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寮管理人の呟き

愛媛県今治市高地町2丁目の新堂地墓地

JR予讃線の高架は平成4年(1992)3月末に完成している。私が「新浅川橋」から見たのは1両編成の電車だった。高架の下を通って宮下町に入る。

老人ホーム

支所

「特別養護老人ホームすずらん」から「今治第一病院」を経て「今治拘置支所」の前に出た。道がごちゃごちゃして分かりにくいが、高架を目印にして北西方向に進むことにした。

電柱

電柱2

マンホールの蓋

「日新第三マンション」近く(南)の電柱のプレートには太字で「夏目」と記されていた。周辺の古い地名と思われる。汚水管マンホール蓋のデザインは伊予水軍である。暫く歩いて新堂地墓地(高地町2丁目1845‐2の北側辺り)に到着した。

田

墓地

墓地2

私は墓参りに来た婆さんに「昔、墓地のそばに火葬場があったことをご存知ですか?」と尋ねてみた。70過ぎと思しき彼女は何も知らなかった。ただ目を丸くして「初めて聞く話です」と言った。

『今治市誌(昭和18年)』
第二編
第九章 衛生
第三節 火葬場
一、火葬場の沿革
(前略)大正九年九月有志數名の組合立を以て大字日吉字新堂地の地に「靈照館」を設置し、爾来昭和三年八月市營火葬場設置迄は殆ど全火葬を引受けたが、別項市營火葬場開設以來は年々少數の火葬をなしつゝあるに過ぎぬ。
二、市營火葬場
 今治市に於ては衛生上必須施設として、最新式無煙無臭の火葬場設置の必要を認め、既に大正十四年度に於て、二萬六千九百圓の建設豫算を置いたが、位置選定に關し、故障起り、大正十四年・同十五年度共建設に至らず、昭和二年十二月に至り始めて大字日吉字イタチカドの地として、市會の議決を經、直に建設に着手し、昭和三年五月末を以て火葬爐の据付及附属設備の竣工を告げた。該爐は東京昭和企業株式會社の昭和式重油燃焼無煙無臭爐で、特等、一等、並等、小兒用各一基を有し、昭和九年九月使用を開始して今日に及び、右の他大谷墓地の一部に火葬場附属の斎場を設備し、更に管理人事務室及宿舎を附設して取扱の完璧を期して居る。建設總經費は二萬七千二百三十八圓六十二錢で設備内容は左の通である。
 尚無煙無臭の完備せる装置なるを以て、昭和三年十二月以來、晝間火葬作業を許可せられ、一火葬時間二時間 小人は一時間半 なるを以て、私營火葬場時代に比し能率大に擧がり、火葬操作の面目を一新した。

山

後になってすこぶる愚問だった(火葬場が役目を終えようとしていた時にまだ彼女は誕生していない)と反省した次第である。『今治市街全圖 / 阿部利三郎(大正12年)』を参考にすると火葬場「靈照館」は墓地の上の方にあったと思われる。石組の上に建つ小屋付近が該当するのかもしれない。

山2
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