見出し画像

寮管理人の呟き

愛媛県今治市天保山町2丁目4の柳瀬翁碑(有津屋公園内)

額に汗をかいて今治内港の南端まで移動すると潮風が吹いており心地よかった。懐かしい風景を眺めながら沖洲橋(おきすばし)に向かう。

橋

公園

橋を渡った先(右手)が「有津屋公園(天保山町2丁目3及び4)」である。振り仮名は「あろうづや」が正しいのかな?

公園2

石碑

石碑2

公園の東側で大きな『柳瀬翁碑』を見つけた。石碑は柳瀬義富(綿織物業者・興業舎の社長を務めた人物)を称える為に大正6年(1917)に天保山に建てられたが、その後蔵敷(現旭町5丁目)に移され、昭和49年(1974)にこの公園に戻された。詳しい経緯と会社の歴史については、愛媛県総合科学博物館研究報告(2006)の資料『今治綿織物業者「興業舎」の明治から昭和の社業変遷の一面 / 藤本雅之』に目を通すことで理解出来ると思う(PDF文書として公開されている)

公園の道路を挟んだ向こう側(阿部鉄工所やIJCが経っている場所)がかつての天保山海水浴場の跡と思われる。埋め立てが進んだ結果、海岸線は北に移動した。『愛媛摩訶不思議ちゃんねる』における伊豫國住人さんの書き込みから昔は砂浜近辺が埋葬地だったことが分かる。参考までに一部を紹介しておこう。

松山平野火葬場事情2
…現在の日本において砂浜といえばあまり暗いイメージはないのだが、明治時代までは共同墓地として利用されていた場所が多く、しかもどちらかというと埋め捨て、死体処理場としての性格が強かったらしい。明治の政府通達等を見てみると「海岸部の墓地は海が荒れるたびに埋葬された死体が海に流出して不衛生なのでどうにかしろ」なんていうのがあり。愛媛においてはこの新川や今治の天保山は特にひどかったらしい。…

鉄工所
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旅」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事