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それほんと?

キラ様のデスノート

甘えるな高校生、親、教育関係者、政治家

2006年11月02日 | 教育
高校の履修モレ対策が公明党のごり押しで履修モレに配慮した方向で決まりそうだ。甘えるなといいたい。ここで教えなければならないことは何か。そこが全く抜けている。

大学受験資格を取得する。ただそれだけのことだ。期限に間に合わなければ、受験できない、入学できない。それだけのことではないか。必要なら徹夜して履修すべきだ。受験資格、入学可能資格を取得する決まりなのだ。9割の高校生は、履修している。1割が履修していない。そもそも高校教育は、義務教育ではない。その義務教育であれば文化省が対策するのはわかる、、、が、今回は高校に全面的に問題がある。

私が大学受験の際、大学紛争なるものがあって東大入試中止になった。誰も救済措置を取らなかった。それが人生なのだ。ルールは守ったものだけが変える権利を持つ。それが社会の基本的なルールだ。守らないものにルールを変える権利は無い。

何処かの党がやけに熱心に緩和を訴えている。系列高校の履修問題があるではないかと勘ぐりたくなる。父兄に強烈なパンチをくらっているのだろう。ごり押しだ。

甘えるな。こんなことで社会に出ても役にたたない。
何処かの首相も言っていた。自己責任だと。高校生、教師、父兄の自己責任だ。
義務教育でもない。その学校を選んだのは自己責任。高校生の多くは、不思議な成績票を見て知ってはずだ。

もう一度言う。甘えるな。
それが本当の話。

感性の乏しい校長、教員諸氏、深く反省しなさい!

2006年10月31日 | 教育
毎日放送されているいじめ自殺会見、、。自殺に至ったと明確にわかるいじめはなかった。なんと感性の乏しい指導者たちなのだろう。また、議論の論点もバカバカしい。

例えば、壁に向かって弓矢を射る。半分進んだところに印をつける、また、半分進んだところで印をつける、壁に向かって印の列ができるが、この繰り返しをしていると、いつまで経っても壁に突き当たらないと思えてくる。

しかし、私たちは、矢が壁に突き当たることを知っている。では、どこが間違いかといえば、印は壁に突き当たる前の事象でしかない。だから、一生壁に突き当たらないと勘違いしてしまう。

今回のいじめの議論も、そこを勘違いしている校長、教員の説明が続く。いじめに至る前の話をしている。彼らの世界では、絶対にいじめに突き当たらない。

しかし、私たちはいじめを知っているし、自殺と関係があるとわかる。

バカバカしい議論はやめて、論理のすり替え間違いを正し、一つ抜けている筋をはっきりさせたらどうだ。

弓矢は、壁に突きあたるまでの時間を無限に微分するから、突き当たらない。いじめの議論は、いじめと自殺の因果関係を細かく微分するから自殺には行き着かない。明確な因果関係に到達しない。

それが本当の話。マスコミも教育評論家もこのことをわきまえないと問題を解決することができない。日本の社会に蔓延している現象だ。


小学校少女の自殺

2006年10月07日 | 教育
小学校の生徒が自殺した。悲しいではないか。
教師は何をしていたのか。回りの親は何をしていたのか。教育委員会は何をしていたのか。

小さい体で、幼い知識で、未熟な経験で悩んでいたこの子をどうしてやさしく見守れないんだ。醜いアヒルの子の話は以前書いた。貧乏と言われて悩んで自殺した中学生がいた。

真っ白な、大きく羽ばたく白鳥になる可能性を持った子供たち。醜いアヒルが寄ってたかって、白鳥になるのを妨害している。

教師たちよ! 教育と言うのは、醜いアヒルの子を白鳥に育てる大切な、とても大切な仕事なんだ。

それを認識すべきだ。大人も、社会も、教育も、行政も、企業も。

それが本当の話だ。

福井総裁

2006年06月16日 | 教育
社会のルールというのはどのように作るのだろう。

いろいろな人が福井さんには非はないといっている。そうだろう。規則を犯していないから、そういう論理は成り立つ。

しかしだ、規則というのはどのように作るのか考えてみてはどうだ。規則違反ではないが、倫理的な面で非がある。だったら、潔く身を引いて前例を作り、新しい規則をつくることに協力してはどうか。

新しい規則ができて、福井さん以降の人が対象になる。そんな規則、意味ない。

福井さん本人にとってもよくないことだと思う。

格差社会

2006年06月04日 | 教育
各社社会を見過ごしたのはだれだろうか。

ふとそんなことを考えている。格差はどこにもある。何時の時代もある。格差は問題ではない。そうかもしれない。

しかし、今の格差社会は20年前のそれとは違うところがある。学生が希望を持てないということだ。

私たちの時代は、家が貧乏でも自分が勉強して、、、という希望を持てた。今は、それが難しい。学校の先生のプロフェッショナリティーが低く、満足な教育を受けられない。昔は、良い学校は公立校だった。

貧しくとも良い学校に通い、将来に希望を持てる。そんな学校があった。良い学校に通うことで、人間としての価値、自尊心を持てたものだ。今は、全くそんなことが言われない。

学校の先生、あなたたちが今の格差社会を作ったのだよ。私立より良い教育を提供する先生がいない。文部省の問題だとは言わさない。君たちのプロフェッショナリティーや知識レベルの低さが少年少女の希望をむしりとってしまった。

そのことに気がつくべきではないか。教員組合も同罪だろう。将来の人材を育てる素晴らしい職業を、一般の職業と同じだと主張し、ことごとく夢を壊してきた。

それが本当の話だ。