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花・昆虫との田舎暮らし暦

田舎暮らしも13年目、木々・草花・鳥・昆虫等々、自然は初めて知ることが多く楽しい。色々な経験を紹介していきたい

池田町の文化遺産2/4 本郷城跡 土岐頼忠と国枝為助

2013年11月10日 | 趣味

      

この地に越して4年を経過する。近くに本郷城跡があるのは知っていたが車でアチコチ行っていても見かけたことはなく何処にあるかわからなかった。今回、池田町役場主催の”歴史講座”で訪れた。見かけないのも納得である。新しい住宅群の中にあった▼写真1は住宅の中を歩いて行くと見え始めた城址跡の碑である。近づいて撮したのが写真2である。築城年とかは明らかではなく美濃国守護土岐頼忠の築城と伝えられ頼忠が没した1397年以前だったと推測されている▼写真3は再度、碑を撮すが石垣らしきものが見える。一段高くし、この地に天守閣のようなものが築かれていたのではないかと伝えられる。その後、土岐氏家臣の国枝為助が城主となり、代々続く。関ヶ原の戦いの時、西軍に属したため、東軍に焼き払われいる▼近くの住宅建築などの時に調査などで120m×150mぐらいの広さで二重の堀があったことも判明している。写真4は国枝為助の五百年碑である。今年の10月に五百二十年祭が行われたようだ。築城した土岐頼忠の墓は禅蔵寺にある▼信長の後継者を選んだ”清州会議”(三谷幸喜監督)が9日、封切られた。信長配下の武将は美濃、尾張出身者が多い。清須会議の当事者豊臣秀吉、柴田勝家、丹羽長秀そして諸説あるが池田恒興もそうである。これらの史跡を尋ね回るのも面白いと思うこの頃である。


池田町の文化遺産1/4熊野神社 川柳庵の梵鐘 中国製造の梵鐘

2013年11月09日 | 趣味

      

池田町の歴史講座も5回めである。今回は”町の文化財めぐり”と言うのでワクワクしながら参加した。池田町は既に紹介した夜叉ヶ池にまつわる神社、池田恒興・元助の墓などの他にも幾つか文化財がある。4回ほどに分けて紹介したい▼先ずは朝の散歩コースの熊野神社境内にある梵鐘である。いつも鳥居をくぐりこれを右側に見ながら社に行きお参りする。写真1は鳥居の前から撮した鐘楼である。この地へ来て初めて熊野神社にお参りに行った時、境内に鐘楼があるのを変に感じたのを思い出す。明治時代までは熊野神社の宮寺である川柳庵がこの地にあり鐘楼は川柳庵のもののようだ。この梵鐘、銘に万歴14年(1586年)と言う中国明時代の年号が刻まれている。中国から渡来したものに間違いないが経路等は不祥である▼確かに日本で作られたものとは見た目にも何点か異なる。先ず写真2で分かるように下部が波を打っている。また写真3に示すように吊り下げる部分が龍の形に作られており、本体にもまわりに龍が刻まれている(写真4)▼梵鐘は1口(こう、あるいはく)、2口と数えるようだが現在、日本では33口の中国製梵鐘が見つかっているようだ。岐阜県ではもう1つ、関ヶ原町の聖蓮寺にあるようだ。どちらも岐阜県の重要文化財に指定されている。軽く突き音色を聞いたが、軽やかな気がした。この梵鐘は除夜の鐘でしか突かれる。今年の大晦日の楽しみが1つ出来た。


日本三名塔(法隆寺、浄瑠璃寺、醍醐寺、羽黒山の四塔)+室生寺五重塔(最小)

2013年11月06日 | 趣味

            

日本三大◯◯なるものが多くのものに決められている。最も知られているのは日本三景だろうか。ところで、この三大の三番目になると本当かな、と思うことも少なくない。岐阜に来た時、三大稲荷は伏見、豊川そして地元のお千代保稲荷と聞いた▼五重塔の三名塔である。これも法隆寺、浄瑠璃寺そして三番めは醍醐寺と言う説と羽黒山と言うのとがある。昨年の4月から塔巡りをし4ヶ所を1年半の間に行って来た。写真1は法隆寺そして写真2は山口県にある浄瑠璃寺である。浄瑠璃寺五重塔は初めて見たこともあるか、その美しさに暫く動けなかった。庭園との配置が美しく忘れられない塔である。写真3は醍醐寺、写真4は羽黒山の五重塔である。甲乙付けるのは難しい▼三名塔には数えられていないが好きな五重塔がある。室生寺の五重塔である。800年頃の建立と言われている。この塔、最小の五重塔で16m少々しかない。最も大きな東寺は55m近い。また三重塔でも多くのものは20m前後の高さである▼日本三大の話に戻るが四大でも良いではないかと思った。が考えてみると、四大でも状況は変わらず四番目はいろいろ出てくのだろうな・・・。 →暫く休んでいたHP”望郷+田舎暮らし日記”に羽黒山五重塔など8塔を追加しました。現在、多宝塔、三重塔及び五重塔で98塔となりました。→http://inakaikeda.iza-yoi.net/index.html


池波正太郎 鬼平犯科帳5”兇賊(きょうぞく) 欅の半分紅葉 アキグミ(秋茱萸)の実り

2013年10月23日 | 趣味

      

先週より左耳が詰まったような感じで”ボーン”として音が響いて聞こえるようになった。一昨日は久しぶりに会社時代の昔仲間との”ゴルフ&飲み会”だったが少々、気になりゴルフが終わった後に耳鼻咽喉科へ行って来た。歳をとってからの病気はもう元に戻らない気がして明日まで待ちきれなかった。診断結果は物が詰まっているのと軽い外耳炎の診断で安心して飲み会に言った▼秋が深まりボツボツと紅葉が山間に見えるようになって来た。写真1は門の横にある欅である。半分だけ紅葉している。池田山の方角が西であるがどうも西陽が当たるところだけ色変わりしているようだ▼写真2~4はその欅の元、色づいたアキグミである。夏グミに比して実が非常に小さく丸い形をしている。味的にも甘みが少なく酸っぱく生では食べにくい。が、この実はジャムにすると綺麗な赤色になり、とても美味しい。難点は種を取り除くのが難しく残ることである▼歳をとってから風邪をひいても心配になる。私だけかと思ったらどうも違うようだ。池波正太郎の鬼平犯科帳5巻目の”兇賊(きょうぞく)”の書き出しはこうである。”(こいつ、ここで死んでしまうのではねえか・・・・・?) 六十をこえると、風邪をひいても、すぐにその想いが去来する。”老賊鷺原の九平が下痢をおして峠道を登るときに洩らす言葉である。


龍徳寺 池田恒興・元助の墓 清州会議 クレオメ(西洋風蝶草)とガウラ(白蝶草)の花

2013年10月20日 | 趣味

              

まだ夏の香りが残る9月18日に、池田町が主催する歴史講座の4回めがあり、”池田町の歴史遺産を巡る”だった。今回は”池田恒興の墓”にも行くと聞いていて非常に楽しみにし参加した▼9月も中旬を過ぎると言うのに暑い日でペットボトルを手放せなかった。池田恒興の墓は龍徳寺にあり写真1が池田恒興そして写真2が長男の元助の墓である。。池田恒興の墓は他にもあるようだが池田一族の鳥取城主が墓参りに来た記録もあるようでここが本物と私も含め池田町の人達は信じている▼池田恒興・元助は小牧・長久手の戦いで戦死している。姫路城を今の形にした池田輝政は恒興の次男である▼庭先にいつまでも長く咲いている花がある。写真3はクメオレ(西洋風蝶草)で写真4はガウラ(白蝶草)である。それぞれ7月14日、21日に紹介したが3ヶ月が過ぎる今も咲いている。”風に舞う蝶”のよう、そして”白い蝶”のようが和名になっている▼池田恒興は織田家の信長亡き後の後継を決めた”清州会議”の4宿老の一人である。今度、三谷幸喜監督で”清州会議”と言う映画が11月9日に封切りとなる。原作から推測するに池田恒興はあまり良い役回りではない気がするが・・・・映画は非常に楽しみにしている。