる内容ではないので、ながーいレスになります。





>そう言った人間の創った(この字でいいのか)音楽が決して己を奢っていない



仰るとおりだと思います。

「完全な創造」がありえないとしても、「それをなそうとする試み」、表現者それぞれの創作意欲に価値がないとか意味がないということを主張するつもりは、まったくもってありません。

むしろ、アイデンティティを追及する故に表現者は表現者、人間は人間であるわけで・・・・・表現者、そして人間ってのは因果な性分の生き物ですね(笑)。

上記の記事は、別にKeith自身や彼の音楽を否定したり批判する旨のものではないんです。

そうでなく、創造するっていう行為はそれだけ困難な試みで、そういうことを考えずに「俺は創造した」って考えてる表現者たちに対するアンチテーゼというか、そういう趣旨で書いた文章なんですね。

さらに、そういう困難な試み、もうこれは不可能とさえ思える試みに取り組むに当たって、では表現者はどこに(どうやって)アイデンティティを求めていけばいいか、確立していけばいいかということを書くつもりだったのですが、文章が長くなったので次回に譲りました。

ここでそれを書いてしまうと次回の記事のネタがなくなってしまうので、もうちょっとだけ待ってください(笑)。





>天才ってのがありますよね。それはどう考えればいいのでしょうか。



うーん、「天才」という単語のみで漠然と問われると、ちょっと難しいですが・・・・・僕が感じるのは「天才は絶対的な『個』において成立するものか?」という問いです。この答えはやはり「否」だと思います。

確かにズバ抜けた吸収力や発想力をもった人間というのは存在しますし、あらゆる創造の歴史においてそういう人が重要な役割を果たしてきたことは否定しません。ですが、それと「完全なる創造が可能である」ということはイコールではないと思うんですね。

例えば「ピアノの天才」がいるとして、そういう人は他の凡百の人間よりはるかに短い労力と時間でピアノの技術を習得します。しかしそれは「完全なる創造」とはあまり関係はありません。

また、人とは違う発想で常に他の追随を許さない人がいたとします。ではその人が何かを「発想」するのに、バックボーンや発想の基盤になる概念(文化)、さらには他者との交感といったものは、まったく必要がないものでしょうか?。

どんな天才でも、背景や関係性を否定した「完全なる創造」は、やはりなしえないと、僕は考えます。そもそも「天才」という概念自体が「関係性の上に成立するもの」だと思いませんか?。



ちょっとわかりづらいですね・・・・・ええと、それじゃあこうしましょう。

僕らが大好きなジャズにおいて「天才」って誰でしょうか・・・・・って、まぁそういう実例に関して考える方が、この問題はわかりやすいと思います。



Charie Parker・・・・・確かにバップの確立において重要な位置にいた人ですが、バップは彼個人に降って湧いたものではなく、同時期の様々なミュージシャンたちとの試行錯誤においてできあがってきたものです。彼は実地の演奏でそれを表現するだけの吸収力と技術力がありましたが、バップそのものは彼個人の「完全なる創造」ではありません。そもそも「ジャズ」がなければ「バップ」も「パーカーフレーズ」も存在しなかった。



Jaco Pastorious・・・・・確かにそれまでになかったベース奏法を考案しましたが、では「それまでのベース奏法」が存在しなかったとしても、彼はあの発想、創造を成し得たでしょうか。彼はベース奏法の先達に何も学ばなかったのでしょうか。さらに生まれてから出会ってきた同時期の音楽家たちや、家族などのその他諸々の人々から、まったく何にも示唆を受けることはなかったのでしょうか。



Miles Davis・・・・・おっとぉ!、次回の記事でMilesのことを書こうと思ってたんだった。

危ない危ない(笑)。



そもそもジャズという音楽が、クラシックの発展拡散の末端に生まれたものであって、クラシックの膨大なノウハウの蓄積なくしては存在しなかったわけです。

これはどんな文化でも同じだと思うのですが、ひとつの文化が「文化として確立する」ということは、やはり個人の力でなされるものでなく、膨大な時間経過における取り組みの積み重ねの末に、文化は文化たる「普遍性」を獲得するものだと思うんですね。

これは音楽でなくとも同じです。

「完全なる創造」が、もし在り得るとしても、それは個人の閃きや資質においてなされるものではなく、主体(試行錯誤、研鑽、検証、推敲など)の限りない積み重ねにおいてなされるものだと、僕は思います。

それに必要な時間の経過というものは、個人で担うことはおそらく不可能だと思います。人間の寿命って短いですから(笑)。



個人で不可能なことを、「歴史」は成し得ます。そして、その歴史において成されてきた成果や普遍性の上に、僕らの感性や発想、行動があります。

その意味で、決して「完全なアイデンティティ」というものは存在しないと思うのですが、どうでしょうか?。



>問題意識が違っていたらごめんなさい。



いえ、全然間違ってません。それどころか、短い文章なのに非常ーーーに的を得た書き込みだと思いました。

あまりに的を得ていて面食らったほどです。

僕は結構自己満足で文章を書いてしまう傾向があるので、文章の趣旨をきちんと理解していただけて、そのうえでとても鋭い意見をもらったというのは、すごく嬉しかったです。

文章を書く甲斐があります。

ブロガー冥利に尽きます。



しかし・・・・・次回書こうと思ってたことを半分くらい書いちゃってるかな(笑)。

まぁ近いうちにこの件の結論めいたものを書きますんで、もうちょっとだけ待ってくださいね。



ではでは。
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ドウカン! (penkou)
2006-01-21 21:04:48
基本的に全く同感です。(同感とはなんか古い言葉だな)。ウイー、いい気持ちなので。次回を楽しみにしてます。その後ででも天才論をもう少しお聞きしてみたいものです。
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