“STUDY TO BE QUIET”は、アイザック・ウォルトンの名著『釣魚大全』の最後の一行を飾る言葉である。小説家・開高健はこの一句を“静謐の研究”と訳してみたり、ときに“おだやかなることを学べ”と訳したりしている。『釣魚大全』の哲学は「この一語に凝縮される」とも書き残している。
『初版本・釣魚大全』を翻訳した神学者・杉瀬祐はこの一語を“静かに生きることを学べ”と訳し、その下に原文にはない一言--テサロニケ第一の手紙四の十一--を書き添えている。
「これは新約聖書に出てくる言葉です。最後の審判が近いといわれて、人々があわてふためいたり、遊びほうけているときに、聖パウロが“みんな落ち着くように”という内容の手紙を書いた。その中に出てくる言葉です」
聖パウロの言葉を引用した最期の一句、そこに凝縮された『釣魚大全』の哲学とは何なのだろうか?
「マルティン・ルターという宗教改革者がいますね。あるとき彼は『もし明日世界が最期の日を迎えるとしたらどうしますか?』と聞かれ、こう答えた。『たとえ明日世界が滅びるとも、今日わたしはリンゴの木を植える』と。
“STUDY TO BE QUIET”というのは、そういうことだとぼくは思います。たとえ明日死ぬとわかっても、今日と同じように暮らすだけだ、と。それは人間のなすべきことであり、また人間ができることなんじゃないかと思いますけども」
神学者はご存じなかったが、このマルティン・ルターの言葉、実は小説家のお気に入りの言葉でもあるのである。色紙などに、小説家はよくこの言葉を書いている。
ただし、小説家は、この言葉の主語をいつも変えていた。「あなたはリンゴの木を植える」、「キミはリンゴの木を植える」というようにだ。
何があろうと、「あなた」や「キミ」は今日と同じように暮らすんですぞ。静かなることを学びなさいよ。小説家はそういいたかったのかもしれない。
あるいは。「あなた」や「キミ」がいつも心穏やかにいられますように--そんな願いを込めてこの言葉を書いていたのかもしれない。
天国にいる小説家は、おだやかな顔をして今日もリンゴの木を植えているだろうか?
『長靴を履いた開高健』より引用(一部手直し)
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