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芸術とは秩序である・・・・・なんちゃって

2004-09-25 00:12:12 | 音楽一般
このところGlenn Gould(グレン・グールド、p)の事を興味を持って勉強してた。
カナダ生まれのクラシックのピアニストで、Keith Jarrett(キース・ジャレット、p)のように唸りながら弾いたりとか、まぁ他にも色々、真夏でも長袖、コートを着込んで出歩いたりとか、変人で通っていた人なのね。
それまでは名前を知っている程度だったんだけど、知り合いからCDを聴かされて「なんて繊細なピアノだろ」って思って、ちょっと勉強したくなった。

色々調べたり読んだりしてて、この人の発言の中に「detachment」という一言があったのが目に止まった。
自分のピアノはこの「detachment」だって言うのね。
detachment = 分離、超越、公平、なんて意味。
これ聴いて、僕はちょっと嬉しくなった。

クラシックの曲を解する時の作業って、他のジャンルの演奏者から考えると想像を絶するものがある。
まず楽譜を読んで、そこに隠されている仕掛けやそれによる効果を検証する事から始まって、その曲のモチーフになった原体験(風景だったり事象だったり)を追体験する事、さらにはその曲が書かれた当時の作曲者の境遇だったり心情だったりを理解して、曲に込められた感情を知ろうとする作業まで・・・・・。
演奏者各々の解釈はあるけれど、それは膨大な量の検証と推考の上に成り立っていて、決して自分の感情や情緒のみを演奏しているんではないのね。
だから、近年になってその作曲家に関する新たな発見や発掘があると曲の解釈自体が変わったりする。
奥深いよね。

で、この「検証」の方法として、Glenn Gouldの言う「detachment」があるということなんでしょう。
曲に込められた感情(作曲者の感情)を知って、それに基づいて演奏(出力)する事と、自分の感情を曲に込められたそれと一致させて感情的に演奏する事とは、同じ演奏でも根本的に違う。
他人(ここでは作曲者)と感情を同じくする、もしくは重ね合わせる事っていうのは絶対に不可能な事なんだよね。だって違う人間なんだから。
だからそこに検証と推考という手順が入ってきて、曲を音として出力する為に必要な演奏の方法を作り上げていくわけだ。
これはかなり順序だてられた作業だろうし、ある意味事務的な側面も強いと思う。
似たような事を以前、歌うという事の客観性、とかっていうタイトルで書いたっけ・・・・・。
主観的な推考(演奏)と客観的な推考(演奏)のどちらが正しいかは僕にはわからないけれど、演奏という行為には検証をするという客観的な(冷めた)視点は必ず必要だという事。

ジャズだとこの「冷めた視点」を持っている人が比較的少ないように感じますね。
もともと黒人社会の恨み節であるブルースや霊歌といった、情念ドロドロの世界から生まれてきた音楽というのはあるだろうし、アドリブ一発勝負のバップだって冷静な冷めた視点というのとは程遠いよね。
でもいるんですね、とびきり冷めた人。
Paul Bley(ポール・ブレイ、p)。
この人は冷めてるよ。
スゴーク繊細で透明感のあるピアノを弾くんだけど、感情にのめりこんでセンチメンタルになる事が一切なくて、透徹した冷たさがある。
だけど鉄面皮ではなくて、タッチの一粒一粒に香りたつような色気があるんだよね。
この人の音楽を聴いてると時間が凍りついたような気がするね。
スゲェ好きです。

いや、そんなことを言いたいんじゃないや。
この「検証と推考」って方法論だよね。スッゴク考えて計算し尽くされたとびっきりの方法論。もっと根本的な事を言ってしまえば、楽典や楽器の演奏法だって定められた方法論なんだ。
前にも書いたけど、音楽は情緒を表現する為の「方法」だよね。
「方法」って決して自由なものでなくて、きちんと順序だてられた理論だったり様式だったり、要するに「秩序」なんだ。
音楽は決して自由ではなくて、定まった秩序の上に成り立ってるものだって事。
音楽が近現代になればなるほど、この「秩序」が軽んじられる傾向が出てきてるよね。
ジャズで言えばフリージャズ。
リズムもテンポも調性も、さらにはどうかしたら平均律すら否定して音を出そうって言う・・・・・でもねぇ・・・・無秩序な音の羅列なら自然界にいくらでも転がっているし、人の手による無秩序な音よりも自然界のそれの方が情緒的には優れていたりする。
風の音、雨の音、波の音、鳥の声、街の生活音などなど・・・・ね。
秩序や様式を否定したところに音楽は成立しない。僕はそう思う。
それが秩序や様式の行き着く果てに導き出された無秩序であろうと、それは演奏の局部的なコンセプトとしてはありえるかもしれないけれど、まったくの無秩序は、それはもう音楽じゃないよね。

そんな事を職場から帰ってくる道すがら、とりとめもなく考えていたのでありました。
因みにこの「秩序や様式を否定したところに音楽は成立しない」の「音楽」を「芸術」に置き換えてもスジが通るんじゃないかな・・・・・。

本日の安眠盤、Paul Bleyの「Caravan Suite」
ではでは。

1 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-05-17 15:15:15
detachmentが、なんで公平の意味になるかわからなくて、ここのページに辿り着きました。そんな素晴らしい意味があったのですね、おかげで納得しました!感謝の気持ちを込めて、コメントさせていただきました。
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