見出し画像

寮管理人の呟き

呉市吉浦遊廓跡の変貌(その2)

通りを更に東へ進むと吉浦第一公園に至る。吉浦新町に入る前に商店街より少し離れた町で私はもう1人から聞き取りを行っていた。65歳の男性による遊廓街の思い出話はすこぶる興味深いものであった。

吉浦第一公園

「吉浦の遊廓はM旅館より西にあったよ。今の公園の向かいに大きな妓楼が建っとったな、3階建て、いや4階建てだったかもしれん。ダンスホールを併設しておって、よう目立っとったわ」

吉浦第一公園内から巨大な妓楼が建っていた場所を望む

私は滑り台の傍に立ち跡地(住宅と住宅の間は空き地になっていた)をぼんやりと眺めて想像を膨らませた。

「西遊廓の貸座敷にダンス・ホールができたのは、昭和四、五年か、あるいは、七、八年ごろのことである。上等筋や中筋の家では、われもわれもと家の一部を改装し、ダンス・ホールをこしらえた。これは東京、大阪での流行が、広島にもひたひたと押し寄せてきたからである。…これらのダンス・ホールも…昭和十七、八年ごろには、だんだんなくなっていった。当局からのお達しで、これらのホールは昔の日本座敷に復元された。(続々がんす横丁 / 薄田太郎)」との記述を参考にすると呉でも同様のことが起こったのかもしれない。

ちなみに広島市の西遊廓が原爆で完全に消滅したのに対して吉浦遊廓は空襲の被害を受けずに敗戦を迎えている。メインストリートの両端にお好み焼き屋、そしてほぼ中程に食堂がある。私は男性が目印として教えてくれた旅館に向かった。

遊廓跡地のメインストリートの中ほどで営業する食堂

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旅」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事