我が家のガーデンの初夏を彩ってくれた花々の様子、第2弾です。 . . . 本文を読む
6.
退院後1週間は、娘に家事を手伝ってもらいながら無理をせず、少しずつ生活を日常に戻していった。術側のリハビリはもちろん、自力整体の体操も怠らなかった。夜中に2度も3度もトイレに起きる入院中のリズムがいまだ続いてはいたが、じきに治るだろうと楽観していた。 . . . 本文を読む
梅雨らしくうっとうしくなってまいりましたので、少し爽やかな話題を提供させていただきたいと思います。
唐突ですが、みなさまの地域ではゴミはどのように出しているのでしょう? &ご自宅のゴミを収集してくれる作業員の顔を、ご覧になったことはありますか? . . . 本文を読む
5.
F先生のお達し通り、その後2日間はプロテクトシートをつけて入浴した。
2005年4月14日。入浴のとき絆創膏を外し、初めて患部を見た。鏡に映った自分の姿を見て、「あぁ、こうなったんだ…」とだけ思った。乳房がだいぶなくなったことに関しては、喪失感や悲壮感、絶望感などは不思議となかった。 . . . 本文を読む
4.
病院から戻ると、郵便受けに友人のMさんから郵便が届いていた。Mさんは地元の友人で、壮絶な闘病生活を経験していた。長年小康状態を保っていた骨髄異型性症候群が3年前に白血病に移行、臍帯血(さいたいけつ)移植と骨髄移植を経て生死の境をさまよった挙句、九死に一生を得たのだが、現在も闘病は続いている。 . . . 本文を読む
3.
2005年4月12日。退院後3日目。傷口の処置のため、病院に出向く。
今まで呼ばれていた診察室や超音波室ではなく、初めて処置室に呼ばれた。カーテンで仕切られただけの小さな空間に入ると、簡易ベッドがあり、患部を見せられるようにして待つよう、看護師に言われる。ほどなくY先生の相棒であるF先生が入ってきた。 . . . 本文を読む
過日近所の親水公園でゲンジボタルの明滅を見たと、嬉々としてここで報告した私ですが...昨日朝日新聞の朝刊にこんな小さな記事が載って、びっくりしています:<ホタル放流やめて 愛好家ら指針>.........
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2.
ちょうどあずま屋があったので、休んでから残りを歩くことにした。化粧もせず、下着は片胸帯をつけているだけなので、見られた姿ではないだろうが、こんな所で知り合いに会うはずもない。そんなことを考えながらお茶を飲み、夫と会話を交わしていると、先客の中年の女性が席を立った。邪魔してしまったかなと思いつつのんびりお菓子をつまんでいると、どこからか視線を感じた。 . . . 本文を読む
1. 2005年4月10日。親友Aさんの誕生日だ。病院からカードを送っておいたので、すでに届いているだろう。 この日も空は晴れ渡っていた。退院したときと同じように、青い空がまぶし過ぎて、心がチクチク突き刺されるような気がした。告知を受けて以来当面の最大の山場だった手術を終えたことで、怒涛の日々の緊張が解け、疲れが出たのだろう。 . . . 本文を読む
神奈川県秦野市と南足柄市の間に位置する「あじさいの里」@開成町に行きました。水田の間の格子状の農道沿いに、何百メートルにも渡って紫陽花が植えられた、紫陽花の名所です。3回に分けてご紹介します。 . . . 本文を読む
『ぎっくり腰えつこ抄2005』の<生活改善篇>の3回目、このカテゴリーの最終回です。(当時病床で読んだ整体や背骨矯正の本から要点を拾って詠んだものや、自分なりに得た教訓をまとめたものです。)
『ぎっくり腰えつこ抄2005』に永らくおつき合いいただき、ありがとうございました。これを編集しながら、「そうだった、そうだった」と記憶を新たにしております。みなさまの日常の何か参考になれば幸いです。 . . . 本文を読む
私の中のかつての「家族揃っての海外旅行」の記憶、イメージは、「スーツケースと幼い子供たちを連れて、楽しくも大変!」なのでした。
でも、今回は9年ぶりだったため、そのイメージがすっかり変わりました。 . . . 本文を読む