横道にそれますが、自分の職場環境について、最初に書きます。
職場(部署)は、狭いフロアに80名近くの人が働いています。
一人一人にPCが与えられていますが、仕切りというものがなく、雑多な音に満ち溢れています。
話し声、電話の受発信音、コピーの音、カーソルを打つ音、プリンターの音・・・人工内耳のマイクはそれらの音を区分せず、拾っていき、健聴者が苦も無く話ができる環境で、話声よりも機械音が聞こえ被さり、総体として雑音として捉える自分がおり、結果として騒音下の中で仕事をしている。
したがって、この職場では、人工内耳の聞こえの機能は半減してしまうことになります。
さすがに、このような環境の中では電話応対は無理ですので、机には電話機が置いてありますが、内線番号を表示していませんし、電話はできないことになっています。
自分の他には、障害等級で言うと6級程度の聴覚に障害を持った方が勤めていますが、席が離れており、仕事内容も違いますので、ほとんど交流はありません。
ですから、健聴者の中に一人ポツンといるという感覚で仕事をしています。
イントラネットやインターネットがなければ、仕事が成り立たないのではないかと思っています。
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このような職場ばかりではありませんが、人工内耳装用児や補聴器装用児が大人になり、健聴者の中で仕事をするということは、特別な技術や能力、自らが事業を行っているとかということでない限り、雑多な音が行き交う中で働いていくのではないかと思います。
これから、書いていく内容の中で、「聴能」がもたらす思考の変化、行動の変化を知ることが、社会の中での人工内耳装用者の在り方を考えるヒントになれば良いと考えます。
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さて、「人工内耳装用者による体験的聴能論」シンポジウムの報告の続きを書いていきます。
4人の成人の人工内耳装用者は、仕事内容や置かれている状況、年齢にも違いがあり、主催者である大沼先生の意図するところが深いものがあると感じました。
男性3人に女性1人のパネラー達は、次のような発言をされていました。(あまり、メモを取っていませんですし、記憶が薄れていますので誤って聞いているかもしれませんので、失礼がありましたらご容赦ください。)
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<体験1>
1934年に生まれ、17歳の時(1951年)に補聴器(日本で発売されて2年後くらい)を装用し、以来52年間補聴器をしてきた東海大学名誉教授の鈴木さんが友人の薦めもあり人工内耳と出会ったのは2003年だったということです。
「人工内耳を装用した当初はあまり聞こえが芳しくなかったが、医師から聞き取り練習を20分間(本当は10分という指示だったそうだが・・・)しなさいと言われ、盲人用に録音したテープを毎日聴いていった。その繰り返しの中で、しばらくすると聞こえてくるようになった」とお話しされていました。
「自分の周りの音が聞こえるようになって気付いたことは・・・それまでの自分の聞こえに周りの者が気を使っていたことがわかったことだった。」
「また、今まで聞こえていなかった音が聴こえびっくりしたこともある。ある日、何処かで音声が聞こえてきたが、人はいない。探ってみると風呂が沸いたことをお知らせする湯沸かし器の音声であった。」
「人工内耳で聞こえるようになると、人との話の対応が早くなった」
「但し、人工内耳では音の大小の区分ができないので、朝、起きて家内と話すと、大きな声だと言われる。そこから自分で声の調整をしている。」
「スピーチプロセッサのバージョンアップにより聞こえが向上している」
との、興味深い発言をされていました。
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<体験2>
高岡さんの場合は、講演する機会が多いのか、次の発言が印象に残りました。
「もっとも大きなことは、自分の声がちゃんと聞こえることだ。それがうれしかった」
「補聴器だけのときは、あらかじめ頭の中で原稿を思い浮かべ、それにそった話をしていた。また質問等についても一端、頭の中で原稿に置き換え対応していた。ところが人工内耳で聞こえてくるにしたがって、原稿を思い浮かべる必要がなくなり、話しながら、別の思考をしている自分がいる。それは受け答えも同様だ」
「思考が解放され自分の話しをしている内容が頭の中で駆け巡り、頭の中で考えてから話せるようになった」
「立体的に聞こえている」
「小さいころからの難聴で、母と話をする機会があまりなかったが、人工内耳を装用してから母と話をすることがあった。話しをしていると外がやかましいので何の音なのか聞いてみると『蝉の鳴声』だと母が教えてくれた。そこで『蝉の鳴声』を知った・・・この音は実は自分が通勤路でも良く聞こえていたものだった・・・人工内耳をして初めて知る音がある・・・」
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<体験3>
関東労災病院の佐藤さんの場合は、人工内耳を装用するに至ったことについて次のことがあったとまず話をしていました。
「聞きながら考えることが困難になっていき、スピードについていけない自分がおり、行動範囲が狭くなっていった・・・これではいけないと思った」
次いで、人工内耳をしてからの変化について語っています。
「音が立体的に聞こえる」
「聴こえなかったときは、スケジュールを取り決め、それに沿って行動していた。そのため時計を見ることが多かった。○○分になったから、後片付け。○○時になったから、洗濯・・・掃除とか、決められた時間で動いていた。時計が一日の行動の裏付けであった。ところが、今は時計を気にしなくなった。テレビから聞こえてくる音で、もうそろそろ○○をしなければとか・・・・」
「同時思考が働くようになった・・・考えながら行動できるようになった」
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<体験4>
神田E・T・N医院の神田さんの場合は、
「日本の人工内耳装用基準になる前にドイツの恩師や同僚から、人工内耳を薦められた。自分の聞こえは(デシベル)、欧州では人工内耳をするに値するものであった。実際にドイツの同僚に人工内耳装用手術をしてもらった」
「自分を治療してくれていた日本の医師やドイツでの同僚、恩師、日本での恩師や同僚達に感謝の気持ちでいる」
「今の聞こえは騒音下の中でも、あるいは複数会話にも対応できる(片耳補聴器、片耳人工内耳)。人工内耳は高音域まで落ちない。現在の自分は20~30?くらい」
「人工内耳の聞こえは、A+B+Cではなく、A×B×Cである。逆に言えばどれか一つがゼロだと全てゼロになる」
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これに、大沼先生が、パネラーに的確に質問をしています。
例えば、鈴木さんに対しては、「高齢者で難聴になっていっている方がいる中で、人工内耳で聞こえを取り戻しているが、そういったことに対して何か意見は?」
とか、高岡さんに対しては、「難聴者の代表である高岡さんが人工内耳を装用したことに対して、難聴者や聾者からの反応はどうであったのか?」とか・・・・
これに対してパネラー達は、前向きな対応を話しています。
また、大沼先生が指摘したことには「レスポンスの速さ」のことがありました。これに対して神田さんが意見を述べています。
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自分がパネラーの発言のどこに注目したのかということ、大沼先生の質問にパネラーが切り替えした前向きな発言はどのようなものであったのか、また「レスポンス対応の速さ」とはどういったことであるのかについては、次回の更新時に書いていきます。
きっと参考になることがあると思います。少なくとも自分は色々とこのシンポジウムの帰路、「のぞみ」の車内でパネラーの皆様の発言について考えていました。
※パネラーさんの発言については、自分がそのような発言であったと解釈したものですので、誤った解釈をしていることもあることをご承知おきください。聞き間違いもあると思います。
更新をお待ちください。