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寮管理人の呟き

岡山市中区東山1丁目3・玉井宮東照宮(中編)

石段を上り切ると短い石柱(記念碑)があり、そのわきに説明板が設置されていた。碑は参道入口にあった旧玉井宮鳥居の柱の一部で岡山空襲の被害を記してこの場所に移され戦争遺跡として保存されている。

旧玉井宮鳥居に関する説明

岡山市の事例は大いに参考にすべきだと私は考える。福山市内の戦争遺跡に関する説明板の少なさはある意味異常である。バラの花も結構だが、市民の歴史教育のためにもっと銭をかけてもらいたいものだ。二の鳥居のそばで玉井宮東照宮縁起に目を通す。

石鳥居"

玉井宮東照宮縁起


 玉井宮東照宮は、岡山藩主池田光政が、徳川家康を祭神とする東照宮を勧請して建てた建物で、正保元年(1644)に落成し、同2年2月17日に遷宮が行なわれた。
 玉井宮は、もともと旧児島郡小串村光明崎(現岡山市南区小串字米崎)にあった社を、応徳2年(1085)にこの地に移転遷座して玉井宮を称していたが、同地に東照宮を勧請したため、社地の南に移されていた。
 明治14年(1881)に、玉井宮と東照宮は合祀され、玉井宮は再び旧地に戻ることとなった。以後、玉井宮東照宮と称している。

随神門

随神門の先には天満宮と坂中荒神社(玉井宮より歴史は古い)が祀られていた。玉井宮(旧東照宮)本殿は更に高い所にあった。

参道

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