えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

第7章 楽観しつつ... 17.

2008年04月14日 | 乳がん闘病記
 お断り:この闘病記は3年前にさかのぼって記しております。現時点で進行しているのは、2007年3月の段階での話です。 (現在は経過観察中で、今のところ再発や転移の兆候はありません。ご安心ください。)

17.
 年末に心配していた冷えの本格化は、暖冬に助けられて思ったほどではなかった。漢方薬をきちんと飲み、カイロを使っていれば、持病のぎっくり腰も回避できていた。睡眠中のこむら返りも、アンカを使うようになってからは起こらなくなった。これはQOL上本当にありがたかった。暖冬に感謝! 夫の発案により、5月下旬に家族揃ってフロリダに旅行することも決まった。

 真冬の最中にあっても思いのほか体調がよかったので、私は闘病記を書き始めた。がんが命を賭して教えようとしてくれたことを整理するため、そして、自分の経験を後進者に役立ててもらうために、いつか書きたいとずっと思ってきたのだ。ある程度書きためたところで、ブログを立ち上げて公開するつもりだった。

 そんな折、かつて同窓会の仕事を一緒にしていた高校の先輩から連絡があり、「どうやら乳がんらしいので、相談にのってほしい」と言われた。医師に告げられたとき、すぐに私を思い浮かべ、連絡したのだと言ってくれた。彼女の腫瘍は私のとは性質が全く異なり、悪性かどうかの判別がむずかしく、また悪性だとすると切除範囲が広くなるという問題をはらんでいた。
 彼女の医師が細胞診をせずに画像だけで腫瘍をクラスV(:悪性)と見立てたことに疑問を持った私は、彼女にセカンドオピニオンを求めることを勧めた。彼女は果敢にも、乳がん治療で名の通った大病院の部長に直接意見を求め、私を驚かせた。結局それが功を奏して事なきを得、3ヵ月に一度の経過観察をすることで一件は落ち着いた。
 良い結果に終わったことも、経験者として少し役に立てたことも、私はとても嬉しかった。病気を公表していなかったら、役には立てなかっただろう。彼女もとても感謝してくれた上、自分もいつか人の役に立ちたいので経験を周りに伝えていきたいと語った。彼女の体当たりの挑戦と勇気ある姿勢に、私の方こそ励まされた。

 不幸にして私の後に続くことになった人は、彼女以外にも周りに少なからず現れていた。友人の奥さん、友人の姉妹……。友人の友人となれば、かなりの数にのぼった。乳がんにかかる確率は日本人の女性の23人に一人とも、20人に一人とも言われている昨今だが、そのことを実感した。自分の闘病の経験を役立てたい、闘病記を多くの人に読んでほしいという思いが日に日に強まっていった。

 2007年3月16日、遂にブログを開いて闘病記を載せ始めた。少しずつブログの存在を友人に広めると、「実はいとこが乳がんになって…」「実は友人が乳がんになったと聞いたばかりで…」という知らせが入り始めた。ブログの存在を知らせることで病気を初めて伝えた友人もいたので、皆一様に驚いていたが、それぞれが温かいメッセージを寄せてくれ、応援していると言ってくれた。ブログ上で闘病記を更新することが新たな励みとなり、4月中旬には新聞で知ったがん闘病ブログの紹介サイトに参加したり、5月にはがん患者のブログ交流サイトの管理者からリンクを張ったという知らせを受けたりした。そうすることで、ブログの読者が少しずつ増えていった。
 読者の皆さん、ここでも改めてご愛読に感謝いたします...。


 <後日追記>ここで闘病記が頓挫しております。その後を知りたい方には申し訳ありません。その後と近況については、こちらに記しております。



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