
このできごとはバブル経済期に遡る。
1980年代中盤、
日本は未曾有の経済発展を遂げ、
札束を友にできた時代やった。
が、
その時代の繁栄の輝きにも、
もちろん影はある。
ズバリ、
セクハラやパワハラが日常茶飯事やったという。
レフティは昭和みたいだと驚くが、
1980年代中盤は昭和やったはず。
セクハラもパワハラもありあちこちでタバコが吸えた時代。
そんな時代のとある中小企業に、
顧客の知り合いによるコネ入社がなされた。
高卒したばかりの少年やったらしいが、
上品過ぎてほとんどオネエに近い物言いとは裏腹に、
性格がしつこく、
自己中やった。
そこでこの少年のことを社内では、
姉ちゃんボーイとあだ名を付けられることになった。
姉ちゃんボーイは営業事務に所属していたが、
発注ミスをして、
会社に大きな損失を与えた。
姉ちゃんボーイはすぐに口やかましさ東京トップ10入りしている営業部長に呼び出された。
営業部長は怒りをあらわにして、
「お前、会社をここまで苦しめて死ねる覚悟持っとるか⁉️」と昭和的小言を浴びせた!
姉ちゃんボーイはツンツンしながら、
「あたくしいつでも死んで差し上げます。そう心に誓ってお勤めさせていただいておりますわ!」と反論した。
営業部長は姉ちゃんボーイの態度に腹を立てて、
「口ではなんとでも言えるやろが❗️ボーナス返上して休日出勤しますくらい言えよ❗️クズが❗️❗️」と極めて昭和的に怒鳴った!
姉ちゃんボーイも負けずに、
「まぁ🤬じゃあ部長さんはおミスをぜんぜんなさらないと言われますの⁉️」と言い返したので、
営業部長は活火山🌋の爆発💥的語調で、
「○ネ❗️お前❗️❗️」と怒鳴った❗️
その迫力は凄まじく、
姉ちゃんボーイは絶叫して😱気絶した😵
気がついた姉ちゃんボーイは、
廊下に寝かされていたという極めて昭和的な扱いを受けていた。
そしてトイレに入って洗顔しようと鏡を見た姉ちゃんボーイは、
目が寄り目になっていることに気づいた。
何度も目を動かしても寄り目になってしまうので、
寄り目のまま営業部長のところに行き、
「部長さん!よくもあたくしの目を寄り目にいたしましたね。あたくしの目はお空のお星様が入ったようにおきれいだと褒められていたんですよ」と言い、
中腰になって両手で顔を覆い泣き出した。
そして、
「運命哀しとあきらめて、泣きをみせればまた泣かされる」と涙声で言った。
(クエンティン・タランティーノが映画『キル・ビル』で使用した、梶芽衣子の「恨み節」2節であることが後から判明した)
この日を後に、
姉ちゃんボーイは退職した。
その後、
寄り目になった姉ちゃんボーイはしつこく栄養部長の前に現れては、
「部長さん!恨みます!恨みます!」と言い、
これが驚くべきことに、
令和の現代でも続いているとのこと。
姉ちゃんボーイは現在姉ちゃんオヤジとして、
寄り目が治らないまま、
高齢になった元営業部長の前に現れては、
「部長さん!恨みます!恨みます!」と言うらしい。
この記事の情報源は牧カオリやけど、
牧カオリは姉ちゃんボーイ自身が次のような自己表現をしていたことを告げた。
「とても執念深い少年でした。あちこちに行っては人を不機嫌にさせたこの少年は、厚かましくとても愚かな少年でした。少年の口癖は、自分から相手を呪わなければ相手が自分を呪ってくる。それが人が学べきすべてだということでした」
俺の嫌な知り合いの湿竹青年もそうやけど、
この手の性格のしつこい人間には、
それなりの覚悟で臨むことと、
そもそもパワハラは良くないことを改めて知らされた。
(余計なことかもしれんけど、この姉ちゃんボーイ、ナット・キング・コールの『ネイチャー・ボーイ』や梶芽衣子の『恨み節』を引用して、相当な音楽マニアかも知れない。ただレフティは、テイラー・スイフトの『Cruel Summer』を引用しないのが気に食わないと言うが、姉ちゃんボーイは現在59歳なので、最新洋楽ビルボードチャートには疎いと思われる)
わぁこの寄り目ちゃんの動物さんは何でしょう😆
姉ちゃんボーヤは昭和に有りがちなネーミング😅
何でもアリな自由な昭和が懐かしいです(笑)
営業部長の言葉は乱暴ですが😅
言ってる事は正しいですね✨
エスカレートして言いたくもなります〜😢
姉ちゃんボーヤは口返答する前に先ずお詫びですょね⤵
今でも恨みます言いに来るとは恐ろしいですね⤵
関わりたくないです💦
明日もあったかいみたいで😌明後日からは冷えるみたいですので😨
お身体気をつけて下さい〜🎀
セクハラやパワハラのテンコな上に自由喫煙のブラックなイメージの昭和でも、
大きな経済発展はこの時代のみですね。
今のスタイルの基礎も昭和です。
学校に体罰あれば会社でのハラスメントもそこまで気になれない(過度なものを除いて)風潮なのでしょうか?
『僕らの七日間戦争』という映画がありますが、
体罰反対と強引な教育方針に腹を立てた中学生が、
登校拒否してどこかの倉庫みたいなところに集まり、
自給自足生活する中で旧日本軍の戦車を見つけます。
後で、
生徒たちを戻そうとする父兄や教師との乱闘の際に、
戦車を動かして発砲するところまでありました。
この映画は当時の有名な青春期小説かナニからしく、
小説には教育や自由についてのあり方を登場する中学生に語らせるスタイルでした。
が、
この小説や映画の中学生が1973年生まれという時点で、
現在の氷河期世代に当たります。
昔の教育理念を否定して得たものが氷河期社会ですから、
如何に、
厳しくとも昭和の教育が正しかったかが出てますね。
その意味で、
「ぼくらの七日間戦争」を書いた作者の思想は部分的な戯言に過ぎません。
この映画はレフティ世代には全く見向きもされず、
そもそも無理矢理学校に行かなければいいとまで言われる始末です。
結局戦争を登場させる破壊思想と、
破壊思想に至るまでの屁理屈美談に対し、
逆に、
順応思想を説くべきだったと思われます。
破壊は結末です。
順応は未来です。
しかし、
がんじがらめの当時の学校教育への抵抗そのものがかっこよく受け入れられたことは事実でしょうね。
ケイシロウも昭和には興味津々でも、
『僕らの七日間戦争』はスルーします。
この手は現象としてあっさり読ませて見せるスタイルにすべきでした。
主人公の行動を思想化すべきではありませんでした。
この作者は、
「ぼくらの七日間戦争」の中学生達を新時代として思想体系化したかったんだと思いますが、
思想化すること自体がオッサンであることに気づけなかったと思います。
しかし昭和はイマの文化の始まりです。
ケイシロウとレフティは、
戦後の昭和は歴史の始まりとまで言ってますから、
イマの世代の昭和探求はより盛んになることでしょう。
jasmine様のリアクションとコメントに感謝いたします。
jasmine様も良い週明けとなりますように。