緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

「哲学する」やり方の一つには

2023-10-09 | スピ的視点
  人生の中の事を出来事や精神面や細かくテーマやカテゴリー別に哲学していくという話を続けています。

その中で、哲学には正しいとかの答えというのは無いという事。
学問にも答えが無いと言います。
そんなもんだと。
「哲学」ではなく、「哲学する」「哲学していく」です。
そしてあらゆるバランスを取っていく、それが人生。
答えは様々で良い、そのやり方方法が色々で良い。
哲学も様々で良いんだと思っていて、
自分の人生哲学で良いと。
そうであるなら人の哲学も肯定できるかですよね (^.^)

その「哲学する」っていう事をしながら自分と他人の輪郭部分を知って、自分を知るってことが目的の一つでもある。
先ずそうしないと「俯瞰」できませんし、客観的分析は難しくなります。
でも最初からはそんなの無理なので、それを脳裏にしっかり置いておくことです。
そんなもんだなと(^.^)
それが素直っていう事なのかなって思うからです。

なので、私も必ず「違うかも知れない」「間違っているかも知れない」「受け入れてみたら良いかも知れない」……と、先ずは素直に捉える事を大切に思っている。
これは肯定感低い自信が無いところから始まった私だから良かったかなと。

そして俯瞰し、客観的分析には世界観を広げたり、深掘ってみる事をしてみる。
そうなると「そもそもって……。」という「そもそも論」へ意識をシフトしてみる事をします。
それは答えは一つでもないし、決めつけられる事や断言される事が嫌いだったそういう私だったから良かったなと。断言されると反論したくなるから自ら深掘って行かないと適わないからです (^^;)

なんせ、直感的人間なんで、まず感覚で捉えるけど、自分の事も相手の事も物事もその後に分析したくなるのは結果良かったかなと。
出来事でも直感で捉えて、後で「ん?」って事になる場合も最初の内は直感で受け取ってて勝手に怒ってた場合もあったな。

たまに裏目に出るときは、
先にうじうじ考えるところに、その「分析」とか「そもそも」のエネルギーを使う事があって進むスピードが遅れる時も有りますが、それも必要な時だと理解しながら進めます。

そもそも論を無視していると、上辺だけの表面的なところの論争となりそうだからです。
論争だけでなく、無駄なエネルギーの消費となるからでもある。
論争というのも論破したいわけではないですよ (^.^)

そうしながら表面的や抽象的や感覚的と……その対照的な中心的や具体的な事もある意味バランスを取る哲学としては、広がりと中心の奥を哲学しているんだろうと !(^^)!

直感的、抽象的人間でも自分の中心の哲学は必要ですね。
そうじゃなきゃ人間関係も苦労しちゃいます。
あぁ~そういえば絵を描くのも抽象画が多いな (^.^)
その抽象画の中にはしっかり考えや思いをカタチにして哲学を込めているという !(^^)!
そもそも芸術ってそういうものよね、何でもオーケー、自己表現だから (^^;)




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 哲学する課題。 | トップ | 哲学するってなに? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿