この地に越して4年を経過する。近くに本郷城跡があるのは知っていたが車でアチコチ行っていても見かけたことはなく何処にあるかわからなかった。今回、池田町役場主催の”歴史講座”で訪れた。見かけないのも納得である。新しい住宅群の中にあった▼写真1は住宅の中を歩いて行くと見え始めた城址跡の碑である。近づいて撮したのが写真2である。築城年とかは明らかではなく美濃国守護土岐頼忠の築城と伝えられ頼忠が没した1397年以前だったと推測されている▼写真3は再度、碑を撮すが石垣らしきものが見える。一段高くし、この地に天守閣のようなものが築かれていたのではないかと伝えられる。その後、土岐氏家臣の国枝為助が城主となり、代々続く。関ヶ原の戦いの時、西軍に属したため、東軍に焼き払われいる▼近くの住宅建築などの時に調査などで120m×150mぐらいの広さで二重の堀があったことも判明している。写真4は国枝為助の五百年碑である。今年の10月に五百二十年祭が行われたようだ。築城した土岐頼忠の墓は禅蔵寺にある▼信長の後継者を選んだ”清州会議”(三谷幸喜監督)が9日、封切られた。信長配下の武将は美濃、尾張出身者が多い。清須会議の当事者豊臣秀吉、柴田勝家、丹羽長秀そして諸説あるが池田恒興もそうである。これらの史跡を尋ね回るのも面白いと思うこの頃である。