”今日、出来る仕事は今日中にやるように” 。勤めていた時、上司からよく言われたように思う。確かに仕事の途中で帰りたくはなく、終わってから帰るのが気持ちが良い。が、考えてみるとこれが勤務時間を長くした気がする。”今日中に出来る仕事は・・・”の言葉には”少し無理をしてでも”の言葉が含まれている。
こうして残業時間が増えていった。♫”・・・そんな昔もありました夢は夜ひらく”と言う藤圭子さんの歌を思い出す。サラリーマンを卒業し家での農作業そして工作においても似たように場面に直面する。作業中ではあるが、”ごはんよ”の言葉で作業の中断を迫られる。隠居生活でのこの場面でも区切りがつくところまでと作業を続ける。
が、これは隠居生活では間違っているような気がして来た。”もう少しだから”と少し焦りながらやると多くの場合、ミスを犯す。自分の過去を振り返ってみると工作で木材の寸法を間違えて切断して天を仰ぎ、釘をう打たずに指を打って呻いたり・・・更にはタイヤを足で無理やり縁の下に押し込もうとして膝を傷めた。全て、このような焦りを伴う場面だったように思う。”急ぐ仕事ではない!時間はある!”と悠然と構え、一定時間やったら休憩するを実行したい。もう一つ付け加えるなら”何々がないが面倒くさい。まあ、いいか”とやるのも大体の場合、失敗する。”焦らず、面倒くさがらず”である。
5月1日は八十八夜だった。1回目の収穫が終わった茶畑が春空の下、美しい曲線を見せる(写真1)。庭ではジャスミンの甘い匂いが漂う(写真2)。また、木々では色々な実が育つ。写真3は今年初めて生った姫リンゴである。そして写真4は大きくなり始めたクルミの実である。クルミの皮は分厚い。皮が黒くなり割れ始めた10月、種子を割り、実を楊枝でほじくりほじくり食べる。子供の頃に戻る一時である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます