
SF映画と言えば「2001年宇宙の旅」と、
この映画。
ただし、
この映画は、
ムズいて言われて嫌悪されている(一部マニアはほめちぎっている)。
が、
ケイジロウ、レフティ、
シンの名作に親しむことは、
時には、
痛みを伴うものや(と言っても、ムズかったら、お前ら見んやろな)。
ネタバレしないように書くけど、
ロシアの現実主義的な科学者が、
ソラリスという惑星の異変を調査する旨の命令を受ける。
そこで、
ソラリスの宇宙ステーションに到着。
そこには、
二人しか乗組員いないはずなのに、
オンナはぶらつくわ、
ダウン症の子供はいるわ、
不可思議に満ち満ちた光景が広がる。
当然、
説明がなされる。
惑星ソラリスは、
ソラリスの海が、
人間の意識の深い底にあるイメージを物質化する😳
乗組員たちは、
この物体化したものを“お客“と呼ぶ。
主人公が寝て目を覚ましたら、
自殺したはずの奥さんが横寝していた。
驚きながらも上手にごまかして、
宇宙船に乗せて、
宇宙空間に打ち上げ👏👏👏
と思っていたら、
翌朝にもこの奥さんいた😱
この奥さんの自殺には、
自分の過失があった。
けど、
愛情の限りに愛した妻やったから、
この奥さんに情が移る。
この奥さんに実母の思い出、
そして、
母なる大地の思い出が結び合い解け合う。
大地に愛され、母に愛され、妻に愛される中、
人の生涯はあると信じられているロシア。
この映画には、
やたらと、
風が大地を吹き付け、
小川のせせらぎと揺れる水草、
落穂を燃やすシーンが繰り返し現れる。
そして、
更なる異変。
ソラリスの海の単純な復元体の“お客“である奥さんが、
人間的に愛そうと、
献身的に接してくる。
涙ながらに乗組員たちに呟く。
「お客は、あなたがたの良心ですよ」と。
そして、
主人公のために、
自分が消えてしまう覚悟で、
主人公の潜在意識をソラリスの海に放射することを願い出た。
翌日、
奥さんの姿は消えた。
この宇宙ステーションには、
主人公の親友であったギバリャンという科学者がいたが、
ソラリスの海の“お客“のせいで自殺していた。
ここに、
熱にうなされながら主人公は言う。
「なんでギバリャンは死んだ?怖いからか?違う!恥の為に死んだ!人類は恥の概念が無いと救われない!!」
この後、
故郷に帰ったかと思われた主人公なんやけど、
驚くべき、
2001年真っ青なラストが展開される。
この映画は、
難解ながらも、
宇宙の構成は善意であり、
あらゆる存在に愛が満ちていることを訴える。
心の傷が開く時もあれば、
癒される時もある。
人の生死は、
宇宙が与えた愛の叙情詩に他ならない。
どんなに心を閉じても、
宇宙の善意は心に忍び寄る。
“お客“というカタチをとってまでしても。
ケイジロウ、レフティ、
俺は、
この映画を見たら、
目が腫れ上がるくらい泣きじゃくる。
ぜひとも、
驚くべきラストとともに、
この映画を見てもらいたい。
(本作ロシアのタルコフスキー版はムズいから言うて、アメリカのソーダバーグ版を見るなよ)
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