やっと、・・・ウォークマンに記録させた曲をM-リンク(汎用型磁気誘導コイル)を利用して人工内耳で聴きながら、ブログ記事を書き始めている。
書き始めるまでが時間がかかるのはいつものことで、我ながら嫌になります。
聴いている曲は、北澤茂良先生(静岡大学情報学部名誉教授)からいただいたCDを録音したものです。
ゴールデンウイークに合わせるように郵送されてきたCDは、先生からの宿題でした。
ただ、連休中、カメラを片手に歩き回っていたので、回答を提出できたのが5月15日、遅くなってしまいました。
北澤先生は「人工内耳装用者のための音楽」・・・音階の在り方を研究されており、今回の宿題もその研究の延長線上にあるものでした。
回答が研究に少しでも役立つことがあれば、人工内耳装用者で音楽を聴くのが苦手な方に音楽の扉を開くことができるかもしれません。
宿題は、唱歌「茶摘」12パターンと「みかんの花咲く丘」8パターン(歌い方・音の高さ・リズム・編曲・・・)の歌唱の印象やピアノの印象を表記していくものです。
少しずつ違いがあるものの同じ曲を聞き分けしていくことは、疲れるものです。
回答を終えた今は、気楽に聴くことができ、聴き終えると何故か人工内耳での聴こえが明瞭になるような気分になります。
少し話がずれますが、日本語字幕付き映画「64前編」を観てきました。
話の展開に圧倒され、俳優の存在感を感じる映画でした。
圧倒されながら前編のエンディングを迎え、主題歌が流れてきました。
自分のメロディ解釈が正しいかどうか自信がないまま、それでも違和感なく聴いていたのですが、途中で一点だけ確実に自分の解釈が間違っていることに気付きました。
それは、この曲を歌っているのは女性だと思っていたことでした。
エンディングロールに出てきたのは、当然、小田和正さんです。つまり、音色解釈が違っていたのです。
初めて聴く曲で、だれが歌っているのかわからないままイメージしたため一致しなかったのだと思います。再度、小田和正さんだと知って聴いたときは、また違う音色解釈になるのかもしれないと思いながら、エンディングロールが過ぎていきました。
その点、先日観た日本語字幕付き映画「殿、利息でござる!」のエンディングに流れた主題歌は、名曲「上を向いて歩こう」をアレンジしたもので、決して健聴の頃ほど明瞭な聴こえ方ではないのですが、RCサクセションの歌声としてイメージでき、映画の内容とリンクし妙にホッとした気分で聴いておりました。
これは、坂本九さんの「上を向いて歩こう」の歌声が脳内の聞こえの引き出しにイメージとして残って整理されていて、他の方の歌声との違いを比較できる状態にあったからなのかもしれません。
ただ、自分の場合は日本語字幕がついていなければ、おそらく「せりふ」も「歌」も理解できていない部分が多々あるような気がします。
つまり、俳優の声と字幕を同時認識することで、聴けたような気になっているのではないかと思うことがあります。
前置きが長くなりました・・・
じつは、今年の3月に、北澤先生とは思わぬところで2回ほど出会うことがありました。
1回目が3月20日に岡山オルガホールで開催された「かたつむりコンサートin岡山」(主催者は、洗足学園音楽大学附属音楽感受研究所と神田E・N・T医院)会場でした。
2回目は1週間後の3月27日に東京藝術大学音楽学部第6ホールで開催された「音をさわろう コンサート&ワークショップ」(主催者は、東京藝術大学COI「障がいと表現研究」グループと洗足学園音楽大学附属音楽感受研究所)会場でした。
本日は、北澤先生と久方ぶりでお会いすることができた音楽会で感じたことなどを紹介していきたいと思います。
岡山の音楽会では、演奏の他に新倉敷耳鼻咽喉科クリニックの福島邦博先生、神田E・N・T医院の神田幸彦先生の講演がありました。
この内容については、あとでご紹介します。
ふたつの音楽会で大きな衝撃を受けたのは、人工内耳装用者自身による演奏を聴けたことでした。
普天間健さん(岡山会場・東京会場)、吉本信行さん(岡山会場)、塚田哲夫さん(東京会場)等の演奏は、とても心地よく、人工内耳装用児に夢を与えたのではないかとさえ思えました。
特に素晴らしかったのは、岡山で実現した「スペイン」という曲をベースにした普天間さんのマリンバ、吉本さんのベースそして音楽感受合奏団の松本先生のドラムという3人のセッションでした。
人工内耳の聴こえでジョイントは難しいと思うのですが、吉本さんの場合は音楽感受合奏団のベーシストにタイミングを確認しているように見えました。たぶん、これはプロとして音楽を壊さないという強い意志が働いたのだろうと思います。それぞれが競い合いそして融合されており、とても素敵な演奏でした。
コンサートのコーディネーター役は、いずれも音楽感受合奏団(代表:松本祐二先生)でした。
音楽感受合奏団は2001年より聴覚のバリアフリーを目指して活動を続けていますが、私自身はこれまで3回(愛知県刈谷市・洗足学園音楽大学ホール)ほど演奏を聴いています。
一番最初が刈谷でした。
トーンチャイム等の楽器を人工内耳装用児に直に触れさせ、音と振動を体全体で感じることのできる参加型の音楽会というスタイルがとても新鮮でした。また、歌唱の仕方も、音の高低を手全体で表現しながらのもので分かりやすいものでした。
直近では、洗足学園音楽大学ホールでの演奏です。
特に記憶に残っているのは、「かぜのでんわ」という物語です。物語といっても、映像と朗読に加え歌と擬音演奏することで、イメージを膨らませ文章の世界から飛び出させ、深く理解できるように工夫されたものでした。
今回のコンサートでも同様に音楽を人工内耳での聞こえだけでなく身体全体で感じることや演奏体験をすることで音楽の楽しさを伝えようとしていました。
「WAになっておどろう」という曲構成のなかで、太鼓(トムトム)やトーンチャイムの演奏を志願した子供たち(大人も)に楽器に触れることや音を出すこと、さらには受け持ち部分の出だしと終了のタイミングを知ることの大切さやリズムを感じること、何よりも自分以外の他者に発信するという体験ができることで、音楽を身近なものとして受け取ることを指導していました。
会場内にもフイルムケースを改造した(?)シェーカーという楽器やトーンチャイムを貸出し演奏に参加することで、一人で聴く音楽とは別の楽しみ、共感していく音楽を体験できたのではないかと思います。
同じ「WAになっておどろう」でも、岡山は参加者の汗を感じるものでしたが、東京は音の振動を感じることができる演奏でした。参加者と会場の違いで音楽は変わるものだと認識しました。
「もりのおとぶくろ」という物語は、「かぜのでんわ」と同様、音楽絵本として音楽や擬音を物語の絵や字幕そして朗読と一緒に聴くことで、よりイマジネーションを膨らませ、音楽や音が自分たちの暮らしや気持ちの中にあることを教えてくれているような豊かな時間を過ごすことができました。
東京での音楽会の始まりは、ドビュッシーの「小舟にて」をピアノの連弾(高橋幸代さん、新井鴎子さん)でしたが、演奏者自身が出演した映像が同時に映し出され、何か立体的に音楽を楽しめました。
さて、岡山での音楽会では、新倉敷耳鼻咽喉科クリニックの福島邦博先生、神田E・N・T医院の神田幸彦先生の講演もありました。
要点だけ簡単に記しておきます。
ただ、記憶に残っていることをご紹介しますので、誤った解釈をしているかもしれませんので、ご勘弁ください。当日、参加された方に内容を確認されることをお勧めいたします。
講演順序は逆ですが。まず、神田先生のお話から書いていきます。
<神田先生の講演要旨>
過去には、人工内耳は言葉が分かっても、音楽はわかるようにならないと言われていた。だから、音楽レッスンをするよりも、国語を頑張った方が良いと指導していた。
しかし、実際には人工内耳でも音楽を楽しんでいる子供たちがたくさんいる。
※手術後2年たって「パンの耳」という曲を歌って楽しんでいる女児の映像を示して説明。
2007年にEar and Hearingの論文の紹介
①言語習得前の人工内耳装用児の場合、特に注意しないで聴いている既知の曲を再認する能力がある。
②人工内耳装用を始めた年齢、音楽聴取体験、そして語音明瞭度(言葉の聴き取り)の間の関係について検証したところ・・・人工内耳装用児は人工内耳装用成人より音楽を楽しんでいることが明らかになり、さらに音楽以外の聴覚能力(語音明瞭度等)の促進につながることが示唆された。
次いで、音楽を聴く脳について説明がありました。
聴覚と偏桃体とこころと海馬のネットワークにより、音楽を聴いて感動したり、感傷的になったり、音楽を聴いていた当時の思い出が蘇ったりする。
聴覚野=聴いて理解する
偏桃体=強い情動を、体験や人・物と結びつける重要な役割
海馬=記憶の保管に重要な役割
島皮質=人間としての様々な情動を感じたとき発火する
<福島先生の講演要旨>
「人工内耳と音楽」というテーマ、副題として「音楽として・ことばとして」でした。
1.人工内耳の仕組みから考える
ピアノの鍵盤が押される「場所」によって「音の高さ」が違います。
同じように、人工内耳では、蝸牛の中のどこの部位が電気刺激されるかによって「音の高さ」が違ってきます。
しかし、刺激電極の「間隔」は、ピアノの鍵盤にすると4つか5つくらいの間があるので、人工内耳で細かい旋律の聞き分けは基本的には難しい。
まず、限界を知ったうえで、出来ることを少しずつ増やしていくことが大切。
例えば、陸上競技の100メートル走の限界は9秒といわれているが、2010年に9秒6になった。100年で1秒記録が更新した。
つまり、トレーニングすることで速くなったということです。
もっと速くするには、機械を使う手段もありますし、リアルの世界でなくゲームの世界で走ることもあります。
これを、人工内耳に当てはめてみるとリハビリを懸命にすることで、音の聴き取りが向上していくということになります。
あるいは、無線機器の使用で聴き取りが良くなることや、道具を使うことでコンサートを楽しめるかもしれません。
2.音楽で「ことば」を学ぶ
逆さ歌・・・AKB48の「恋するフォーチュン クッキー」?の逆さ歌を流し、正解を示した後
「みなさんおはようございます」を反対に読むと音源的には「すまいざこうよはおんさなみ」ではない。「サミャーソゴーヤホ ゥアサニ」になる。
13拍の文字にわけて理解するのは、脳の働き(音韻認識)
「さんま」と聞いて、「さ」と「ん」と「ま」からできていると感じるのは心の(脳)のプロセスです。
エンコーディングとデコーディングのふたつが音韻認識に必要。(「いぬ」→/inu/ ・/inu/→「いぬ」)
<音韻に障害のあるこどもの特徴>
①「圧縮されてつながった様な形の構音
②浮動的で安定しない構音
③拗音や促音の理解が困難
④聴き取りの程度では説明できない全体的な言語発達の遅れ
こういったことに対して早めの対応が必要、そのためには、歌が役立ちます。
<音韻と童謡 事例>
むすんで ひらいて てをうって むすんで
①手を打って、体を動かして「拍」を感じる
②「音の流れ」の中で「拍」を意識する
③「文字」の意識の基礎となる
だから、本日も手を打ち、体を動かし、拍を感じてください。そういうことで、文字が意識できる。
音の変化からニュアンスの違いを知る。
※さくらまいちる 事例・・ケツメイシの曲 いきものがかりの曲 の違い
※文字では同じように見えるが全く違う。
※単語も音の流れによって文脈が変わってくる。
※語尾を上げるだけでも意味が変わってくる
韻律あるいはプロソディーのマスターは合唱することが良い。
共感性やターンテイキングを学ぶ
会話では話し手と聞き手が場面を共有しながら交互に話しながらコミュニケーションを行っています。
輪唱はターンテイキングの基礎となる働きの一ついえます。
音楽を楽しめば、会話のトレーニングになります。
音楽だけが世界語であり、翻訳する必要がない。そこでは魂が魂に話しかける(バッハ)
したがって、もっとも大切なことは、音楽を「心から楽しむ」ことです。
以上の講演のあとに岡山では音楽会が始まりました。
私自身は、人工内耳を装用し「会話」を取り戻していきましたが、それだけでは満足でなく「音楽」を取り戻していきたいと思いました。
何故、「音楽」を取り戻したかったのかといえば、「音楽」は常に「寄り添ってくれた仲間」だったからです。
神田先生がご指摘されたように、人工内耳を装用した当時は、メーカーもSTさんも医師も「音楽」は難しい。なぜならば、「会話」理解をするために人工内耳のコードが開発されたからだと言われておりました。
それでも、「音楽」を取り戻したく、過去、自分が素敵だなと思っていた曲をいくつか聴いていました。
ある日、アメリカンポップスのカーペンターズの歌のワンフレーズが自分のイメージ通りに聴けることに気づきました。
そのワンフレーズを手掛かりに少しずつ聴ける曲を増やしていきました。
皆様も、音楽を聴きに行きませんか?