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えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...
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第5章 放射線治療 19.

2007年07月18日 | 乳がん闘病記
19.
 連休の半ばのある日、同級生のD君の奥さんから手紙が届いた。産婦人科医として多忙なD君の代わりということで、私とは互いに顔見知りでもある夫人が送ってくれたものだ。中には京都の清水寺で求めた健康お守りが同封されていた。夜間拝観中に、電球の灯りのもとで見つけてくれたとのこと。「持っててくれると安心です」というメッセージに、とても心が温まった。文面から、夫妻2人で心配してくれていることが伝わってきて、申し訳ないようなありがたいような気持ちだ。ごめんなさい、そしてありがとう…。それ以来、出かけるときには必ずバッグに忍ばせて持ち歩いている。

 連休中も、花を追い求め、近くに遠くに足を運んだ。群馬にまでツツジや藤の名所を訪ねたりした。夫は何も言わずに、私の要望に添ってハンドルを握ってくれた。
 そんなふうに私のお守りをしてもらった連休が明け、2005年5月10日、T南部地域病院の放射線科にY先生の紹介状を携えて行く。診察室の扉に掲げられた名札を見ると、担当医はHPで調べたとおりM医師だった。予約していたにもかかわらず1時間以上待たされ、ようやく招じ入れられた。N医科大学付属病院とて事情は同じなので、改めて驚くことでもないけれども。

 M先生は50代の少々太めの体躯の男性で、汗かきなのが一目でわかった。朴訥で愛想がいいとはお世辞にも言えないが、人は悪くはなさそうだった。まず、紹介状をカルテに書き写しながら、問診される。家族構成や仕事の有無についても訊かれた。その作業の様子が遅々としていて、口と手が同時進行のY先生とは、これまた対照的だと思った。
 次に、患部を診た後、術側の鎖骨や脇のリンパの腫れがないかどうかも触診される。縫合痕に貼られているテープは、とれるまでそのままにしておくように言われた。

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