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寮管理人の呟き

JR山陽本線・沖踏切を通過する普通列車

東深津町5丁目から見た沖踏切周辺。かつては私の近所も低い土手の上を電車が通過していた。『保存版ふるさと福山(2011年)』に「昭和45年12月、新幹線計画が決定。翌46年2月に工事が着手された。山陽本線・福塩線が高架となり、平面交差がなくなって街が様変わりした。」と書いてあるように、野原で大規模な工事が始まったことはぼんやりと覚えている。

それまで土手の周りは土筆が生え、野原は虫の宝庫で悪ガキ達の遊び場であった。私は野原でコオロギやバッタをよく捕ったものだった(昭和47~48年頃)。山陽新幹線の開通は昭和50年(1975)3月、小学校入学の直前だった。私は福山に新幹線が停まることを心から喜んだ。

田んぼや畑が急激なスピードで失われ家が建ち始めたのはそれから数年後であった。洟垂れ小僧の頃は公園の遊具の上に立てば遥か遠くを見渡せたものだが、もはや叶わぬ夢になっていた。その時ほんのちょっぴり寂しい気持ちをおぼえた。

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