昭和38年は豪雪の年でしたが、40年代は集中豪雨や、旱魃がくりかえされ、県都松江市でも大水害や、水不足が深刻でした。
そうした中で、治水と利水をかねた山佐ダムが計画され昭和55年に完成しました。
以来県東部の水がめとして大きな役割を担ってきました。
地元も地権者をはじめ多くの方々のご協力がありました。
河川や道路の改良が進み生活も大きく変わってきました。
ダムは「山美湖」との愛称がつけられました。
周辺も体験交流施設が整備され、住民が積極的にかかわり組合やNPO法人で運営されています。
キャンプ場やグラウンド・ゴルフ情も整備され、今では県東部のみでなく遠くからもたくさんのお客様が訪れています。
そうした中で、治水と利水をかねた山佐ダムが計画され昭和55年に完成しました。
以来県東部の水がめとして大きな役割を担ってきました。
地元も地権者をはじめ多くの方々のご協力がありました。
河川や道路の改良が進み生活も大きく変わってきました。
ダムは「山美湖」との愛称がつけられました。
周辺も体験交流施設が整備され、住民が積極的にかかわり組合やNPO法人で運営されています。
キャンプ場やグラウンド・ゴルフ情も整備され、今では県東部のみでなく遠くからもたくさんのお客様が訪れています。
花火と焼き肉 今年もあるんですね。
楽しみです。
でも年寄りは 早めに切り上げですわ。
そば播きの時期が来ました。
また 相談に行きます。
(トラクターでうねを立てる方法)
今年は菅原の休耕田でも そば播きを計画しました。
蕎麦の季節を楽しみにしています。よろしくお願いします。