乙姫の気まぐれ日記

アメリカのおせち

独り言

2012年03月27日 10時25分50秒 | 日記

三月も終わりと言うのにこの寒さはどうしたのだろう。

何時も温暖なこの西海岸の地も遥かに望む山の頂は雪で覆われ、下界はどんよりと曇っていて雨が降ったり止んだりで薄ら寒い。

この愚づついた気候が来週初め頃まで続くとテレビは報じている。

本来なら家に篭ってなどいない浦島殿と乙姫はパットしない外にはやっぱり気が向かない。

否、其のせいばかりではない。

日本で散々お金を使い果たして来た後ろめたさもあって少しおとなしくして居る。

旅行に出る前はバジェットはあるのだが一旦出てしまえばそんなのとんと忘れて出るものは出ると言う訳で結構存分に

使ってしまった。

そんな訳で今日は浦島殿を家来にケッチンのキャビネット、食器類を全部出して大掃除をして大満足、

大満足なのは私であって浦島様は不本意ながらも私に従って居るだけで、出来ればあちこちやって逃げたがる。

今日はケッチンだけで明日はお客さん用のダイニングルームのキャビネットとリビングルームにある飾り戸棚を

クリーンするつもりだがそれは明日になってから頼むつもりでいる。

食器が多すぎて中々大変な仕事なのです。

その代わり今日のお昼はご飯を炊き、天ぷらとアジの干物と納豆を用意してやった。

〇〇とハサミは使いようと言うじゃないですか。

 

処が我が家は呑気なことばかりは言っていられない事態が発生した。

ロスに住む次女は二人の娘を抱えて十年くらい前にシングルマザーになって一人で頑張っている。

その娘からの電話で彼女の頚椎(多分ヘルニア)を緊急で手術をせねば首から下全身が不能になると言われ、病院の部屋の準備を待って

いるとの連絡を受けた。

何としたことか、高校で生物学の教師をしながら二人の娘を育て頑張って居るのに。

娘はあの小さな身体でクラスの男生徒の喧嘩を止めようとして中に入りその時傷めたらしい。

私はこの娘だけが気がかりだった。

いくら嘆いたって起こったことは受けて立つしかない、私達は何時でも出かけられるように準備をして待機している。

幸いなことに他の娘も、息子も応援を申し出てきた。

お母さんたちだけでは無理だから交代で行くようにすると言ってくれた。

若い人たちは皆それぞれ仕事を持っているし、特に長女は自分のクライアントを休ませる羽目になる。(精神、心理学のカウンセラー)

で患者を抱えている。

其れにここからロスは遠すぎる。

万が一にも手術が成功せず再起不能になったらと不安も過ぎるが、その時は私達が引き受けようと不思議なほど心が

座ってしまった。

世の中には色んな人生があるのだからこれも仕方のないことなんだなあと。

私たちも高齢だから何時まで持つかは分からないが今日一日を悔いなく生きることにしているので大丈夫なのです。

 

今から七十数年前の乙姫です。

私にもこんな時があったのに今は毎晩ベットの中で一人一人の家族の幸せを思って休むのが習慣になっています。

今回実家から出てきた写真です。 この叔母を母のように慕って育った私です。

 この時の事を鮮明に記憶しています。

 


ただいまあ~! 帰りました。 Part 3

2012年03月21日 14時57分29秒 | 日記

♨三昧

今回の訪日は温泉三昧であっと言う間に終わってしまった。

宮城県の遠刈田温泉、飯坂温泉、穴原温泉、岳温泉と皆温泉で事を済ましたいのか

温泉が好きなのかは解らない。

確かに個人の家で集まるよりは楽に決まっているが、私的には温泉はどうでもよい。

先ずは食事が美味しくないし、サービスは良くてもビジネス的のサービスだから。

こちらではお客さんを招く時、一番の待遇は家庭に招くことだ。

レストランやホテルはビジネス的で一寸違う。

だから実家や姉の所に泊まったのは最高に楽しかった。

姉達は身体がヨタヨタだから一緒に走りまわることは出来ないので宿に残し、寸暇を惜しんで姪と一緒に駆け回った。

降りしきる雪の中を郡山市のデパート迄走ったり、土湯峠を越えてブテイックにある陶器を見に行ったりかなりの冒険もやってきた。

そして姉達の待つ宿へ、ああ楽しかったと笑い転げる私たちを心から喜んでいる姿は

母親の姿に重なってじ~んと来る。

成長期には五人も姉妹が居て嫌だった。

さっさと嫁に行ってよと悪態も付いた。

今はその姉達が母親に代わって異国に住む私を支えて居てくれるのだから有難い。

私は総勢七人兄弟姉妹、殿はなんと九人兄弟姉妹が居る。

本当の所、今の日本は豊かなのか、貧しいのか私には解らない。

外見を見る限りでは店頭には物が溢れ、新宿の一寸素敵なレストランだと一人最低

一万二、三千円、其れに一杯やれば二人で三万円は楽にかかる。

私は高いと思うのだが、乙姫の時代遅れなのだろうか。

日本に行ったら美味しいものは何でも食べて来るつもりが旅の疲れはそれを遮ってしまった。

でも食べなきゃ損と心が囁く、でも無理して食べるには高すぎる、結局はファミリーレストランを試みたが一万二千円で一寸箸を付けた

だけ、ああ、やっぱり勿体なかったとつぶやく乙姫はケチなのだろうか。

結局は異国でも住めば都のここの我が家が最高、なんと落ちついて穏やかで自由この上なし、

浦島殿にもっと感謝して過ごそうと密かに誓った乙姫です。

 写真はプライベートのものが多く、其れに雪景色だけでアップするものが余りなかったですね。

岳温泉で

曇り空の中での夜明け

束の間の朝日

直ぐに曇空の中へと隠れてしまいました。

二本松岳温泉の宿の窓から

九人兄弟全員健在は珍しいらいと、義弟が属している三味線メンバーが祝福してくださいました。

同級生の芸披露

土湯峠を越えてショッピングへ

足の弱い姉達の為にテーブルを用意して貰いました。

三月はまだまだひな壇が飾られていますが

このような吊るし雛も沢山あるのですね。

 つまらないことをぐたぐた書いても仕方ありませんので

今回の日本訪問記は一応終わることにします。

記事とも言えない変り映えのしない記事を読んでくださった方々に感謝です。

私は浦島殿の八十六歳になる長兄からお小遣いをたんまり頂いちゃって喜んで良いのか、何だか複雑な心境です。

 


ただいまあ~! 帰りました。part 2

2012年03月19日 20時19分06秒 | 日記

三月五日、先ず同級会に出席した。

なんと小学生からの仲間たち、六十年振りに始めて出席した方もあり、

正に浦島太郎の如くの方も居りました。

私は海外に住みながら何度も出席して来たので大抵の人は分かって居たが

六十年ぶりとなると全く解らない。

日本津々浦々から三十八名が参加していた。

私は何なにで、あなたは誰で?とその騒ぎたるや瞬時にして昔の子供に帰っている。

同級生の中にお寺を継いでお坊さんになっている方が居り同級生で亡くなった方たちの

供養を終えた途端、ここまでは北条様だがここからはタカノリ(属名)だぞ、などと

野次が飛んで来る。

私も一寸ばかり挨拶をこわれ一言何かを話した。

宿は皇族方が宿泊された高級温泉宿、宿だけは流石に立派だったがご馳走は何とも寂しい感じ、疲れている私には箸を付けたいと思う気

は起こらなかった。

全員と語るには頭がぼ~っとしてくる。

其れに加えて今度は親しい仲間九人で連泊だ。

殆んど誰も寝ない。やれやれ乙姫さんの身体がやばい。

気が付かれないようにそっと抜け出しては静を摂る。

連泊からやっと解放されて実家に向かう。

既に両親は居なくともやっぱり一番休まる家はここだった。

心も身体もあったか~くなってくる。

ご馳走も美味しい。

そして翌日は又温泉での兄弟会全員集合だった。

私は自分の今までの想いや、そしてこのような兄弟会を両親に見せたかったと短い

スピーチをしたら皆しゅんとしてしまい実家の弟は涙をこぼして居るのに

気づいて早々にして止めることにした。

外はしんしんと雪の降りしきる晩だった。

ああ、ふるさとは温かきかな、お湯に浸り、愛に満たされ良い一夜だった。

二棟続いた実家は全くの田舎です。

家の一部

温泉宿の夕食は一寸ねえ。

宿が一番儲かるのは同窓会なのだそうです。

二本松に在る高村光太郎の妻

智恵子の生家

 

 


ただいまあ~! 帰りました。 Part 1

2012年03月17日 13時57分54秒 | 日記

さ~て、何から書きましょうか。

一言で言えば疲れたぁ~、然し一時間の無駄もなく存分に、そして会いたい方には

洩れなく会えたと言うことは今回の訪日の目的が達成されたと言うことです。

今までは東京に着いて必ず新宿のヒルトンホテルに二泊位して疲れを癒やしてから田舎に帰って居ましたが今回はたった

二週間の滞在とありそんなゆとりが無かったこと、それもこれも円高で一ドル七十三円と言う両換えは、私に少し不安が生じ

たからでした。

三月の東北はまだまだ寒さも厳しく、増して震災、津波、原発、円高、そして殿の高齢と

三拍子も四拍子も悪条件が重なる中へ迷いつつも出かけて行ったのですが、全ては

予定通り自他共に喜び合いの二週間を過ごして帰りました。

でも、先ず第一に夜遅く福島の駅に降り立って唖然としてしまったことはしんしんと降り続く雪、

何年ぶりの光景だろうか、とんでもない所に来てしまった~、

どうなるのだろうと言う思いが過ぎったのも束の間、綺麗だねえ、何年ぶりに見る雪だろうねと二人の思いは感激に変わって

しまいました。

とっぷりとホテルのベットで一夜を過ごし、先ずは両家の墓参、暖かい歓迎を受けながら積もるお話に盛り上がる。

ああ、故郷は良いなあ~。

深い人情、豊かな情緒、そして風情がある。

異国の生活で欲していたものが全て故郷には在る、向こう三軒両隣どころではない兎に角皆んな暖かく優しい。

改めて此処で生まれ育った自分を誇りに思えて来た。

今度は外へ目を向ける。

次から次と目を惹きつける物ばかり、物の豊富さ、新鮮さ、物価高、行き届いたサビス、そして親切で優しい、言うことなしの

我が故郷に安堵しながらだんだんと現実が読み取れて来る。

福島の放射能問題は此処でテレビを観て知った何倍も深刻であると言うことだった。

兎に角地元の農家の若い家族は福島産の農産物を食べていない。

同じ屋根の下でお年寄りは地元産を食し、若い人たちは他県の物産を食べている異様な姿も見せられて来た。

福島の相馬、釜石、松川浦にも連れて行かれたが元の面影は何処にも見られす、すっかりゴーストタウンと化している。

廃墟物を片づけられた後に一本の細い道路が通って居て時たま車が静かに通り抜けるだけ、人影は見られない。

これがどのように復興されるのか、日本はどうなっていくのか何んの役にも立てないこの小さな私でさえも日本の将来に大き

な不安を持って帰って来ました。

福島駅の第一夜

どんなに降り積もった雪もやっぱり春の雪は少しの太陽にも溶けてしまいます。。

続きは次に、時差のため体調が元に戻って居ませんので又にします。

留守中にご訪問くださった方々に心から感謝申し上げます。     乙姫