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ケイシロウとトークアバウト

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シマジン(島人)~全ての真実は潮風が知る😬

2023-04-15 23:57:00 | 日記




1960年。
安保闘争に明け暮れたこの年は、
血の一年と呼ばれるほど、
激しく熾烈な抗争が、
権力側と社会主義者たちとの間で繰り広げられた。
その社会主義者たちの若いひと組の夫婦が、
機動隊に眉間を叩き割られながらも、
女の子を産んだ。
この子は、
流血の時代の申し子という意味から、
血年(ちねん)と名付けられた。

血年(ちねん)は、
物心ついたときから、
社会主義思想を嫌い、
主義思想を超えたものを探し出した。
そして、
シックスティーンキャンドル(16歳)で、
日蓮仏法と出会い、
日蓮と神々による一千万年平和王国の思想を掲げ、
とある主義を是とする者たちとともに、
歩んだ。
そして、
このグループの中で、
血年(ちねん)は女王となった。

時は、
2011年。

リーマンショックで、
職を失った30代夫婦が、
静かな農業生活を営もうと、
とある離島にやってきた。

島の人々は、
想像を絶するほど親切で、
この30代夫婦は、
人の情の暖かさを初めて知った。
この夫婦は、
夫をイサオといい、
妻はツギコといった。

イサオとツギコは、
毎日のように、
島の人々に可愛がられ、
島の動植物やウオ(魚)からも祝福されてると信じ切った。
ただ、
島の人々は、
ツギコがファッションとして首に掛けていた十字架を嫌っていたので、
それを外して、
しまいこんだ。
けれど、
そんなことは、
些細なことやった。

ある夜。
イサオとツギコが寝ていたら、
島のあちこちから、
「ナンミョウほうれんゲキョウ!ナンミョウほうれんゲキョウ!ナンミョウほうれんゲキョウ!」と唱えられる声で、
目を覚ましてしまった。
しかも、
その声は、
激しくなる一方なので、
イサオとツギコは、
一晩中、
心臓バクバクやった😩😩

その後、
夜中の「ナンミョウほうれんゲキョウ」の唱題(しょうだい)に慣れた頃、
イサオが法然(ほうねん。鎌倉時代の僧侶。浄土宗の開祖)の悪口ばかり言うようになった。
そればかりか、
反対するツギコをスルーして、
夜中に家を出て、
島民と一緒に法華経を拝むんやった。
が、
それと並行して、
イサオが、
大手IT企業への就職が決まった。
けれどツギコは、
心から喜べなかった。
イサオは、
法然(ほうねん)の悪口に始まり、
共産主義や公明党、民主党(現、立憲民主党)を非難し続け、
自民党のみを褒め、
血年(ちねん)様以外は間違いやと言い出した。
ツギコは血年(ちねん)という人物を知らなかった。

ある夜。
家を出て行くイサオの後をつけて、
島の寺に行ったツギコは、
そこに、
目がぎらつく獰猛な顔のババさんが、
島民に威張り腐っているところを目撃した。
このババさんこそ血年(ちねん)やった。

血年(ちねん)は、
ツギコに気付き、
「多くの人に法華経の徳を述べよ!」と命令した。
ツギコはキレて😠
「ナンであたしが❗️」と怒鳴ったが、
イサオは寺のまんだら本尊に、
「日蓮様とアマテラス様の為なら、私とツギコの命を捧げます!!」と叫んだ!

血年(ちねん)はツギコに、
「あたし達の信条に反対するなら、それ以上の実績を立てて反対するのがスジ!」と言い、
以下の説明をした。
夫イサオに職を斡旋した目的は、
ツギコを血年(ちねん)の跡継ぎにする目的からやったという。
そして、
ツギコは、
自分の小さな幸せ以上に、
血年(ちねん)の持つ、
大権力を欲した。

こうして、
血年(ちねん)の思想教育のもと、
ツギコは血年(ちねん)の跡継ぎを志すべく、
船で島から陸へと向かった。
全島民が、
法華経を唱えながら、
ツギコを見送った。

月日が経ち、
とある地方に、
血年(ちねん)が立てた寺にゆききしながら、
ツギコは、
とある歳下の若すぎるオトコと知り合った。
このオトコこそアベッチこと阿部啓一郎である!
そして、
ケイシロウ(FK)やケイザブロウを巻き込んだ、
悲しくも馬鹿馬鹿しい出来事の幕が、
ここに降りるんやった。