昨日はデジタル化やAIに進化した繋がり、システムや仕組みがどこか見えない途中で故障や異常が起きた時に全部に影響しますねという話でした。
AIのシステムにもドミノ倒しの時に使うストッパーをどこかに仕掛けておかないといけませんね (^^;)
それでも影響は多大なもんだと思いますけど。
人間の手を必要とした時にその人手を断ち切っていたら人の手も集まらず足りませんからね (>_<)
そんな私のデジタルの反対が前にも話しましたが、メモするという事です !(^^)!
スマホのカレンダーのスケジュールデジタルメモにも色々入れていますが、
保存しておくものが多く入れてあります。
近々に必要なものがすぐに忘れてしまうし、
スマホなどを見るのを忘れてしまうので、
目に見えるテーブルにメモしておくようにしたんです (^^;)
お陰で段々見る癖が習慣化してきました (^^;)
よく若年性アルツハイマーの人とかがどんどん記憶をなくしていくという症状になって行って、そこら中にメモを貼る事をしているドラマを見ます (^^;)
そこまで記憶をなくすことは無いし、記憶を消したい意識もないのできっと大丈夫だと思っていますが!!
メモを書いたり、貼ったりする事でも意識は広がります。
デジタルに頼りすぎるのも行き過ぎは駄目で、思考を頭に溜めているのも駄目で、それが勝手に絡むようになるのも大変で、
やっぱり何でも自分から出して行っておくことも大事だなと。
たまたま私はずっと何でも自分が全部把握していないと気が済まない資質を持っていて、それに命一杯キャパ超えしてたんだと思います。
頭の中だけで処理もするし、記憶力も使い過ぎてたんだと。
勉強の記憶力ではなく、自分の勝手な好きな記憶です。
真面目過ぎる性格がそうさせていたりする事、
心配性がそうさせてしまう事、
責任感がそうさせる事、
こんな事でもキャパ超えだったんだと思う。
これで全てがスッキリしたということは無いんでしょうが
何だか分かった気がするんです。
自己分析の一つです (^.^)
ある意味高齢になっていくに従い脳の使い方は変えて行かないといけないし、変わって行かないとどこかでキャパ超えるんです。
それに気づかず、人それぞれだというのに頑張り過ぎない方がいいのかと思うんですよね (^^;)
それが、「つい……」ってなっちゃうのは見えない自分の中の意識だったりするんでしょう。
そのキャパ超えも肉体のいろいろな症状に出ちゃったりするんだと!!
昨日のシステムや仕組みの話をしていましたが、
自分の身体や思考の仕組みやシステムって、最初はもちろん物体が与えられたもんだけど、
後々仕組みやシステムを作っていくのは自分です。
それが絡んで複雑化して、勝手に任せすぎて、依存して、
どこがどう絡んで故障や異常を起こしているのか分からなくなってしまっているんだと。
そして分かろうとしない、自分がシステムをコントロールしようとしてなければ、他に任せようとすらしてしまっている。
たとえ見えるように気づくように忘れないようにのメモを置いておくことでも、それを見る習慣がつくと安心感も出来るし、任せようと思えるし、ちょっとらくになるんだなと。
自分に命一杯というのが楽になる。
キャパ超えてそれを解消するとまた余裕も出てくると思う
たとえ人間の器が多くなったとしても、その中のシステムが複雑すぎると大変だもんね。
キャパ超えに気づくのも大変だ!!
システム異常が肉体の症状なんてものに出ているとしたらどうにかシンプルにしてやる方が良いのと、自分の資質を分かってやることが一番なのかも知れませんね (^.^)
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