えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

第7章 楽観しつつ... 12.

2008年02月07日 | 乳がん闘病記
12.
 2006年9月初旬、N医科大学付属病院のY先生の診察日。漢方医の診療を受けたこと、補中益気湯の処方が加わったことを伝えると、「免疫力を上げる薬ですね」と先生は言った。ちゃんとご存知のようだ。T先生のクリニックよりこの病院の方がずっと通いやすいので、Y先生から補中益気湯を出してもらえるかどうか訊くと、先生は快諾してくれた。T先生にも了承を得ていたので、問題はない。
 最近は、診療の合間に雑談することも多くなった。もちろん先生は忙しく手を動かしながらなのだけれども。「相変わらずお忙しそうですねぇ」と私が言うと、先生は「今日はまだスムーズな方なんですよ。先週は、午前の診療が終わったのが5時だった、という日もありまして…」と苦笑いした。地元の別の病院で乳がん検診を行っているので、まとまって話をしたい患者さんにはその病院に来てもらうこともある、とも言っていた。Y先生なりに工夫して患者を診てくれているのだなと思った。

 T先生によりがんの原因が見え、自分で冷えへの対処法も考え、好きなことをして楽しく過ごしたいと思い始めた私は、秋に旅行しようと思い立った。春から初夏にかけて両親たちに起こった健康上の騒動を思い出すと、またいつ何が起こるかわからない。できることをできるうちにしておきたいという気持ちも強くなっていた。
 折しも、国内ですら一人で旅行したことのない娘が、フランスを一人で旅したいなどと無謀なことを言い出していたので、彼女の実力と度胸試しを兼ねた旅行を私は計画した。暖かい場所にすれば冷えの解消にもなると考え、シンガポールを選んだ。ジャカルタにいる夫に知らせると、「シンガポールとジャカルタは目と鼻の先じゃないか。シンガポールで3日くらい過ごして、その後こっちに来る?」と言うので、そうすることにした。旅行社のツアーは使わずに航空券とホテルだけを取って、観光は娘に任せることにした。9月中旬に行く段取りとなった。

 娘と2人きりの海外旅行は初めてだったのでそれなりの緊張もあったが、やはり楽しかった。彼女の語学力は怪しかったけれど、度胸だけはあるようだ。4~5歳の頃ボストンにいたため、英語に対する耳だけは良い彼女は、最初こそ現地人に平気で日本語で話しかけていたが、すぐに音が拾えるようになり、後半にはホテルマンとのやりとりなどスムーズにできるようになっていた。発音もきれいだった。でも、フランス語だとそうはいかないぞ! まだ検定試験の5級しか受かっていないじゃないの!
 ジャカルタでは夫が強いられている過酷な環境での暮らしぶりも垣間見え、実りの多い旅になった。親離れ、子離れをも兼ねた旅は、こうして私の心身を温めてくれた。Y先生にも絵ハガキで報告した。

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